ワクワクするニュースがまた飛び込んできました乙女のトキメキ

an.anの表紙に登場するのは、あれ以来ぶりですね!

あの、たまらなく初々しかった初回から7冊目ってことです。

しかも、特殊加工スペシャルエディションというので、それは特別感満載ビックリマーク

ファンの気持ちわかっていらっしゃる~笑い泣き

 

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特集の「ボディコントロール」は今まさに見たい・聴きたい案件№1ビックリマーク

 

 

 

カメラマンさんは、お馴染みあの能登直さん。

ポストカードまで付録サービス音譜

 

 

 

 

 

やっぱり!色々納得~!

 

バリバリのアスリートが女性ファッション雑誌an.anの表紙に何度も登場する例は、

かなりレアでしょう。

まっ、ただのアスリートの枠はとうに超えちゃってるお方ですから、ここは固定観念を取っ払って、未知のジェットコースターに乗り続けている私たちの特権でしょう。

あらゆる界隈に喜んで迎え入れて貰えてる感、誇りに思いますね照れ

 

来年の楽しみがあっという間に増えている~音譜

年を取るのも悪くない笑い泣き

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

千葉百音選手経歴

 

羽生君と考え方や行動や人生の流れが重なる・・・!

 

 

同じリンク(アイスリンク仙台は、練習したり鬼ごっこしてした基礎となる場所)

 ↓

同じ高校(東北高校!)

 ↓

同じ時期に覚醒(世界を見据えて拠点を変える)

 ↓

同じ大学入学(早稲田通信教育課程で、競技と両立めっちゃ頑張る人コース)

 ↓

同じ五輪出場(メダルも同様か??がんばっ!)

 

 

 

 

私には、物静かで自分をアピールすることは苦手で控えめ

…な印象を抱いていた百音選手と思いきや!

劇的に変化を遂げ輝きを増している印象の千葉百音選手。

彼女のインタビューなどで語られる「闘い方」にセンスと強さを感じたのは、ここ数か月のこと。言葉のもつ感性や色彩が強いなって感じたのです。

すると、何と!読書が趣味というから合点しました。

言葉に深さを感じた所以ここにあり。

きっと、インプットした理論を自分のフィギュアスケートに取り入れて、血肉として循環させ、生かしてきたのでしょう。

 

ドキドキなるほど、頭脳派タイプ~←【誰かと極似案件その

(印象に残る刺さる言葉に魅力)

 

 

夢の舞台へと登ろうとした18歳で仙台を離れた。「目指すは世界」と見据えた時期だったのでしょう。

濱田コーチのもとに移転した後からの飛躍は目を見張るもので、垢抜けた感が伝わってきました。

輝きにはスター性を感じ、表情も引き締まり、華やかになり、自信に満ちた強い印象になりました。

彼女の頑張りは折り紙付きで、濱田コーチが心配して制止するほどのストイックさ。

納得するまでやり続ける忍耐力と自身への厳しさ。

 

ドキドキ来た!愛すべき制御困難なレベル(笑)←【極似案件その

(羽生君の場合はブライアンが「暴れ馬を落ち着かせる」と。)

 

 

 

この愚直なまでもの姿勢が今シーズンの高成績につがったのは明らかでしょう。

そして、今年5月カナダでの強化合宿の機会も百音選手にとっては大切な要素となったと言います。

得られるものは全力で取りに行く姿勢、貴重な機会も逃すはずはありません。

確か「ダンサー」的要素をしっかり学び、あの身のこなしへと繋げたのでしょうか。

 

現在は、早稲田大学人間科学部の通信教育課程に在籍しては「フィギュアスケートに関連する学問の習得」と「最終的には競技と学問をつげた研究をしたい。今はインプットの期間だと位置づけている。」という。

 

ドキドキこの思考回路「重なる文武両道」←【極似案件その

 

 

 

ミラノ五輪までの道乗りを「よじ登る」と表現した百音選手。

「普通に登れる坂ではない。気を抜けばズルズルって下がってしまう。怪我をしたら練習ができなくなってしまう。だけれど積極的に練習をしないといけない時期。

日々の努力は微細だ、だからその中でも1日1mmでも高く飛んで少しでもうまくなれるように意識していきたい。」

 

ドキドキアスリート魂が見える言葉の強さ。

妥協を許さない姿勢&精神←【脳内処理結果、極似案件その

 

 

重ねて見てしまう脳内変換、お許しを。

 

今後、フィギュアスケートがスポーツ界に新たな賑わいを届けてくれることを期待しています。

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

羽生結弦がそこに居ないということで出てくる現象。

 

現在の日本のエースとして期待される、鍵山優真選手の苦悩は単純じゃない。

 

