まあ、こっちの話なんだけど、姿形(すがたかたち)が世に知られてくると、いろいろ不自由になるもんである。
しかし、不自由になってもやっぱり作品はもっともっと広めたいのが本音だ。
とはいえここからが難しいんだが、作品には作者が付き物なので、あまり表立って出ないとはいえ、生活している以上いろいろなところに行くわけで、たまにとはいえ地下鉄で声をかけられたり、街で焼き鳥買ってるところを目撃されて、あとでSNSでメッセージが来たり、薬局で胃薬買ってるところを声かけられたりする。
見られてたんかいっ(笑)。
さすが我が地元、仙台恐るべし
しかし、スーパーで割引き食材をせっせと買っている時は、一度たりとも声をかけられたことがない。
きっと、「あらやだ、ワカさんったら今日も値引き品だわ」と、声をかけにくいのだろう。
ビバ、半額!!
ただひとつ、若干の悩みも出てくる。
まあ、私は本人だからいいが、家族に悪いなあと思う時もあるのだ。
広いとはいえ狭くもある都会は便利だが、人の目も多くある。
どこかで見られているかもしれない。
いや、仙台だけじゃなくもしかしたら気仙沼もあるかもしれない。
まあ、それは気にしすぎだけど、子の立場としては、「親たち、若干の不自由を強いてしまうがどーかどーか許してくれ」としか言えない。
すまん……。
なので私は、オット以外の家族と闇雲に写真を撮らない。
特に、親族の子どもたちとは撮らない。
こないだもワケあって公にしていない、外国人の親戚の子(オットのメルマガに書いた大学生の子だ)と、買い物に出かけて、
カフェでお茶をして楽しかったのだけど、写真は撮らなかった。
そして、先週は久々に姪っ子と会って、すごく大きくなって嬉しく、通常ならば「写真撮ろ―ぜ」という気持ちが芽生えるが、
実際芽生えたが、ちょっと悩んでやめた。
そういう普通に起きる心境を、大手を振って表に出せない切なさはあれど、こういう商売だからやむを得ない。
万が一、何かあったらエライことで、もしも私のせいで誰かに何かがあったら、私はどのように懺悔すればよいのか、そこまで考えるのだ。
神経質すぎと言われればそれまでだが、それが私なのである。
今はどこで誰が見ているかわからないし、物事は正確には通じにくい。
なぜなら、それを感じるのは「人の心」だから。
正論を振りかざしても、負けてしまえば元も子もなく、なので気が小さい私は誤解されて困ることは最初からしない。
なんか変な相手とぶつかっちゃったなと思ったら、「あ、はい、失礼します」とさっさと去る(笑)。
労力は最小限に、セコクてけっこう。
そんで、ここに至るまでには、自分のことがあった。
私のオットは昔、いちいち相手に正論をぶつけまくって、その場ではまあなんとかなるが、一時期かなりなイメージダウンをした。
(↓↓↓その頃)
表面上はうまく付き合ってくれるけど、みんな「うるさいヤツ」と思ったのか、いろいろな噂が立ったし、人も去っていった。
じゃ、私が何もしなかったのかっていったら、やった。
いろいろやった。取っ組み合いにもなったし、お互い傷ついたし、怪我もした(笑)。
だけど、ある時に思った。
「こりゃ、私が何とかできるもんじゃない。本人が本質に気付かなきゃダメだな」って。
で、待った。ジッと、(もちろん水面下で気が付くようにいろいろして)待った。
で、ある日、オットは気が付いた。
「俺は一体どうして、こんなに怒ってばかりいるんだろう?
そして、みんなが去ってしまったのはなぜだろう」と。
そして、気が付いた後でオットは
とてつもない努力をした。
あんなに怒りっぽい、瞬間湯沸かし器みたいな、しかも保温性がバツグンに高い魔法瓶みたいな怒りっぽい性質の持ち主が、
よくぞここまでなったと思う。
今は大事な局面でしかそういう面は出ない。少なくても、出さないようにしているのだろう。
自分のイメージは、そのまま大事な人のイメージにつながる。
だから、人には誰か大事な存在があった方がいい。
え?
私?
そりゃ、ゆるキャラが大事よ、アンタ(笑)。
いやいや、キミも大事だけどね~