神戸市のめざす「スマート自治体」は市民を幸福にできるか
               ―『行財政改革方針2025』を深読みする―


 はじめに
 神戸市は『行財政改革2025』(「改革2025」)を市民に提起し、8月6日を締め切りに意見募集を行った。その趣旨は人口減少と少子高齢化にともない経済規模が縮小することで、市税収が減少することを前提にして、社会福祉関連予算の増加、老朽化する都市基盤の更新に備え、行財政改革に取り組むというものである。
 行財政改革の視点は、「前例踏襲で継続してきた事業」「総花的な行財政改革」を否定し、より大きな改革効果の期待できる事業を「選択と集中」して行うというものである。そのために局室区の経営感覚の重要性を強調し、「従来の事業や施策も聖域なく『やめる勇気』をもって選択することが求められる」と、行政方針としては珍しく明確な表現で市職員に覚悟を迫っている。
 私たちはこれまで神戸市の市職員の不祥事が発生するたびに、劣化した官僚主義の弊害を指摘してきた。そうした視点から言えば「前例踏襲」「聖域」のない改革を局室区に求めることは歓迎すべきことではあるが、方針内容を見ると主に「デジタル技術」を積極的に活用することで、持続可能な行政サービスを提供するとある。つまり神戸市行政全体を「デジタル化」するということのようである。
 「デジタル化」とはIT・AIを導入し、施策の効果、市民サービスだけでなく、市職員の労働まで記号化・数値化し、仕事上の無駄をはぶき効率化をすすめることであるが、無駄をはぶく、効率化するとして必要な施策や市職員が削減されることも予想されるのだが、そのことは一切触れられていない。
 さらに、「デジタル化」が旧来の社会システムを破壊し、人間を少数のエリートと無駄な大衆に分別する危険性があることについても論議をしておくべきにも関わらず、論議はされていない。
 この改革を市民と市職員の基本的人権を守るものにし、IT・AIの導入を市民と市職員の幸福につながるものにするために、総合的で多面的な議論が必要であると考える。特に、神戸市職員内部での論議が必要であると考える。
 私たちはそうした視点で神戸市に対して意見書を提出させていただいた。






                




                       「神戸2025 ビジョン」への意見 



 策定趣旨の人口減少、高齢化社会の進展による「本市をとりまく財政状況はより一層厳しくなる」という問題意識は共有できるし、市民全体としても理解を深めていく必要があると考える。
 特に「前例踏襲で事業を継続したり、総花的に行財政改革に取り組むのではなく」という視点はこれまでの官僚主導による開発主義を見直すうえでは重要な観点であると考えるが、「スマート自治体」の実現のために、市行政機構や機能を末端までIT・AI化するというのは、いささか先走りすぎではないか?
 IT・AI化が必要とされていることは理解できるが、それによって生まれる弊害について充分な検討が必要であると考える。それが以下の内容である。

①IT・AI化の進展により市職員の大幅な削減が行われる危険性がある。
②IT・AI化をすすめるために市職員に対する強制的な研修が行われる危険性がある。
③IT・AI化により、情報がトップに集中し、行政判断がIT・AIに委ねられ、議論・討論の機会が失われてしまう危険性がある。
④IT・AI化により、個人情報流出などの市民トラブルが多発する危険性がある。
⑤IT・AI化に対応できない「IT・AI難民」が多数生まれる危険性がある。

 行政機能の利便性を高め効率化することが市職員の能力や意欲を高めることにはならないし、そのまま市民サービスの向上にはならないことはいうまでもない。
人間都市、幸福都市神戸を実現するためにIT・AIを活用するという視点で熟慮されたい。
 


                                             
                                                  安心・しあわせネットワーク神戸人権交流協議会
                                                                            代表幹事 森元 憲昭



 

                                          