勝利への活望より「エースという称号の重みに押しつされそうになる」心理。

正直で切実な叫びが聞こえる気がしました。

「自分はまだエースだと思っていないのに周りがそう見る。勝たなければならないという空気が怖い。」

 

あぁ~、かつて羽生選手も同じことを言っていた時があった。

ソチ五輪で優勝した後の周囲の見る眼が変わった。年齢的にもまだ追いかける立場の自分と思っていたが、そんな甘えは許されない。トップとしての重圧を感じた。」と。

でも、その時と今の鍵山優真選手が味わっている「重圧」は明らかに違うと断言できる。

前代の残した「光と影」が異常なまで強いものだったら、後を行くものは「差」を痛感してしまう。

埋めなけばならない「差」。

 

羽生結弦の残像がいたるところで浮かび上がってくる。

羽生結弦というアスリートが常識の枠組を壊すかのような、誰も到達できない高みをつくってしまったとしたなら?

残された若者にとっては残酷かもしれない。

 

トップをひた走る「追われる立場」だけじゃない、そこにはかつて強烈な光を放っていたアスリートの眩さとその陰の濃さに視界が遮れれているのではないか?

 

鍵山選手はそんな羽生結弦が残した残像に苦しんでいるのではないか?

かつては、憧れの存在である羽生結弦の背中を見て一生懸命努力すればよかった。

でも、今は追うべき後姿は他の世界で光り輝いている。

自分自身が今のフィギュア界を背負う戦士となった。

 

羽生結弦は途轍もない存在だったと、今更ながらに思う。

メディアも、ファンも、後輩も、そしておそらくはアンチと呼ばれる界隈でも(声には出さずとも)痛感している。

 

かつての羽生結弦を取り巻く環境は、特殊過ぎた記憶が鮮明にある。

競技前のメディアの以上と迄に見える追いかける執拗さ。

集中力を脅かすほどの至近距離でカメラを回し続ける執拗さだ。

雑誌も新聞も挙って羽生結弦中心の画像を前面に出す。売れる構造。

他の選手の姿も映すが、それは羽生結弦比ではない。

 

懐かしい話がある。

羽生結弦がそこに居ることで「ユヅ君がいてくれて助かった。練習に集中できる。」と、正直に語った選手もいたな。

思わず笑ってしまったが、これは過酷な現象を言い当てている。

 

波も風ももしかすると台風並みの暴風雨がそこに吹き荒れても、羽生結弦という存在が大きな・強靭な壁になってある意味守られていた環境。

その壁が今はない。

 

会場の熱さ、歓喜の声、時には怪我で絶望の縁に追いやられても不死鳥の如く復活の物語を証明して見せるそんな絶対王者の残したレガシーは、時に「それが可能」であることをまるで標準化させてしまう見る側の心理も変わってしまった。

「怪我しても頑張れるよね」

「メディアに追いかけられても集中力途切れないよね」

「トップ選手なら歓喜の渦巻く会場を作り出せるよね」

「本当の絶対王者というものは、そこに立つだけで圧倒的なオーラを放つ存在だ」

 

無意識のうちに生まれた勝手な客側の感情も相まって…。

 

一時期、日本のフィギュア界を覆っている空気感は、特異な重力さえ帯びていた気がした。

喪失感というよりもっと重苦しい空気に感じた。

次世代をつくる若者たちが、技術的な部分では羽生結弦選手の成績迫るか、凌駕しているほど頑張っている。

でも会場が埋まらないとか、視聴率云々、放送界をも変えてしまった。地上波で流す尺が短いまたは、深夜帯などに放映する「目立たない競技」に代わってしまった。そんな声も聞こえてきた時期もあったが、今回のGPSと全日本フィギュアは私にはあの頃を思い出させてくれた熱気をみた(自分の中でも)。

 

会場には、熱心にバナーを振るお客さんが大勢いた(戻った?)。

選手が変わっても、皆さんは各選手のバナーを振っているのではないか?と私には思えるほどだった。中には、羽生結弦選手のファンがその後輩を応援するために会場を訪れていたかもしれない(これは事実ありそう)

 

 

このような話が届くたびに、やっぱり羽生結弦という人間は、もしかすると「構造」そのものが違うものかもしれないと改めて思う。

重圧も中傷も怪我の痛みさえ「燃料化」にしてしまう恐ろしい(褒めてる)魔物に近い存在、それが「羽生結弦」と、思えばよいのです。

神様が「丁寧に創られた存在」この言葉は、確かしょこたんが言ってましたね。

だから、同じものを求めてもいけないのです。

 

次世代をつくること。

その時のトップを走ることは、それ自体が強い風を前面に受けつづけるのだ。

それ以上の「異質な」期待はむしろ逆効果となる。

 

若い芽を摘むことのないように、大切に育む環境を提供したいと思った。

 

それは不幸と中傷を生むだけ。