「網膜動脈閉塞症」後編~これはこれでおもろいで~ | Jinkhairのバイカーへの道

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こちらは香川県坂出市にある理容室「Jinkhair(ジンクヘアー)」のブログです。店主が好きな「80年代HR&HMのアルバム紹介、ライブレポ」や「カメラ」「バイク」のことなど、日々の出来事などを気ままに書いております。

「網膜動脈閉塞症」という聞きなれないが、恐ろしい目の病気を発症して、突然左目の約三分の一の視力を失って数週間。

失った部分の回復は絶望的だが怖いのは再発と脳梗塞や心筋梗塞などに発展しないかなどである。

そのために今回の閉塞症の原因を探るべく様々な検査を受けた。

エコー検査、MRI検査、血液検査等。

脳外科の先生にも診ていただいて、首の血管に血栓の原因となる部分があるかもしれないが特に何らかの処置をするまでもない事。また血栓ができるのは動脈硬化や俗に悪玉コレステロールと言われるLDLの数値が大きく関わってくると言われているが、これらの数値は特に異常は認められなかった。

なのでしばらく飲んでいた血管を広げる薬も止め、俗に言われる「血をサラサラにする薬」を処方するまでもないとのことだった。

 

ところでこの一連の出来事をこのブログに書いている理由。

一つは自分の人生の中でも大きなピンチとなる出来事が起こったとき自分はどう考え、どう乗り越えようとしたのか。

それを後に振り返ったとき思い出せるように書いている。

それと当店のお客様に不安を与えかねないのに何故公開したか。

それはこの「網膜動脈閉塞症」という一般にあまり知られていないが一瞬にして視力を失うという怖い病気について少しでも多くの人に知ってもらって、もし自分にこの病気が起こったとき、正しい処置をしていただいて少しでもその目、視力を守ってもらいたいからである。

 

もし、何も痛みや脳などの異常がないのに突然目の前が真っ暗になったり、視野が欠けたりしたときはこの「網膜動脈閉塞症」を起こしている可能性がある。

そうなると先に説明したように治療は時間との戦いになる。

その時まず自分でやっておほしいのが

「眼球マッサージ」である、これはまぶたの上から指で眼球を、あまり強すぎない力で圧迫する動作を繰り返す。これにより、眼圧が低下したり、動脈内の栓子がずれて血流が改善する場合もある。

同時に救急車を呼び「網膜動脈閉塞症」の可能性を伝え、少しでも早く適正な処置をしてもらうことである。

その処置とは、心筋梗塞の発作時に使われるニトログリセリンなどの亜硝酸〈あしょうさん〉薬や血栓溶解薬、網膜循環改善薬(カリジノゲナーゼ)などを使用する、更に眼圧を下げるため、房水〈ぼうすい〉を抜く手術をしたり、低酸素状態を改善するため、高圧酸素療法を行うこともあるという。

 

発症してから時間が経過し、視神経が壊死してしまえばもうその後は何をしても戻らないのでそこのところを肝に命じてもらいたいのだ。

 

何でも失ってからその大切さに気付くものだ。

近眼や老眼はあっても目を開ければ普通に「目が見える」ということのありがたさ、素晴らしさ。

それはこれまで見えることが全く当たり前のことだったから、特別感じたこともなかった。

うちのお店にも全盲のお客様がいらっしゃるが、その方に比べると僕なんか屁のようなモノかもしれないが。

目の障害に限らず、耳の障害、手足の障害、いろいろな障害、病気があるが、障害のない人は普段目が見え、耳が聞こえ、自分の足で歩け、モノを手に持てるということに特段感激もしないし感謝もすることもない。

しかしそれはそれで素晴らしい、感謝すべきことなのだ。

 

そんなことを考えているうち、昔、25年以上前に読んだ雑誌のある記事のことを思い出したのだ。

 

その記事のタイトルははっきりとは思い出せないが…

「突然の悪夢にもへこたれないスーパーポジティブ障害者」

なんかだったと思う。

その男性は一般の方なのだが、20代の頃スポーツ事故で大けがをして下半身不随の障害を負い、車いすの生活になってしまう。

 

これがもし、自分の場合だったらと考えて欲しいのだ。

「なんで俺が…」と人生を悲観して自殺をも考えるかもしれない。

そこまでじゃなくとも、ふさぎ込んで人にも会いたくないし、外にも出たくないだろう。これからどう生きるかなどと考える余裕もなく、その非情な現実を受け入れるのにかなりの時間を要するのは容易に想像できる。

普通はそうであろう。

しかし、彼は自分が一生車椅子生活になったと知ったときどう思ったか?

 

彼はこう思った…

「これはこれでおもろいで!」

 

なんと、すごい言葉なんだろう!

「これはこれでおもろいで!」

彼自身これまで健常者だったから車椅子とは当然無縁だった、だからその車椅子生活が新鮮に思えてそう思ったというのだ。

そしてこれまでの仕事もスッパリ捨てて障害があってもできる仕事を確立させた。

そして車椅子で街に出た彼は車椅子に乗ったまま街を歩く女性に声をかけまくったのだという!

いわゆる「ナンパ」である。

ナンパ自体を素晴らしいというわけではないが、考えても見て欲しい。

街で女性に声をかけるなどという行為は普通でも勇気のいることである。ましてや自分は車椅子に乗った障害者。引け目を感じても仕方のないところなのに彼は意に介さず、

「彼女らは今まで車椅子の人に声をかけられた事がないんで面白がってか、結構相手をしてくれた」

そうである。

そしてのちに彼はこうして知り合った健常者の女性の一人と結婚したのである。

人生左右する重大なアクシデントを経験し重い障害を負いながらこの底抜けの明るさとポジティブさはどうだ!。

記事の内容をそこのところ以外よく覚えてないし、その後もう25年以上たって彼が今どうしているか知る由もないが、彼ならその後の人生もパワフルにポジティブに生きているはずである。

 

彼のような人もいれば、五体満足に生まれながら人や世間を恨み、引きこもったり犯罪を犯す者もいる。

 

しかしそれは持って生まれた性格や精神の病気だけの問題ではない。

障害を負い、ふさぎ込み、一生その運命を恨んで生きるのも、障害をものともせず彼のように生きるか。それは選択ではないかと思う。

 

結果どちらが幸せな人生になるか考えたとき、当然ポジティブに生きた方が幸せな人生になるのだったら迷わずそれを選ぶべきなのだ。

彼の行動は特異に思えるかもしれないが、実は最も理にかなった正しい選択をした結果なのである。

 

人生の逆境は色々あるだろう。

重い病気になったとき

仕事で大きな失敗をした時

失業した時

会社が倒産しそうな時

 

そんな時

「これはこれでおもろいで!」

この名言を思い出そう。

 

こう思える時、我が身に襲い掛かるどんな試練にも打ち勝つことができるのだ。

正直僕の場合、まだその心境には達しているとは言えないが…

 

病気や障害はなければそれに越したことはないだろうが、なったらなったで、それはそれなりにその人の人生において何か意味があるのではないだろうか。

 

これからもとりあえず仕事はできる!

なんとありがたいことか!

目に若干の障害はあれど、まだまだ僕の技術でお客様に喜んでいただける仕事ができるのだ!

 

「これはこれでおもろいで!」