「ただ、おまえ自身も、『神様ならずっと見守っているはずだ』と否定した」
「そこなんですよ」
「そこ?」
「神様も結局、僕とおなじじゃないんでしょうか。今ふと、そう思ったんです」
「おまえがと神様と同じ。それはまた大きく出たな」
「いえ、ほら、僕はいつも仕事をしていて、その合間に気が向けば、隣の部屋のクワガタのケースを確認します」
「癒されたくて」「そうです。そして、その時にクワガタがひっくり返っていれば直しますし、理不尽な喧嘩が起きていれば」「助けてやる」「悪いニジイロは指で叩きます。つまり」「つまり?」「天罰ですよ」「なるほど」「それにほら、やられそうになった可哀そうなクワガタは、僕によって隔離されて、バナナを与えられます」
「神のご加護というわけか」黒沢は早く話を切り上げ、作並に向かうべきだと思いはじめる。
「ここで、クワガタたちの気持ちになって考えてみると」
「さすが作家は違うな。虫の心も分かるわけだ」
「たとえば、ニジイロクワガタにぐいぐい苛められる別のクワガタは、こう思うはずです。『神様助けてください! どうして救ってくれないんですか』と。ひっくり返っているクワガタにしても、そうですよ。『どうして私がこのような目に遭うんですか。悪いことなどしていないのに。このまま動けず、死ぬなんて。何がいけなかったんですか』と」
「神や仏もいやしない、と嘆く」
「その通りです。でも、神様はいるんですよ。隣の部屋で仕事をしているだけです。気が向けば、ケースを覗いて、そこで気づけば、助けてくれますし」
「悪い奴には罰を与える」
「そう考えれば、ほっとしませんか。神様はいつもこっちを見ているわけではない。その点はがっくりきますけど、ただ、見ている時には、ルールを適用してくれるんです。ルール違反があれば、不公平や理不尽な偏りがあれば、それを直してくれる。悪人に天罰を与え、善き人には」
「バナナを」
「勧善懲悪の法則は、ないわけではないってことですよ。今、そう思ったら、救われた気分になりました」
「神様は時々、見ているわけか」
「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして、そこそこ漏らす、ってところですかね」
「そこそこ、か」黒沢は苦笑せずにはいられない。
伊坂幸太郎 首折り男のための協奏曲 「人間らしく」 より抜粋
昨日と一昨日は深夜というか、空気に朝の匂いが含まれる時間まで、オットとこれからの方向とそれぞれの考え方を話し合う「会議」を、
テーブルを挟んだほぼ、濃厚接触状態で行った。
(だがしかし、最初に濃厚接触と聞いた時は、なんだその表現と思ってしまったワタクシがいたんだけど、こりゃワタクシだけかいな?)
調べることもたくさん出てきて、資料部屋から膨大な資料を引っ張り出し、まあいろいろやることは尽きなんだ。
これまでも夜型だったけど、調べ物がある時なんかは特に遅くなってしまうな
ワタクシは基本マジメで、時おりテキトーで、場合によっては真剣にもなり、だけれど多くのことにはあまり余計な首を突っ込まない主義なんだけど、仕事だけはすごく好きなんだよ。
これは昔からそうで、バイトとか手伝いとか働くこと自体が好きだったから、
仕事が絡んでいれば様々なことに首を突っ込む(笑)。
だけど、もちろん行き詰る時もあるわけで、行き詰った時はバイブルを取り出して、眺めるととても楽になるのだ。
伊坂幸太郎さんの「首折り男のための協奏曲」は、なぜか時々ワタクシに力をくれる。
それはさ、別に猛烈なパワーじゃなくて、フッとしたとか、なんとなくって類なんだけど、それくらいが大事なんじゃないかなあと思っている。
強烈に気持ちを出すと疲れるし、息切れもするもんだ。
それに強烈な気持ちなんて、誰に対しても出せるもんじゃないし、出したいとも思わない。
でも、同じような考えが書いてある本を相手に
「そうそう、そうなのよ。わかる、わかるわ、よかった同じ考えの存在がこの世にいて」とか、妙なシンパシーを感じて、悦に入ることはよくある(笑)。
ほとんどヘンタイだけれど・・・。
思えば、贅沢な生活だった。
どこにでも出かけられ、買いたい化粧品を買いに行き、友人たちと神社へ参拝、家族で焼肉、時には割烹、通販はソッコーでやってくるし、スーパーでも普通にレジのサイト―さんとおしゃべりができたし、街には学校帰りの子供たちが溢れていたし、映画やライブにも行けた。
人と触れ合えずの日々というのは、やはりそこはかとなく味気のないものである。
あんまり人と触れ合いたくないワタクシでもそう思うんだから、触れ合いたい人は大変だろうな。
とりあえず、本があってよかったよ。
本とはいつでも触れ合える。
あ、何人かの友達に「自分の親たちが退屈してるんだけど、なにか良い方法ないかなあ」って聞かれました。
すでに答えたけど、
我が家は、自分で読んだ面白かった本とか(ただしある程度は相手の好みを知って、合わせてみる)、DVDを渡して、「暇でどうしようもない時、ご覧ください」と言っている。
だがしかし、我が両親は意外にもすることがあるようで、父っつぁまに至っては仕事もしているから、まあそれほど気にする必要はないかもしれない。
でもわかるよ、気にかかるもの。
子は子なりに、考えるのだ。
大した考えではないけれど。
本屋さんが閉まっていると、こんなに退屈なんだなあ。
本屋さんは偉大だ。
人生のバイブルがたくさんある場所に、早く行きたいもんである。