世は広い。
いろんな人がいる。
好きな人もいるし、バカだなと思う人もいるし、好きだったけど嫌いになっちゃった人もいるし、
反対に嫌いだったけど今は好きな人もいる。
少し特殊な経験(というか環境)で育ったせいか、私はとても心配性だ。
常に1の場合、2の場合、3の場合と様々なパターンをシュミレーションして行動する癖がある。
もちろんその想定内に収まらない時もあるんだけど、その場合は新しいデータがまた私の中に積み上げられていく。
よく周りからは「そんなにいろんなこと気にして、疲れない?」とか「少しは自分のことを考えたら?」なんて心配されるんだけど、これはもう性分みたいなもので、むしろそうしていないと落ち着かないのである。
まあ、丸く収めるというか、空気を読むというか、察するというか、これはもう私の特技ともいえるので、決して自分を殺してというわけではない。
ただ時折ふと、何も気にしないで好きな発言をしたり、知らないうちに場の空気を乱したりが平気でできる人が、なんというか羨ましく思える時もある。
あんなこと言えて自由なんだろうなあ、と。
空気や秩序が乱れても気にならないのだろうなあ、と。
……と、ずっと心の奥で思っていたのだけど、なんかまあ私のやり方の方が世の中平和裏におさまるなと思い直して、これはこれでいいじゃないかと最近自分を褒めている。
それで、すんごいストレス溜まるならまだしも、正直そこまでではないわけだし。
私にとってはせっかく楽しく過ごせてた場が興ざめする方が嫌だし、大人げないと思ってしまうのだ。
そういう意味では、その場しのぎの適当なヤツという位置づけになるかもしれないけど、それでもバカバカしい争いよりはマシじゃないかね。
私はそこそこ大人の対応もするし、大人の事情も汲んでるつもりだが、自分のすべてをそこに注いでいるわけではない。
要は塩梅じゃないかと思うのだ。
最近、仏の道の方々の説法を聞くことが多い。
なるほど沁みるなあ~、と思って頷いていると、
ある住職さまに「ワカコさん、あなたね、菩薩ですよ。修羅を知る菩薩。若くして悟った菩薩。
どうぞこのままおいきなさい。あなたの支えは誠にお見事だ」と言ってもらえて、単純に嬉しかったのだ。
なんだか、これまでいろんなことに心を砕いてきた(つもり)甲斐があったなあと、けっこうジンときたのである。
ジンときたので、伊賀忍者の有香ちゃんと定義山(じょうぎさん)に行って、
やきめし食べて、
橋の上で戦ってみた(笑)。
義経と弁慶か?
元々の話とまったくカンケーありゃしないがいーのだ(笑)!!
バカバカしく遊ぶのもまた私の性分なのである。