困難の中で輝きを放つ中小企業団体・兵庫県商工団体連合会
事務局長 那須由美子さんに聞きました
​​コロナ禍のもとで幸福都市神戸は実現できるか

 

 

はじめに

 政府の「Go To」という掛け声により、有名観光地への人出は増え、消費も増加しました。それとともに新型コロナウイルス感染はひろがり、大都市を中心に感染者は日々史上最高を更新しています。
 こうした困難な中でも、私たちは幸福都市神戸の実現を目指さなければなりませんが、第一波以来の政府、自治体の感染対策および経済対策は後手後手にまわり、多くの廃業・倒産を生み続けています。 
 そんな中で、中小企業の味方として光彩を放っているのが、民商こと兵庫県商工団体連合会です。今回はその中心を担う那須由美子事務局長にお話しを聞きました。
 困難な時こそ学習、そして学び合い。学習して自ら展望を拓きましょう。 

 

 

兵庫県商工団体連合会事務局長 那須由美子
コロナ禍でお困りの中小業者の皆さんはもよりの民主商工会にご相談ください。

 

 

 

 

質問1、コロナウィルス禍の中、中小業者はどのような状況に置かれているとお考えですか?また今後どのような影響が出てくるとお考えでしょうか?

 今年の3月の確定申告を過ぎるか過ぎないかのあたりから「経営が苦しい」、ユニットバス工事の業者さんが仕事がないと悲鳴を上げておられました。これは消費税率10%の影響だと思います。それに新型コロナウイルスの感染の広がりが強いダメージを与えたようです。
 民商に相談に小学年の娘さんとこられた方がおられ、そのお子さんが「お父ちゃん仕事がないからずっと私と遊んでくれるねん」と言っていたの聞いて、とても複雑な思いをした記憶があります。
 4月の緊急事態宣言で飲食が大打撃を受けました。三宮のお店は本当にきびしい、現在もお客さんが戻ってきていません。企業が自社の社員に飲みに行ったり食べに行ったりするなと指示していたようです。 
 さらに、イベント関係の仕事は売上9割減というところもあり、持続化給付金が底をついて次の施策を待っている状態です。ただ、地域の商店はお客さんそんなに減らなかった。その地域のお客さんは遠くに買いに行けないだから地域のお店に来てくれるということになったようてす。 
 民商がずっと目指してきた地域循環型経済、地域は地域で根ざして商売をする。外需頼み、インバウンド頼みではだめで地域で仕事を起こしていくことを目指していかないとだめだと思います。
 今後についてはやはり(商売を)辞めざるをえない人が続出するかもしれない。中小企業は地域経済と雇用を支えている。そういう人たちを守っていく必要があることを私たちは訴えていく必要があると考えています。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

質問2、一刻を争う持続化給付金や家賃支援給付金、雇用調整助成金の申請について非常に多くの問題が指摘されていますが政府の対応についてどうお考えでしょうか?

 持続化給付金について制度が複雑であり職員の対応も拙く一貫性がない。さらに、申請がインターネット限定であるため不慣れな中小業者は混乱しました。また、忙しさにかまけて自主計算帳や収支内訳書が整理されていない方もたくさんおられ、その作成を支援するなど本当に苦労しました。 
 申請手続きの改善をはじめ、給付のスピードアップなどについては、日本共産党の清水ただし衆議院議員などの協力を得て国会で追及してもらい、それを力に突破してきましたが、国会では「柔軟に対応する」という答弁を引き出しても現場ではそれが徹底されず中小企業庁に直接要望することもありました。
 持続化給付金や家賃支援給付金については書類での対応をすべきで、わからないところは電話や窓口で対応すべき、そもそもこういう対応を民間企業ではなくこんなときこそ自治体がすべきだったと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


質問3、行政には非常に重い責任があると思いますが、神戸市・兵庫県の対応をどう評価されておられるでしょうか?