1、IT・AI社会にまい進する政府と自治体

 コロナ禍の下でのIT・AIの活躍はめざましい。テレワーク、リモート会議、キャッシュレス決済、流通、持続化給付金の申請など、市民生活に欠くことのできない社会基盤となっている。さらに、今後は自動運転や、ドローンの自動配送、遠隔診療などのサービスの提供にも利用されることになる。
 こうした社会のデジタル化を踏まえ、政府はAIやITなどの先端技術を活用した都市「スーパーシティ」構想を実現するために、「改正国家戦略特区法」を5月27日成立させた。この法律は物流、医療、教育などあらゆる分野の先端技術を組み合わせ、その相乗効果で住みやすいまちをめざすというもので、改正法で複数の規制改革事項を一括して進めることができる。例えば先端技術を活用した高度な医療機関の設置や通院予約、通院のためのタクシーの配車予約を連動させることなども可能だという。
 特区の指定を受けた自治体は国や民間企業と区域会議を設け、必要な規制緩和を含む事業計画書を作成する。住民の同意を得た上で国に申請すると、首相が担当省庁に規制緩和の特例を求め、新たな手続きの導入で迅速な改革を進める。
 神戸市の「スマート自治体」構想はこの「改正国家戦略特区法」に基づくもので、「スーパーシティ」構想を神戸市の行財政改革に適用したものである。

2、IT・AI社会は無駄な人間を切り捨てていく

 世界的な歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは最新の著書の『21Lessos』の中で、「ITとバイオテクノロジーが融合することで、間もなく何十億もの人が雇用市場から排除され、自由と平等の両方が損なわれかねない。ビッグデータを利用するアルゴリズムがデジタル独裁政権を打ち立て、あらゆる権力がごく少数のエリートの手に集中する一方、大半の人は搾取ではなく、それより悪いもの、すなわち無用化に苦しむことになるかもしれない。」と、人類の未来が絶望的になるかもしれないことを指摘する。
 「スーパーシティ」とはIT・AIによって「無駄のない利便性の高い社会」を実現することである。では「無駄のない利便性の高い社会」とはどんな社会なのか?スマートホン(スマホ)、パソコンで検索すれば、道路案内、天気・災害の情報がすぐに得られ、住民票や印鑑証明は窓口まで行かなくてもとれるようになり、銀行の決済、各種申請もすべてスマホでできるようになる。
 しかし、「無駄」は形式や手続きだけではない。人も徹底的に削られていくことになる。道路地図だけでなく本・情報誌は売れなくなる。区役所の住民票や印鑑証明を発行する部署は削減されることになる。そのことは銀行に行けばわかる。ATMの前に行列はできていても窓口に客はほとんどいない。やがて地下鉄は運転手なしで運行され、市バスも自動運転になるだろう。科学技術の発展が人間を阻害するのだ。
 それでも市役所の事務職、中でも管理職の中には「自分は大丈夫だ」と考える人たちもいるだろうが、「前例踏襲で継続してきた事業」しかできない管理職にIT・AI以上の仕事ができるとは考えにくいから削減される。いずれにしても市職員全体が減少すれば事務職や管理職も減少せざるを得ないのだ。
 神戸市の提案する「スマート自治体」とは神戸市職員の仕事をIT・AIに代替させ、持続的に削減していく提案なのである。

3、IT・AI化による神戸市の「改革2025」の問題点
 
 総務省の調査によれば、2018年における世帯の情報通信機器の保有状況は、スマホは79.2%、「パソコン」(74.0%)を上回っている。また、「固定電話」は64.5%となっている。
 今後、「ガラケー」は使用できなくなるといわれており、スマホの所有率は9割を超えることになり、国民のほとんどがスマホという高機能な小型端末を持つことになるが、遠い将来は別として国民の全てがその機能を活用できるとは限らない。実際に高齢者の多くはスマホを電話と道案内にしか利用できていないようである。
 そうした状況の下で、神戸市の「改革2025」は「やめる・へらす・かえる」(「重点項目」より)ために行政の機能のIT・AI化を提起しているが、市民のレベルを考えると容易ではない。そのことはスマホによるコロナ給付金申請が大混乱を招いたことをみればわかることだ。特に、IT・AI化を進めるために必要条件であるマイナンバー制度が市民の拒否にあって定着していない現状から見ても、「改革2025」が簡単に進むとは考えられない。神戸市長がトップダウンで強行しようとすれば市職員と市民との軋轢は避けられないであろう。
 さらに、IT・AI化で大きな問題となるのは、市民や市職員のデータが集約され、監視される社会が生まれることである。「改革2025」では「定期的な意識調査を実施する」(「数値目標」より)とあり、市職員の内面までが指標化され、指導されることになるようである。
 この「改革2025」はIT・AI化をすすめることで、市税収入の減少を神戸市職員の合理化で補いつつ、市民サービスの削減を進めようとしていることは明白。神戸市長は堂々と包み隠さず提起しているのだ。
 市民は勿論、神戸市職員は意見を上げ、討論をまき起こすべきではないか。
 

