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国家の規制で「ネット差別」が 
 消える社会はいい社会ですか?
​​      女子プロレスの木村花さんの自殺と「ネット」規制​​​
 
 

      

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はじめに キルケゴールの人間の「絶望」と「可能性」から​​​​​

 哲学者キルケゴール(1813年-1855年・デンマーク)は、著書『死に至る病』の中で、「人間には必ず死が訪れる。どんな人生を送ろうと、いつか死ぬ。だから人間はいつも絶望している」といい、同時に、人間は「可能性」によって生きられる存在とも言っています。  「どんなにお金ができても、有名になっても、どうせ死んでしまう」のだからと考えれば絶望的になりますが、「いずれ金持ちになるぞ、いずれ有名になるぞ」と自分の将来の「可能性」を考えて生きている過程はどんなに苦しい生活をしていても人生は楽しいということです。  強いストレスの状態にさらされると、気分を安定させる脳内神経の働きが悪化し、うつ病の状態が発症します。それをこじらせると自殺発生リスクが高まるといわれています。いつもはすぐに気持ちの切り替えができるような人でも、自分の将来の「可能性」を見失い、絶望すると、最終的には「自殺」という解決策以外、頭に浮かばなくなってしまうことがあるのです。  自殺は極めて悲劇的な出来事であり、まわりの人間に深い衝撃を与え感情的にさせますが、極めて個人の複雑な精神活動によって発生するものであり、その原因を究明する際には慎重に行うべきであり、勝手に推量してはなりません。ましてや政治利用しようとするなどは悪魔の所行というべきものであり、厳に戒めるべきことです。

 

 

神戸の​​川物語-湊川のはじまり
湊川は南北朝時代の湊川の戦いでも有名だ。湊川の源流は再度山(ふたたびさん)北麓付近に発した天王谷川が神戸市北区を廻って国道428号沿いに南下、中流域の兵庫区で石井川と合流して湊川となる。
旧湊川は石井川のすぐ下流にある洗心橋付近から兵庫港に向かって流れていたが、幾度となく河川が氾濫し、度々その流路を変じて田を荒らしていた。
明治の近代化により、兵庫港付近に造船・重工業施設が集中するとともに都市の膨張がすすみ、都市を縦に分断する川の付け替えが必要となったた。
1901年(明治34年)に新湊川の開削(湊川の付け替え)を進めた。
新開地は旧湊川の水が流れなくなった跡にできた歓楽街であり、その繁栄ぶりは「東の浅草、西の新開地」と謳われるまでであった。​

1、女子プロレスの木村花さんの自殺と「ネット」規制​​ 

 

 木村花さんは5月23日に自殺(享年22)しました。自殺の原因は、2019年9月からネットフリックスで配信され、フジテレビでも放送されていた人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していた中での花さんの言動に対するSNSでの誹謗(ひぼう)中傷にあると言われています。

 

◯花さんの死はテレビ局の「やらせ」が原因?

​​  『週刊文春』(7月9日号)によれば、「花さんの死を契機に、政府は悪質なSNS投稿に対して罰則を含む法規制強化に動き出している。だが、事件の本質はそこにはない」として、取材班が取材した結果、花さんがSNSで誹謗中傷された原因として制作側が悪役プロレスラーの花さんを番組の中でも悪役を演じるように追い詰めていく演出があったと報道しています。  花さんの死は本意ではない「やらせ」を要求され、葛藤し、苦しんだ末の死であったようで、演出された映像を見た一部の視聴者がSNSで誹謗中傷したことは主要な要因ではなかったようです。  こうした事実を踏まえず、自民党が短絡的に花さんの死をネット上の「誹謗中傷・人権侵害」と位置づけ大騒ぎする姿はいささか便乗的で軽薄のような気がしますね。  自民党は「森加計問題」、「桜を見る会」、特に「検事総長の定年問題」などでSNSが世論形成に大きな影響を与えていることに危機感を持ち、花さんの死によって、ネット上の誹謗中傷への批判が盛り上がっているのを利用して、言論規制、匿名での権力批判封じ込めに乗り出そうとしているのではないかという疑念が広がっています。

