出産予定日を10日過ぎたので、陣痛促進剤を使っての出産。

実家へも帰らず、たまたま総合病院の産科でずっと診てもらってたお腹。

体重が59キロあった私が臨月を迎えたときには、52キロ。

なんとマイナス!

私の祖母はずっと助産婦をしていて、私が痩せていくのを「おかしい、おかしい」と言ってた。

当時は嫁入りで、旦那の両親と狭い団地暮らしだったから私は「気苦労」だと言って笑ってた。


生まれた時のデッカイ泣き声で、私は安心し、旦那や親たちにも自慢してた。

「元気なあかちゃんだよ♪」体重も3434グラム。

ガラス越しに我が子を見た旦那の顔があまり嬉しそうじゃなかったのは一瞬気づいたけど、心に封印してしまった。

私はまだ20歳で、生まれたての赤ん坊の顔なんか見たことがなかったから何も気づかなかったのだ。

今ならわかる。

生まれたてでもどちらかの親には「似ている」ものだと。

みかんは初日からおっぱいを吸うのがへたっぴすぎた。

2日目には黄疸でブルーライト(だったかな?)の保育器に入れられた。

泣き声だけはすさまじく、身体が大きかったせいもあって暴れて保育器ごと揺れていた。

新生児検診(退院検診)で医師によばれた。

「泣き方が動物的ですねぇ」・・・(元気でいいじゃん)

「ご両親のどちらに似てますか?」・・・(?なに聞いてるの?失礼じゃない?)

最後に 「心雑音が少し聞こえます」

そう言われて私の頭の中は「心雑音、心臓の悪い子を産んでしまった」だけがグルグルし始め、医師の言葉はそれ以降覚えていない。

とにかく1週間で退院はできた。

そこからが地獄。

とにかく泣く!泣く!泣く!寝ない!寝ない!寝ない!

泣き方が普通じゃない、ほとんど叫んでる。

おっぱいは吸う力がなくて、あきらめて哺乳瓶に切り替えた。

抱っこしていればウトウト・・・・

ベッドに寝かそうとして傾けようものなら 火がついたように泣き続ける。

何度も座ったままの夜を過ごした。

旦那は6畳一間の夫婦の部屋で隣にいるのに寝ている。

それでもなんとか「お食い初め」をし、お祝い。

ところがそれを期にミルクを飲まなくなった。

飲み込まないのだ。


仕方なく、小さなスプーンで半さじづつ喉の奥に押し込む。

吐き戻しそうな苦しいゲップとともにやっと喉の奥へ。

まだ普通でも夜中に3回はミルクタイムがある時期。

冬の夜中、ミルクが冷めないように湯煎しながら毛布にくるんだみかんを抱っこして飲ませるのだが、みかんは汗をかき始める。

私も旦那の寝息とたった20ミリのミルクを飲ませるのに1時間かかるいら立ちに暑くなっていた。

3か月検診で、都内の大きな病院で精密検査を受けることになった。

入院1週間。

私は毎日しぼったおっぱいを持って電車に乗る。

同じ年代の若者が学生で、デートで、楽しそうに電車に乗っているのを私はどんな顔で見ていたのか。

面会室で15分ほどしか抱っこできなかった。

他にもあかちゃんを見舞うご夫婦は何組かいた。

でもみんな笑ってる。

みかんは笑わない。

目も合わせてくれなかった。

これは生まれてからずっとで、動くものは追うのに「目」を合わせようとしなかったのだ。

5か月、首も座らない。

血圧が150の時もあった。

何か(覚えてない)が高くてあぶないかもしれないとも言われた。

鼻にミルク用のチューブ。

直接、胃に流し込んでいたので、体重だけはしっかり増えた。

私は、ただただぼ~っと面会室の隅で抱っこして15分を過ごした。

それでも退院できた。

ちゃんとした病名をもらって。

「ウィリアムズ症候群」

私は「あぁ、障害があるんだ・・・」そう受け止めた。


5か月の みかん。
初節句。

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