私が原子力発電をやめるべきだと考える理由の1つは、

原子力発電所の冷却システムを含めての耐震設計は不可能だと思うからということです。

耐震設計というのが、地震が来ても原子力発電所の原子炉圧力容器、原子炉核納容器だけは確実に守るというレベルの耐震設計ならば充分に可能だと思います。

しかしそれだけでは不十分なことを知りました。原子炉は必ず熱を発生させて発電用のタービンをまわすところまで結びついていますし、それが循環して冷却システムともなる巨大な配管システムと結びついています。つまり核燃料によって熱せられて沸騰した水は高圧の水蒸気になり配管の中を通って発電用のタービンをまわし、その水蒸気は海水によって冷却されて水に戻り、その水が原子炉に戻ってまた熱せられて水蒸気になって発電用のタービンをまわすというようになっているわけです。この巨大な配管システムの中を流れる冷却水は直接、核燃料と接していたものであり、非常に高い放射性物質を含んでいる高濃度の汚染水です。この高濃度の汚染水が非常に長い距離を循環しているのが原子力発電所なのです。

そしてこの配管の中の圧力は70気圧です。1気圧というのは1013ヘクトパスカルで大気圧のことですが、10センチ四方の正方形の面積(100平方センチメートル)に約100キログラムの圧力がかかっているのです。1平方メートルなら10トン(1万キログラム)です。これが1気圧です。すごい圧力ですよね。ただバランスがとれているので我々は通常感じないだけです。中学の理科で習ったと思います。これに対して原発の配管の中にかかっている圧力は70気圧です。10センチ四方の正方形の面積に約7000キログラム(7トン)の圧力がかかっているのです。このような高圧の水または水蒸気が70気圧で長い距離をめぐっているのが原子力発電所です。

この発電用かつ冷却用の配管システムのひとつの配管に亀裂が入ったとか破壊されたとなれば、水かもしくは水蒸気が70気圧の圧力で1気圧の外に一挙にあふれだしてしまいます。

冷却用に使われていた放射性物質で高濃度に汚染された水です。実際に福島の時にベントを開こうとしてもそこになかなか接近できなかった理由のひとつは、この高濃度の水蒸気が漏れ出て、そこが非常に危険だったからです。

そのように高濃度に汚染された水がまたは水蒸気があふれだしてしまうことも問題ですが、こうなれば循環しなくなるので、当然に冷却ができなくなります。そのままわずか数時間でも放置されれば水素爆発やメルトダウンの可能性が生じることになります。実際に福島ではそれでメルトダウン、メルトスルーまで起こしました。そして汚染された水が漏洩すればその周辺が高濃度の放射性物質で汚染されるので、作業が難しくなります。

それでも原子力発電所に冷却システムは絶対に必要ですから、その状態の中で冷却システムを再構築しなくてはいけない状態になるわけです。

大変に困難な作業です。事故が起きた福島第一原発でも、非常な苦労をして冷却システムを新たに構築したのですが、配管の継ぎ手部分から水漏れが起きたりしてある程度でも順調にいくまでに非常に時間がかかりました。

このくらい冷却用の配管部分が大切なのですが、配管はひとつの建物のなかで収まるものではありません。原子炉建屋から出てタービン建屋の中で発電用タービンを回して、さらに海水で冷却するところまでいき、水蒸気を水に戻して戻ってこなければならないわけです。ですから巨大な配管システムにならざるを得ません。原子炉自体がだいたい縦横40メートルから50メートルくらいの大きさがあり、タービン建屋も似たような大きさがあります。そういう巨大な建物を通過していくのが配管システムです。このように長くて巨大な配管システムが地震が起こった場合、どうなるでしょうか。原子炉建屋とタービン建屋は近いとはいえ、それぞれ建っている場所が違いますから、地震のときにまったく同じように連動して動くはずがありません。多少のずれをもってそれぞれの建物が揺れるのですから、ふたつ以上の建物を連結している配管システムは非常に破壊されやすいわけです。