 

※人間は天使でもなければ、獣でもない。しかし不幸なことは、天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動する。

​パスカル(『パンセ』中央公論社)
 
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​​​​​​​阪神大水害慰霊塔―70万人のボランティア
1938年(昭和13年)7月3日から7月5日にかけて、神戸市及び阪神地区で発生した水害。 死者616名、傷者1011名、全半壊家屋8,653戸とある。
当時、住吉村(現・神戸市東灘区)に住んでいた谷崎潤一郎は、「細雪」に大水害の様子を、「六甲の山奥から溢(あふ)れ出した山津波なので、真っ白な波頭を立てた怒濤(どとう)が飛沫(ひまつ)を上げながら後から後から押し寄せ来つつあって、あたかも全体が沸々(ふつふつ)と煮えくり返る湯のように見える」描いている。
石碑によればこの大水害における救助・救援・復旧作業には市内外の協力者が70万人をこえたとある。災害ボランティアはすでに存在していたのだ。

●詳しくは2018年10月11日・「人間愛の欠落した人権教育は必要か―神戸市垂水区の中三少女自殺から」を参照してください。​​

 

 

 

2、「ネット規制」へ自民党の素早い対応?​ ◯規制ではなく最低限の改善が必要  

 

 高市早苗総務相は記者会見(6月2日)で、花さんが死亡した問題を受け、当初予定した11月の総務省有識者会議の取りまとめを前倒し、7月に対策を取りまとめると明らかにしました。  自民党は「インターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策プロジェクトチーム」(自民党PT・座長三原じゅん子参議院議員)を立ち上げました。その会合では、投稿者の情報開示どころか、匿名投稿の規制や侮辱罪などの厳罰化を求める声があがり、意外にも基本的人権を軽視してきた自民党が人権侵害に対して厳しい態度を示しているのです。

​ 「プロバイダー責任制限法」(インターネットに接続するサービス事業者の責任を明記した法律)には発信者情報の開示請求権が規定されていますが、実際に、発信者情報を開示させたり、損害賠償をもとめるためには、(1)SNS事業者などのコンテンツプロバイダーへの開示請求。(2)携帯キャリアーなどのアクセスプロバイダーへの開示請求。(3)損害賠償請求と、実質的に3段階の裁判手続きが必要になります。また、訴訟を起こしたいと思って弁護士に相談したり、警察に行っている間にアクセスログの保存期間(3~6カ月程度)が過ぎてしまい、加害者に逃げられてしまうというのです。​ ​ ネット上の誹謗中傷について日本の警察に寄せられた被害相談件数は、2017年では11749件にのぼり、年々増加してきているそうです。花さんのように被害者の中には精神的苦痛により自殺・自殺未遂をした人たちもいるそうですが、前記のように、多くの場合は発信者の特定がプロバイダ―の壁に阻まれ特定できないようです。こうした事態を踏まえると悪質な発信者に反省を求めるためには素早く発信者を特定するための最低限の改善は必要のようです。 

 

 

 

​​​​石井川―洗心橋
石井川はたびたび氾濫し、人家や田畑に大きな被害を与えてきた。
六甲山系の木は江戸時代から薪や家の材料として伐採され、明治時代半ばには広範囲がはげ山になっていたという。1900年代初期の植林で一時緑地が回復したものの、20年代に入るとドライブウェーの建設など開発が続き、荒廃が進んだ。
神戸市の人口は開港以来急増し、山の中腹まで市街地が広がった。さらに、土地を確保するため川を暗渠(あんきょ)にしたところもあり、阪神大水害では岩や木で詰まった水路の上を濁水が流れ、被害を拡大させた。大水害は都市の無計画な膨張政策による人災の側面が強かった。
石井川に洗心橋がある。心を洗う橋の由来は、1946(昭和21)年から1978(昭和53)年まで、この橋の北側に神戸拘置所があったので、犯罪者が心の罪を洗い流すようにとの願いが込めらてつけられたという。