 神戸市は持続化給付金の申請を行政書士に委託して申請サポートの窓口を設置するなどしたようですがそれにしても対応が遅すぎた思っています。
 それに行政書士さんは行政書類の作成はできるかもしれないが財務・税務に関する知識があるのかという疑問はあります。それと神戸市の家賃支援補助はそもそも家主さんが横向いていまったら受けられない。トラブルも多いと聞いていますし、相談自体が少なかった。国に先駆けてやったと胸を張っていたがどれだけ効果があったか検証すべきだと思います。
 チャレンジ補助金などは一定経済効果はあると思うが、それも申請の手続きをできる人はいいが、神戸市のできる人は支援してあげるがついてこれない人は置いていきますという姿勢はどうかと思う。
 兵庫県知事に関しては数々の「迷言」を残されましたね。 
 最近ですと「コロナが出たお店は食中毒と同じだ、営業停止だ」といっていた。正直呆然とした。コロナウィルスを出したくて出したお店なんて一つもない。自分たちで感染防止の努力をしてそれでも出てしまったら「食中毒」と同じという発言が出てしまう知事に多くの人が失望したと思います。
 そして25年の間に保健所をどんどん減らして検査のための専門医をどんどん減らしたことがこのコロナであかるみにでました。また、感染を受け入れる病院がないということも問題です。
 こういうことを我々も含め、市民目線でもっとチェックしていく必要があったと思います。





質問4、昨年の消費税の増税、新型コロナの影響がさらに重くのしかかっています。今後どのような運動が必要でしょうか?

 諸外国が付加価値税を下げている。ドイツなどはすぐに動いた。GOTOキャンペーンなどで「一定の効果」で終わらせるのではなく国民全が助かる道は消費税の減税だと思う。自民党議員を含めて「消費税減税」750人の国会議員のうち220人ぐらいの議員が減税が必要と言っているので政治の決断があればできるはずです。
 しかし菅義偉首相は逆に「10年後にさらに増税が必要」といってみたりしている。消費税は所得があろがなかろうがかかってくる。商売に直接影響する税金。国民の声の力で消費税減税を迫るたたかいを進める必要があると思います。
 また、持続化給付金や家賃支援給付金、また今後予想される新設される制度のためにも自主計算と学習の力は本当に重要になってくると考えます。自分の商売を知り、自分の商売に誇りをもってもらいたいですね。
 中小業者が地域の雇用、経済を支えている、そういう自覚をもって商売を守ってもらいたい。支持の実態を知って怒りを組織していきたい。
 自治体や行政に向けて中小業者に実態を知ってもらって地域の中小業者が生き残るための知恵を貸してくれと、そういう協力体制作るべきだと思います。
 コロナ禍の中、民主団体の活動が非常に制限されて難しいと思いますがお互いに頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

​​​​質問者―内海恵太さんの感想(神戸人権交流協議会民主企業組合)​
 
内海恵太那須さんのお話は、中小企業運動の最前線に立たれ常に地域の商売に寄り添ってきた民主商工会だからこそ聞ける大変貴重な意見でした。今後、コロナでなかなかインバウンドを回復することが難しい中で、那須さんのおっしゃったように神戸の経済を立て直すために地域の中小企業が元気を取り戻し、地域の核となって底から景気を押し上げる必要があるとあらためて感じました。  また持続化給付金や家賃支援給付金などの申請で、当初「収支内訳書」の添付を認めないなど非常に問題の多かった制度が次々と改善されてきたのは民商の粘り強い要望でありました。  民主企業組合では民商のこういったねばり強い運動からもしっかり学び、組合員の商売を守るためにより強い組織を目指してまいります。

 

 

 

 

 