 

 

 

 

川のこと、考えてみよう
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」(『方丈記』鴨長明)

川の流れを一日中眺めていると、川辺に生活を営み世代を交替しつづけてきた人間の歴史を彷彿とさせる。『古事記』『日本書紀』に「川で禊をすることで神が生まれる」という神話があるように川は農耕民族である日本人の歴史と精神風土の中に根付いているのだ。
だが、今の私たちは川のことをあまり知らない。特に農業や川漁業に携わることのない都会人は川は散歩する、夏に水あそびをする場所としか考えていないようだ。
気候変動により、集中豪雨の回数が増加し、河川の氾濫により、家屋や人的被害が増加し続けている。
「これまでに経験したことがない危険」が迫っていることを予告する「大雨特別警報」が連発されるようになっている。
川は恐ろしいもの、制御できない怪物になりつつあるようだが、果たしてそうであろうか?一度しっかりと考えてみようではないか。


 

 

 

 

 

 

都賀川を歩く-市民が再生した川
都賀川(二級河川)は六甲山から流れてきた六甲川(ろっこうがわ・向って右)と、摩耶山から流れていた杣谷川(そまだにがわ・同左)との合流点(灘区篠原中町)より始まる。ほぼ、灘区を南北に貫流し、大阪湾に流れ込む。
都賀川は、かつてはゴミとヘドロで埋め尽くされた「どぶ川」だった。
周辺地域の居住者が中心となり、「都賀川を守ろう会」が1976(昭和51)年に結成され、「子どもたちが魚とり、水遊びができる、美しい水辺を取り戻した」という願いをこめて活動を続け、ゴミを引き上げたり、車に拡声器を積み、川を汚さないようにと訴えるなど、市民運動を広げた。
市民運動に応え、兵庫県も魚道の整備、産卵用の砂を敷き、川を蛇行させて流れを緩やかにした。その結果、鮎をはじめ清流にしか住まない魚が復活した。

 

 

 

 

 

都賀川は暴れ川
​二つの川が合流し、ほぼ一直線に流れる都賀川は、六甲山に大雨が降るとたびたび洪水を引き起こし、大きな被害を発生させた。
これは神戸開港による六甲山の開発と急速な都市化にも原因があるといわれている。
神戸市では、昭和13(1938)年、昭和36(1961)年、昭和42(1967)年に洪水が発生した。特に昭和13年の阪神大水害は神戸市内の河川周辺に未曽有の被害をもたらした。 
大規模な災害を経験した神戸市は防災、治水対策を推進し、都賀川は1996年から2005年にかけて河川改修が行われた。 
この河川改修では治水対策だけでなく、市民の要請を受けて環境への配慮を踏まえた親水施設をも整備した。

 

 

 

 

都賀川―水難事故の石碑
2008年7月28日に兵庫県神戸市灘区の都賀川で水難事故が発生した。原因は突発的、局所的な集中豪雨だった。
水遊びなどで都賀川や河川敷にいた小学生2人、保育園児1人を含む5人が死亡した。水難事故の犠牲者を鎮魂する石碑の隣に、都賀川利用の誓いの看板が立てられている。そこには「私たちは、改めて川の怖さをしりました。これから川で楽しく遊ぶために次の約束を守ることを誓います」と書かれていた。
事故発生前には大雨洪水警報が発表されていたが、河川にアナウンス施設はなく、河川や河川敷にいた大半の人は警報発表を知らなかったために不幸な事故は発生したのであって、犠牲者は「川の恐ろしさを知らなかった」わけではないはず。
知らなかったのは危険な「突発的、集中的な集中豪雨」の発生ではなかったか。その根源に自然破壊による危機が深刻さを増していることだ。