 

​◯「誹謗中傷・人権侵害」という言葉に騙されるな​​

 SNSは、普通の人でも政治権力やマスメディアと対抗しうる情報伝達を可能にする重要な手段として定着し、中国の支配強化とたたかう香港市民の大きな武器となっていることから見ても、個人の表現の自由は自由・民主主義社会を維持する基本的条件となっています。ゆえに行き過ぎた規制、罰則はさけなければなりません。 ​ 自民党が法改正の根拠としている誹謗中傷とは、「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つける」ことですが、「根拠のない悪口」というのは一見すると科学的なようですが、現実社会においては明確に定義することは困難です。​  政治家の秘書や企業の社員が内部告発した際にみられるように、「根拠がある」告発であっても告発された側が「根拠のない」告発と主張し、名誉棄損として、資金力に任せて訴訟を起こせば、裁判の判決がでるまでは告発人が加害者となり被告人にされてしまうのです。  さらに、発信者の情報が簡単に開示されるようになると、例えば、「森友問題」の時に数多く発信されていた「安倍首相の奥さんが用地取得の便宜を図った」などという記事は「根拠のない悪口」としてすぐ削除されるかもしれません。下手すれば訴えられることになります。  また、花さんのケースのように「やらせ」で煽られて誹謗中傷した発信者も、すべて加害者とされ、罰則の対象にされる可能性も出てきます。  本来、「誹謗中傷・人権侵害」は、社会的弱者を守るべき言葉のはずですが、現実社会では政治家や企業など権力者や富裕層も利用できる便利な言葉でもあることも認識しておかなければならないのです。

 

※善や悪はただの名目にすぎず、容易にどちらにでも移し変えることができる

​エマーソン(『エマーソン論文集』岩波書店)​​

●詳しくは2019年11月21日・「『神戸市教員同僚いじめ問題』から考えてみよう -政治と官僚制度の「劣化」の原因-」を参照してください。 

 

 

 

会下山―朝鮮労働者慰霊碑
湊川トンネルがくぐる会下山に登っていくと、神戸電鉄を見下ろす小さな公園に朝鮮人労働者の慰霊碑がある。
1927年から1936年にかけて神戸電鉄敷設工事で犠牲になった朝鮮人労働者13人を追悼し、両民族の友好と親善のために1996年に建てられたものである。
「追悼する会」が発行する『神戸電鉄敷設工事と朝鮮人』によれば、この工事には1500名以上の労働者が働き、藍那トンネルの工事では6名の朝鮮人労働者が壁の崩壊で犠牲になっている。
韓国で徴用工訴訟問題が大きな問題となり、韓国政府と日本政府との間で大きな対立となっているにもかかわらず、恐らく神戸市民はこうした事実を知らないだろう。​​

 

 

​​3、「ネット部落差別」も規制されることになる​​ ​◯悪質な「ネット部落差別」は無くせるか​ ​​

 

 ネットの発信者の情報が簡単に開示され、罰則化されると、部落差別解消推進法成立の根拠となった「ネット部落差別」もこの規制にかかります。「○○死ね!」「○○殺すぞ!」などという刑事犯罪として告発できるような常軌を逸した「強迫的差別者」、『部落地名総監』を拡散して喜んでいるような「変質的差別者」も規制しやすくなり、告発しやすくなります。​​  すでにネット上の差別記事の削除に乗り出している地方自治体や部落解放運動団体はどんどん削除要請を出し、悪質な情報発信者は氏名や住所などの個人情報を公表され、社会的バッシングを受けることになるかもしれません。また、それでも反省しない場合には確認・糾弾されるかもしれませんね。そうなると、こうした人たちは「闇サイト」に逃げ込み、巧妙に発信するかもしれません。  大切なのはこうした悪質な情報発信者に付和雷同してきた無理解からくる「ネット部落差別」発信者が正しい理解をすることで、悪質な情報発信者が社会的に孤立することであると考えます。