破壊されないようにソフトな配管にするとか、ずれても大丈夫なように可動式の配管にすることもできるでしょうが、そういうことをすればするほど、今度は原子力発電の内部を循環する水と水蒸気の70気圧という非常に高い圧力に耐える強度が減り、放射能漏れなどの別の問題を生じるわけです。

活断層の上に原子力発電所をつくってはいけないという規則がありますが、それは地震が起きたら、活断層が数十センチとか数メートルとかずれる危険性があるからです。そうなればその上を通っている配管は破断してしまいます。完全に切断されるのです。そうなれば一挙に冷却水が失われ、メルトダウンに突入していきます。そのように非常に危険なので活断層の上につくってはいけないとなっているわけです。

ところが考えてみると、たとえ活断層がなくても地震があれば、原子炉建屋とタービン建屋が若干のずれをもって振動するわけですから、両方を連結している配管には非常な無理がかかり、亀裂が入ったり、漏れが生じたりしやすいのは当たり前です。実際に過去の地震でも日本各地の原発でそういう事故が起きていますし、福島でも地震の当日の記録では、「なまじょうきだ! この原発は終わったな。」という発言をした職員の記録が残っています。

耐震設計というと、地震が発生した際に核燃料の中にきちんと制御棒が挿入されて核反応を止めることができるのかどうかが、問題になっていました。巨大地震であることを感知して、すばやく核燃料の隙間に正確に制御棒が入らなければ、核反応を止めることができないわけです。ゆれている最中にそういうように装置が自動的に働かなければなりません。

その部分も大問題でしょうが、この配管システムの問題を知るようになってみると、このことも非常に大きな問題ではないかと思います。しかも制御棒のほうは耐震レベルがどんどん上がっているようですが、このような配管システムのほうは耐震レベルの技術について聞いたことがありません。つまり建物をいくつも経由していく配管システムを含めた耐震設計というものが、今の科学技術のレベルではありえないのではないかと思っています。つまり地震が起きれば、このようないくつかの建物を連結した配管に亀裂や破損が生じるのを防ぐことは不可能だということです。

これを理解していくと、外国の原子力関係の学者が、日本のように地震が多い国に原子力発電所をつくったこと自体が間違いだという意見がよく分かるようになると思います。

青山繁晴氏が、関西テレビのニュースアンカーで小泉元首相の脱原発の会見を批判した。


批判の内容は


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【小泉元首相の会見の矛盾】 と題して、


【核廃棄物の最終処分場はつくれない】


【政治の責任は方針を出すこと】


という見出しを出して説明した。


小泉さんの主張は、


核廃棄物の最終処分場はつくれないという理由で、原発を即座にゼロにするしかない、ということだと、要約した。


ここで青山繁晴氏は、この小泉さんの主張には重大な矛盾があるといいながら、説明を続けた。


この小泉さんの主張の【核廃棄物の最終処分場はつくれない】ということは、【つくらない】ということですよね。 と無理やりくっつけてしまった。


そして、今、すでに山のようにある核廃棄物はいったいどうするんですか? 

福島の事故を引き起こした日本が、海外のどこかに売るんですか? 

外国に引き取ってもらうんですか?


こんな無責任な話はありません。


【政治の責任は方針を出すこと】と小泉さんはいいますが、【方針がない】とやってみせた。


そして小泉さんの会見を、まことに恥ずかしい、矛盾したものだ、


と言ってのけた。


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こんな卑怯な話はない。


今日のアンカーを見て青山氏に対してあらためて失望した。


小泉氏の主張は【核廃棄物の最終処分場はつくれない】であって、【つくらない】ではない。


今、日本の原子力発電所のそれぞれの格納プールには、膨大な使用済み核燃料が貯蔵してある。


これを最終処分するだけでも、絶望的に困難だ、だからこれ以上の核廃棄物をつくるような原発の再稼動はやめようということである。だから即座に原発ゼロにしようということである。


