法蔵寺 | 青い空がすき

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神社・寺院巡りを中心に、お出かけした先を紹介しています。

この日最後に参拝させていただいたのはこちらの寺院です。

紹介します。法蔵寺といいます。


寺院手前にはお寺の名前がついた橋がありました。



岡崎観光きらり百選の看板




御草紙掛の松
家康公ゆかりの松です。現在の松は2006年3月に植えられた4代目だそうです。周囲の石柵は文化12年(1815年)に寄進された物とのことです。



常夜灯


ここから参道でいいのかな?進みます。



門の前にはお地蔵さまが安置されていました。





山門



賀勝水
家康公が幼少時代にこの寺で読み書きを習い、この場所で硯を洗ったとか



階段を上ります。



階段途中に日本武尊社があり



鐘楼門です。





ご本堂

正式には大神光二村山法蔵寺といい、浄土宗西山深草派の寺院です。
三河新四国第35番、三河33観音第12番霊場です。




ご本堂内
ご本尊は阿弥陀如来さま

ご由来・歴史
寺伝によれば大宝元年(701年) 行基は観音菩薩像を安置し出生寺を創建しました。かつては法相宗の二村山出生寺と称されました。
平安時代には空海の来訪により真言宗となりました。
至徳2年(1385年)教空龍芸上人により浄土宗に改宗し二村山法蔵寺と改められました。
嘉吉元年(1441年 松平親氏により伽藍建立され、松平家の菩提寺としました。
天文16年(1547年)徳川家康が伯父である住職の教翁上人に師事し、読み書きを習ったと言われます。
硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康幼少期の品が文化財として伝わります。
江戸時代には深草派三河三檀林のひとつとなりました。
【参拝のしおりより抜粋】


境内には他に



大師堂



六角堂
聖観音,十一面観音,千手観音,不空絹索観音,馬頭観音,如意輪観音の六観音がまつられているそうです。



小さな祠がありました。
参拝のしおりを見ると八幡宮かも…です。


さらには



新撰組隊長、近藤勇の首塚があります。
地元では結構有名な話ですが、???という研究者の方もいるそうです。



ご由来書き





近藤勇首塚 
近藤勇は東京板橋の刑場で斬首、首は京都三条大橋西に晒されましたが同士の斎藤一が三晩目に持出し近藤勇ゆかり京都誓願寺に持ち込みました。
その後、近藤勇と縁のあった京都誓願寺の住職がこの法蔵寺の住職になったため、土方歳三ら新選組の同士達とこの寺に埋めたと言われています。当初は世間の目もあり、石碑は土で埋められ、無縁仏の様にされていました。昭和33年、京都誓願寺で記録が見つかり、また他にも文献が見つかったため、この地を掘り返し、台座や遺品などが出土したそうです。
近年この塚は近藤勇の親族関係者の努力で整備され胸像も建てられました。
お参りはさせていただきましたが、申し訳ないですが、わたし歴史に興味がないんですあんぐりうさぎ





松平家霊廟
松平広忠墓(徳川家康の父)、松平忠政墓(徳川家康の異母兄)、亀姫墓(徳川家康の長女)、市場姫墓(徳川家康の異母妹)
矢田姫墓、夏目吉信墓、鈴木久三郎墓といった方々のお墓があるそうです。



東照宮もありました。






東照宮らしさは出ているかな
「初陣勝利元康」と書留られた尊像を3代将軍家光公が祀ったとのことです。




東照宮は高台にあるので、こんな景色も見ることができましたカナヘイハート




ご本堂側から東照宮に向かうとこんな階段を上らなくてはなりませんゲッソリ




法蔵寺のイヌマキ
樹高約12メートル、伝行基手植えと言われています。



客殿
恵美壽尊(家康公の護り神)が祀られていました。



庫裏
御朱印はこちらでいただくことができました。



鐘楼門から山門を眺めます。
岡崎市指定天然記念物法蔵寺の桜があるそうですが、この桜かな?


いただいた御朱印はこちらです。




次は4月最後に参拝させていただいた寺院を紹介します。



今日も最後まで読んでいただきありがとうございましたニコニコ