 

 

 

 

 

管理・監視―川の危険性を予知する
国土交通省および神戸市は事故の被害を拡大させた最大の原因は、『気象警報を河川にいる人たちに向けて知らせる設備がなかったこと』と判断し、都賀川に大雨洪水警報および同注意報発表時に点灯する回転灯を設置した。また、神戸市では表六甲の河川約30か所に河川モニタリングカメラを設置している。
多々納裕一京都大学防災研究所教授は、上記の土木学会の調査の一環として京都大学と神戸大学の研究チームが事故後に行った付近の住民の意識調査を踏まえた上で、都賀川沿いは子供たちが親しめる環境である一方で、川自体が氾濫する危険性も秘めていることを認識する必要があるとして注意を喚起している。

 

 

 

 

都賀川を地域住民の力が変えた
夏の好天の日には近所の保育園や幼稚園児のプールになる。水がきれいで、浅く、流れもゆるやかだから、幼児たちには絶好の遊び場である。
昭和50年頃まで、都賀川は「どぶ川」であった。川の環境が変わったのは、そうした状態を憂いた都賀川沿川地域の住民が立ち上がり、「都賀川を住民の手で汚染から守り、区民の憩いの場にしよう」と、「都賀川を守ろう会」が結成され、定期的な清掃活動、自主的な啓発活動が進められたからである。こうした住民の活動の広がりに対応して、行政による都賀川河川公園の整備や魚道の整備が進められた。
その結果、川に子どもたちが戻ってきたのだ。
川は雨水を流すだけの場所ではなく、ライフサイクルの一座を占めるものとなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

川は環境教育の場である
都賀川の河川敷を歩くと、『都賀川に生きる魚たち』という看板に出会う。アユ、オイカワ、カワヨシノボリなど、清流にしか住めない川魚が生息していることを説明している。
多様な川魚の存在は、生物の多様性と生命の大切さを教えるだけでなく、自然の循環を体感させる。
文部科学省は「現在、温暖化や自然破壊など地球環境の悪化が深刻化し、環境問題への対応が人類の生存と繁栄にとって緊急かつ重要な課題となっています。(中略)国民が様々な機会を通じて環境問題について学習し、自主的・積極的に環境保全活動に取り組んでいくことが重要であり、特に、21世紀を担う子どもたちへの環境教育は極めて重要な意義を有しています」と、環境教育の必要性を提起している。

 

 

 

 

都賀川―歩き疲れたら沢の鶴
沢の鶴資料館は都賀川の右岸、灘浜住吉川線の手前にある。
沢の鶴酒造は、享保2(1717)年創業の老舗酒造メーカー。沢の鶴酒造は、もともと藩米を取り扱う両替商だったが酒造業を創始した。
資料館では兵庫県の重要有形民俗文化財の指定を受ける灘の三段仕込みで使用した樽、酒を運んだ樽廻船、菱垣廻船(ひがきかいせん)の模型も展示され、灘の酒の流通の仕組みがわかる。
隣接してミュージアムショップも併設され、沢の鶴資料館ショップ限定の生原酒も販売されています。酒飲みの大好きな試飲も可能だが、未成年と運転手は許されていません。


 

 

 

都賀川河口には釣り人
六甲山から流れてくる川には山の栄養が豊富に含まれているから、プランクトンが大量に発生するために河口付近にはに小魚が集まる。そして、それを求めて大型の魚も集まるから魚影は濃い。
都賀川の河口釣りのポイントは公園の北側になる場所。このあたりはシーズンになるとサビキでのイワシ釣りやアジ釣りを楽しむ家族連れでとても賑わっている。
河口近くには公園やガソリンスタンドがあり、そこにはトイレもあるので小さな子供さんや女性の方を連れて行っても長時間釣りを楽しむことが出来る。 
さらに奥に行けば夜間に太刀魚釣りの常連さんがよく釣りをしている。タコやイカもシーズンインすれば多くの釣り人で賑わっているが、当然のことだがゴミや釣り糸、釣針は必ず持ち帰るようにしよう。
都賀川は市民の自然を守る運動で再生した川。それは河口でも守らねばならない。