 

​◯無理解からくる「ネット部落差別」はなくせるか

 こうした悪質な発信記事とネット上に部落問題に関連して発信されている多くの「部落差別発言」の類は明確に区別されなければなりません。 ​​ 多くの記事は封建社会における身分制を起因とする差別認識からでなく、現代資本主義社会において人権と人格を破壊するような経済格差を強いられ、生活、文化、教育が貧困化する中で生まれている不平不満が政冶・経済変革への思想と結びつかず、そのはけ口として社会的弱者への攻撃の一つとして「部落差別発言」に転化したもので、その内容を検証すると、「幽霊話」のように、現実の部落問題解決の到達点と乖離したものが多く、非科学的な人権・同和教育と社会的合理性を失った同和対策がだらだらと長期化してきたことが要因となっているようですから、こうした発信記事は、とても「誹謗中傷・人権侵害」として定義づけられるような代物ではありません。​​ ​​​​ むしろ私たちはネット上のこうした「無理解・誤解」から発信される記事については、政府、地方自治体、運動団体は自らの過失責任として自覚すべきであり、自らの理論・政策を鍛え上げ、持続的に科学的な部落問題をネットで発信し、対話と説得を基本姿勢にして「無理解・誤解」の解消に努力すべきであると考えます。​​​​  この過程こそが、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(平成12年)による国民を一律的に差別者とする官制の教育・啓発を有名無実化し、低迷する自主的学習運動を活発化する機会なのです。 

 

​※世間に存在する悪は、大半がつねに無知に由来するもので、明識がなければ、善い意志も悪意と同じほどの多くの被害を与えることもありうる。​

アルベール・カミュ(『ペスト』)
 
 
 

湊川隧道から新湊川トンネルへ
旧湊川を現在の流路に付け替える直接のきっかけとなったのは、1896(明治29)年8月の大水害でした。この水害では湊川の堤防が100メートルにわたり決壊するなど、大きな被害となりました。この災害対策は当時の新聞(神戸又新日報)で、「神戸市目下の急務」と報じられている。
新湊川トンネルの前身となる湊川隧道(みなとがわずいどう)は、1901(明治34)年に竣工した。その後、新湊川改修事業により2000(平成12)年に新湊川トンネルが完成したことに伴い、湊川隧道は河川トンネルとしての役目を終えた。。​

​●詳しくは2018年04月19日・「消えゆく「部落民」―心のゴースト④​​​​ ネット規制―あなたの「差別と偏見」が国家支配に利用される」を参照してください。 

 

 

 

4、必要なのはソーシャルメディアの自己規制​​

 

 社会の進歩には表現の自由は不可欠であり、為政者が為政者の都合に合わせて規制を強化すれば、政治が間違った方向に向かったときに軌道修正は働かなくなります。何が誹謗・中傷に当たるかは個別事案ごとに当事者間で議論するのが基本であり、公権力の厳罰を背景にして介入を強めると言論空間が委縮することになります。  ネットに掲載された記事を「誹謗中傷・人権侵害」になるとして事前に規制するというのは「誹謗中傷・人権侵害」に当たらない意見をも封鎖する可能性があります。特に、政治家や企業への正当な批判まで封じ込められてしまう危険性があります。  こうした危険性を踏まえると、まず行うべき対策は、 ①まずSNS各社が自主規制することです。トランプの人種差別発言をめぐり自主規制はすでに始まっており、すでにフェイスブック日本法人やLINEなどSNS各社で構成する一般社団法人ソーシャルメディア利用環境整備機構は6月26日に発表した緊急声明で、名誉毀損や侮辱を意図した投稿を禁止し、違反者のサービス利用を停止するなどの対応を徹底すると表明しています。 ​​②プロバイダーに対する発信者の速やかな情報の開示については、私人間において明確に名誉棄損に当たり、刑事事件にも該当するような「悪質な発信」についてのみ限定して行うことにし、「根拠のない悪口を言いふらしで、他人を傷つける」などという曖昧な定義による規制はおこなわないことが大切です。​​ ③政治家や企業などの権力者が開示を請求した場合にプロバイダーが断れる権利も明確にしておく必要があります。権力者は国民の批判を常に真摯に受け止める側にいますから、「疑惑」や「辞めろ」などという批判にさらされることがあります。それを「誹謗中傷・人権侵害」という曖昧な定義でたちまち削除したり、罰則を与えることはSNSの事実上の統制となりますから警戒する必要があります。  以上のように日本のSNSは重大な局面に差しかかっているようです。こうした事態を生み出したのは憎悪と敵意から生まれる「悪質な発信」にあります。私たちは「ネット差別」はSNSへの権力介入を生むと警告してきましたが、残念ながら事態は深刻化しているようです。  今後提出される政府自民党の「SNS規制法」(仮)に注目し、表現自由を守るために理性的な発信を続けましょう。