連載・草の根から幸福都市神戸を⑥ 「自助・共助・公助」で国民は幸せになれるのか  池田  清 元神戸松蔭女子学院大学教授

 菅義偉首相は、2020年10月の臨時国会の所信表明で「自助・共助・公助」と「絆」を日本の国の目指すべき社会像としました。「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする」そういう「政府を目指す」。そのため「規制改革を全力で進めます」と表明しました。
 「自助・共助・公助」の本質は、菅政権のブレインである竹中平蔵(パソナグループ会長、国家戦略特別区域諮問会議議員)の次のような主張に端的にあらわれています。竹中は、「パンデミックの今こそ新しい改革のチャンス」として、「国民全員に毎月7万円を給付する」ベーシックインカム(最低所得保障制度)と引き換えに、「年金や生活保護などの社会保障の廃止」(竹中平蔵『ポストコロナの「日本改造計画」』2020年8月)するという提言にみられます。 
 竹中平蔵は、米国型の格差と貧困をもたらした小泉「構造改革」の先導役をつとめた人物で、「今だけ、自分だけ、お金だけ」という極めて利己的な人間観にもとづく政策をすすめる人物です。

◯竹中のベーシックインカムは、以下のように図式化されます

①現行制度の社会保障の負担と給付(2016年度予算ベース)
税や保険料を支払うが、年金受給、医療自己負担1-3割、失業給付、生活保護などがある。
負担118.3兆円=社会保険料66.3兆円+国税32.2兆円+地方税13.1兆円+その他6.6兆円
給付118.3兆円=年金56.7兆円+医療37.9兆円+福祉・介護その他23.7兆円

②ベーシックインカム導入後の社会保障の負担と給付
保険料の代わりにベーシックインカム税を払う。年金、生活保護廃止。医療全額自己負担。
負担約100兆円=ベーシックインカム税48.1兆円+国税32.2兆円+地方税13.1兆円+その他6.6兆円。
給付約100兆円=ベーシックインカム約100兆円(1億2千万人×7万円×12カ月)
竹中によれば、「自助・共助・公助」は月7万円で生活しろというものです。これで人間らしい生活ができるのでしょうか。


 

 

 

川から観る神戸市民の深層 

神戸の川―伊川(西区)を歩く

​​​​​​太山寺―疫病退散の祈りの地 ​​​​​​​​​​​
伊川を紹介する上で太山寺を抜きには語れません。太山寺は神戸市西区伊川谷町前開にあります。
市域から離れた農村に広大な敷地と立派な伽藍を持ち、神戸市では唯一国宝を所有する寺院なのです。しかし、​神戸市民は近くにある温泉保養施設に訪れることはあっても参詣する人はめったにいません。
関心がないようです。
「播州太山寺縁起」によれば、開山は中臣鎌足(藤原鎌足)の長男定恵、創建は孫にあたる藤原不比等の三男の藤原宇合(うまかい)とありますから、藤原氏に縁の深い地であったようですが、その理由は定かではありません。
宇合は藤原氏全盛時代の基礎を築いた大物。しかし、天平9(737年)年、平城京に疫病が広がる中、藤原四兄弟の最後に病没しました。享年は44。
当時、疫病退散は今も昔も国家の大事業。恐らく疫病退散と病気平癒を願って全国に建立された寺院のひとつであったのでしょう。
古代でも、細菌、ウイルスとのたたかいは総力戦だったようです。​​

 

 

 

 

​​​​​​​信仰は薬師如来から阿弥陀如来へ​​​​
奈良時代から平安時代に疫病がはやり、飢饉が続く中、権力基盤がゆるぎはじめると、時の権力者藤原氏は国分寺、国分尼寺を作らせ、疫病退散を願いました。その信仰の中心は薬師如来でした。​太山寺の本尊も薬師如来です。
この仏は病気を治癒して延命してくれるだけでなく、禍を消去し、衣食などまで与えてくれるという無明(「原因のわからない」)の病を直す万能法薬を与える医薬の仏なのです。
とくに薬師如来信仰は天皇・貴族の間に広まり、現世利益信仰として人気を集めました。
しかし、薬師如来は平安中期以降人気を失い始めました。いくら熱心に信仰しても疫病にかかると助からないことが人々に理解できるようになったからです。
​そうした中で、浄土教が広がり始めました。人々は疫病や飢饉で死んだとしても、死後の世界が現世よりも素晴らしいものであれば、いいと考えはじめたのです。そこから浄土教信仰が広がったものと考えられます。
太山寺に阿弥陀如来が安置されたのもその変化に対応したものと考えられます。​
仏さんにも流行があるようです。​​