どこがおかしいのだろうか。 どこもおかしくない。


もちろん原発ゼロという方針が出てからでも、やることは残っている。

その段階から必死に日本国内で最終処分場をつくるなり、外国に引き取ってもらうなり、何らかの政策を決定していくしかない。


青山氏は、核廃棄物の最終処分場をつくるという話をして欲しかったのだろうが、


つくる、つくる、と一体、何人の政治家がほざいてきたのか、

つくれる、つくれる、と一体、何人の評論家が楽観視してきたのか、


その結果がこの状況である。


だから小泉氏は言ったのである。核廃棄物の最終処分場はつくれるというような甘い考えは捨てて、まず原発ゼロという方針を決定すべきではないか、そして核廃棄物の最終処分場について考えるべきではないか、という話である。


だからこそ小泉氏は、【核廃棄物の最終処分場はつくれない】という話をしたのである。


どこも矛盾していない。


では逆に青山氏に聞きたい。青山氏はそこまでつくるのが困難な核廃棄物の最終処分場であることを知りながら、これ以上の核廃棄物を増やす、原発の再稼動を支持するのか、と。


原発が止まっているせいで、燃料費がかかると青山氏は言っていたが、


原発が動き続けて、核廃棄物の処理経費が何兆円に膨らむのか分かったものではない。



ふつうの発電所なら修理・修繕を繰り返して長く使えるだろうし、その発電所を壊すのにもたいした費用はかからない。つまり普通の減価償却の会計処理で経費が計算できる。


ところが原子力発電所は、放射線を長く浴びると、脆性破壊の危険があるので、修理はできない。


40年過ぎたら廃炉にするしかない。


減価償却してきたのと、まったく別の費用が発生するのである。

それも信じられないくらい莫大な費用だ。


さらに使用済み核燃料を処分する費用もかかるはずなのに、こうした費用も減価償却されていない。


まったく新たに膨大な費用が電力会社を圧迫することになる。

たぶん電力会社では負担しきれなくなって、税金が投入されるだろう。


事故がまったく起こらなかったとしてもである。


原発が止まっているがゆえに、火力発電所を動かすために高い燃料を買わなくてはいけない、などという次元の話ではない。はるかにものすごい大問題が日本経済を圧迫するだろう。


だいたい使用済み燃料の恐ろしさを青山氏は認識しているとは思えない。


いったいどうやって使用済み核燃料を処分するのだろうか。


しかもこの使用済み核燃料、表面空間線量が、10万シーベルトもある大変な怪物である。


シーベルトは、ミリシーベルトの1000倍、

ミリシーベルトは、マイクロシーベルトの1000倍だから


10万シーベルトということは、一億ミリシーベルトであり、

一億ミリシーベルトということは、1000億マイクロシーベルトもあるのだ。


0.23マイクロシーベルト以上あれば、除染するのが国の基準だ。


年間で20ミリシーベルトか、1ミリシーベルトかでもめてきたが、この

使用済み核燃料は一時間で一億ミリシーベルトだ。


だからこの使用済み核燃料が空中に出ているときに人間が近くに来れば即死だそうだ。


使用済み核燃料の集合体の一体が、種類にもよるそうだが、はば20~30cmで長さ約4mもあり、やたらと長い。さらに重さが250kg~600kgということで、かなり重いし、長い。


決して扱うのが簡単なしろものではない。


機械で扱うしかない。


そして表面空間線量が10万シーベルト=1000億マイクロシーベルト


こういうものが、各地の原子力発電所のそれぞれの格納プールにほぼ満タンになって眠っているのだ。福島の事故が起こらなかったとしても、実は使用済み核燃料の保管場所がなくなってしまい、原発を停止するしかない状況だったのである。


この限りない重い現実を知れば、即座に原発ゼロにして、使用済み核燃料の処分の問題や廃炉の問題を考えていくしかないのである。


そのためには、まず第一に即座に原発ゼロを決定するべきだ、という小泉氏の見解を断固支持する。


NHKスペシャル 東日本大震災 「追跡 復興予算19兆円」を見た。


http://www.dailymotion.com/video/xtl3t8_nhkyyyyy-yyyyyy-yy-yyyy19yy_news?search_algo=2