 

  ​※自由とわがままの境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。​

福沢諭吉(『学問のすすめ』岩波書店)
 
 
 

長田港―釣りの穴場
湊川の終点は長田港という小さな港だ。その先は大阪湾となり、釣りの穴場となる。六甲山中腹から流れ出た水には多くの森の栄養分がふくまれているから魚は豊富だという。アジ・サバ・イワシ・チヌ・ハネ・メバル・ガシラ・タチウオ・サゴシ・ハマチなど。 
地元の人に人気の釣り場だが駐車スペースがないのが難点。地元の人は自転車で釣行しており、もし車で行く場合は少し距離があるがコインパーキングなどを探しかない。
◯公共機関なら、地下鉄海岸線の駒ヶ林駅をおりて駒栄町4交差点を西へ駅から徒歩5分。 
◯車なら、阪神高速湊川出口でて南へ下り駒栄町4交差点を西へ1分。
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●詳しくは2019年06月05日・「差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​-若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する-」を参照してください。​​​​

 

 

 

 

 

 

 

 

 現代の世界は、新型コロナウイルス感染症によって、多くの人々の生命が奪われ生活が破壊されています。
 さらに深刻な分断と差別、社会不安、世界的大不況が引き起こされています。歴史学者のユブァル・ノア・ハラリは、この危機に及んで「私たちや各国政府が、今後どのような判断を下すかが、これからの世界を形作ることになる。その影響は、医療制度にとどまらず、政治や経済、文化も変えていくことになるだろう」と述べています。  ハラリによれば、私たちが向かうべき世界には2つの選択肢があります。1つは「全体主義・中央集権的な監視体制」か「市民の自主的判断力や権限強化」か、もう1つは「国家主義的な孤立」か「世界の連帯」かです。
 危機を克服するには、個人の自由と生活をまもり国際的な連帯が不可欠です。しかし、現実は、中国のように、人口知能(AI)を駆使しながら、民主化運動や少数民族ウイグル族を弾圧し、国民を監視し個人の自由やプライバシーを侵害する動きがあります。日本も、2020年5月に、人工知能(AI)やビッグデータなど先端技術を活用した「スーパーシティ法」を制定しました。この法は、国や自治体、企業などの実施主体が、AIによって住民の個人情報を一元的に管理し、医療や教育、福祉、交通、金融などのサービスを提供できるようにするものです。
 「スーパーシティ法」は、住民と自治体の議会が都市のまちづくりを決めるのではなく、特区担当大臣、首長に加え事業者も入っている区域会議でその街の基本構想を決めるというものです。
 かつてフランスの啓蒙思想家のA・トクヴィルは、「地方自治は市民の自由と民主主義の小学校」と喝破しました。しかし、久元神戸市長が「スーパーシティ」導入に前向きなことを考えるとき、私たち市民は憲法や地方自治法に基づく人権や民主主義、地方自治の根幹にかかわる事態に直面することになるでしょう。