 

 

 

 

​​​奥の院の地蔵菩薩たち
仏さんにも流行があるようですが、すたらない信仰もあります。
太山寺は深い原生林の入口にあたります。その原生林の入り口には奥の院があったとされ、奥の院へわたる閼伽井(あかい)橋があります。その下を伊川の支流である太山寺川が流れています。
奥の院の区域に足を踏み入たましたが、奥の院という建築物はなく、その痕跡もありません。あるのは鬱蒼とした木々の陰と川の湿気のせいで青苔がはびこっている岩石と静清な空間だけです。
その空間に立つと、大きな岩の下から湧き出すように太山寺川は現れ音をたてて流れていくのが感じられるのです。
太山寺の聖域はここのようです。
すたらない信仰は聖域信仰です。人間は原始時代より自然に神の存在を感じていました。その​神の宿り場こそが聖域なのです。
清流が流れ出している付近には十数基の地蔵菩薩が安置されています。
太山寺は信仰の深い森です。庶民の信仰、天皇・貴族の仏教、そして農民の仏教が静かに積み込まているのです。​

 

 

 

 

 

 

​​​​​伊川―「ふるさと」と「荒城の月」​​​
伊川は、明石城公園の北側を流れています。 この公園は国の史跡明石城跡を整備した歴史公園である。園内には櫓や堀、石垣といった城跡があり、近年の「城ブーム」にのって来訪者が増えているといいます。
明石城は1618年小笠原忠政が徳川秀忠に命じられて築城された。日本100名城に選ばれている。徳川幕府の西国の外様大名の抑えの拠点の城としてつくられた。天守閣のない城です。
平山城である明石城本丸からは、明石駅前に立ち並ぶビルの向こう側に淡路島が見え、東は明石海峡大橋等を眺めることができるのです。
周辺地域に住む高齢者の一人は「子どもの頃、この川で魚をつかみ、魚釣りをし泳いでいた。城の公園も遊び場だった」と懐かしげに当時を語ります。
ここは「兎追いしかの山、こぶなつりしかの川」の「ふるさと」と「荒城の月」が一緒に体験できたのだ。​​

 

 

 

 

 

 

 

 

​​​​​​​​コロナ禍でも合流点に咲いたひまわり​​​​​​​​
伊川は明石城跡の北側を通り西区玉津町上池で明石川と合流し、そこから明石川と名を変える。 この十数年前、付近の有志が不法投棄されるゴミ、汚れた排水が川の水質を汚染することで、水生動植物を減少させ、環境を悪化させていることに危機感を持ち、周辺地域の住民に身近な川の環境に意識を向けてもらい、それを通じて自然環境の大切さを理解してもらおうと「伊川・明石川合流点を楽しむ会」を結成しました。
それ以来毎年、合流点にひまわりを育て見事に大輪の花を咲かせ、「ひまわりまつり」を開催してきました。
今年はコロナ禍で人が密になってはいけないから「やめよう」という声もありましたが、こんな時こそ風のある河川敷を散歩しながら、コロナで緊張した心を癒すことは大切であろうと、規模を縮小してひまわりを育てました。 コロナ禍の中で河川敷を散歩しながら、心を癒すことは大切であろうと、今年も合流点にひまわりを育て見事に大輪の花を咲かせました。
コロナ禍で見せた住民の小さな心意気でした。​