心臓の血管が逆流するくらいの怒りを覚えた。


NHKに対してではない、その復興予算の使い方に対してである。


激怒、激怒、激怒、激怒である。


東日本大震災の復興予算として計上された予算で、次のような事業に

資金が投入されているという。


沖縄本島国頭村で行なわれている道路工事に7億円。


反捕鯨団体関連費 23億円。


国立競技場の補修費に、3億円。


岐阜県関市コンタクトレンズメーカーの工場増築工事に、いくらか、番組で言及されなかったが、経済産業省で確保した立地補助金3000億円で510件だそうだから。平均としては一件で6億円となる。

 

立地補助金3000億円の資金投入が認可された510件のうち、被災三県(宮城、岩手、福島)の分は30件しかなく、あと残りの480件(90%以上)は、日本全国にまたがっている。この補助金で岐阜県の工事もされていたのだが、数字から分かるように、岐阜県の例がたまたまあがっただけで、似たような例が全国各地でなされているわけだ。

 

立地補助金を説明している経済産業省の経済産業政策課の広瀬直課長の堂々と説明している。

 

その補助金の事業が被災地との取引を産み、被災地への経済効果はよく分からないが、経済効果があるのだから、いいのだという説明だ。

 

これが岐阜県の県庁からの補助金を、県庁の職員が説明しているのだったら、理解できる。岐阜県として被災地への経済効果を期待しつつ、岐阜県の事業に使うというのはありうることだ。

 

しかし復興予算の名目のついた資金としての立地補助金3000億円の90%以上を被災地以外で使っていることが、そしてそれを堂々と説明していることが信じられない。

 

他にもいろいろある。

 

外務省では、外国人の青少年に復興した日本を見てもらう補助金に、72億円。

 

本当に狂っているとしか思えない。

 

こうなってくると、被災地で使われている資金も、本当に必要なところに投入されたのか、非常に怪しいものである。

 


【 これは別の番組で見たことだが、がれき処理ばかりに資金が投入されている印象だ。なぜ東北のがれきを北九州まで運んで処理しなくてはならないのか、運搬費用ばかり高くついていて、その費用を生活再建に当てたいの本音だと、被災地の県会議員が出てきて、その番組で言っていた。        】

 

なぜ被害を受けた被災者たちのニーズを無視して、各省庁が19兆円をぶんどり合戦をするのか、

そこがすでにおかしいと思う。


東日本震災復興予算であれば、福島県、宮城県、岩手県、など被災した県に限定して使わせるべきだ。


そして被災者の要望に応える内容にすべきだ。これ以外の内容が出てくるのがおかしい。


まず第一に、何よりも被災した個人や家庭で家屋の被害を修復できるように、


第二に、被災した事業者に事業を再開できるように、


第三に、そして破壊されたインフラを再建するために、


第四に、原発で汚染された地域からの脱出、移住のための支援、


その地域での除染作業、健康診断、治療といった原発事故関連費用だ、


この四つの目的以外に、復興予算の使い道があること自体が信じられない。


この四つの目的が十分に達成されていて、余ったというのならば、ともかく、どこも


生活再建はすすまず、地域は崩壊したままだ。

 


結局、予算の配分ということになったときに、毎年、予算のぶんどり合戦に参加している百戦錬磨の

各省庁と、被災してぼろぼろになった気力も何も失いかけた被災者を競わせることが間違っている。

 








齋藤健 『転落の歴史に何を見るか-奉天会戦からノモンハン事件へ』 ちくま新書

 

に第二次大戦中の旧帝国陸海軍の意思決定メカニズムについての反省として出てきたことばが浮かぶ。

 

p.22 何が物事の本質か。これを議論し突き詰める組織風土を維持しつづけることだ

 

何が復興予算の本質であるべきか、これがきちんと議論されていれば、こんなことには、なっていないだろう。