石川県能登地方の地震のあった日の夜に避難所で書いた日記
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1/1 お母さんが年末年始にくるなくるなとあんなに言っていた意味が分かった。大地震がきた。ヘクソンボ(カメムシ)の大量発生は大地震の前兆だった。
命があってケガをしていない。暖かい部屋で食べるもの飲むものがあって、トイレもあって安心して眠ることができる。なんて幸せ。幸せ
あんな大きな揺れで地震で1人もケガがなく命があること。感謝。(亡くなった)ばあちゃんとお父さんが手を合わせてくれたからか。ありがたい。ありがとう。
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2回目の大きな揺れが来てからスマホが使えなくなって、通信手段が途絶えて外と連絡がとれなくなった。
地域の人と助け合って避難所生活を過ごした。
地震でガタガタになった道路が昨日なんとかギリギリ通れる状態になり今は大阪に帰って来ています。
まだ救援物資も届かず余震に怯えながら避難所に避難している母や近所の人もいる中、余震もない地震の影響もない大阪で自分だけ安全な場所にいるのが申し訳ない気持ち
避難所で「新年早々こんな事があって今年は散々な年だ」って言ってた人がいてうちの母とか、その時もこう言ったんだけど、
「これ以上悪いことは起きんわいね」
だから大丈夫、安心して
あなたのかかりつけ助産師になります
助産師は女性の生涯のパートナー
お産の取り扱いはないけど、何かが生まれるかもしれないじんのび助産院
助産師は迎え人であり、送り人
地震が起きる数時間前に撮った写真![カメラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/109.png)
![カメラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/109.png)
七尾市の食祭市場で
助産院はしばらくお休みしますが、それ以外はこれまで通りの生活を送っています。