2020―気候変動を食い止める力は自問からはじまる​​​​​

 

 

2020年の幕が開きました。​​​​​​​​​
 
 世界でもっとも大きな問題となっているのは気候変動ですね。オーストラリアの山火事、日本の異常な暖冬。数え上げれば上げるほど人間の生存が深刻な状態に置かれていることがわかります。こうした危機を打開するために国際会議が開かれていますが、世界の政治、経済のリーダーたちはこの深刻な現実を変革するだけの展望を指し示すことが出来ていませんね。
 コアラやカンガルーたちが火事で数億匹死んでも「可哀そう」だけで終わりますが、人間が数億人死んでいたとしたら世界の環境保護への姿勢は一日で変わったはずです。
 温暖化を食い止めることができないのは人間中心、人間の豊かさを保障するという大義で進められてきた利潤追求のシステムを断ち切れないからのようです。マックス・ウェーバーは人間の欲望について「可能な限り金銭を得ることを追求したい、という衝動それ自体は資本主義とはなんら関係がない。この衝動はどこにでも存在するものであり、ウェイター、外科医、運転手、芸術家、売春婦、腐敗した官僚、戦闘員、貴族、十字軍士、ギャンブラー、そして乞食にも存在する」( 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)と指摘していますが、生存の危機に見舞われていても人間は欲望の制御できないのでしょうか。
 日本には人間と同じように動物や自然にも仏性があるとという考えがあります。人間は万物の生命連鎖のなかで生かされているという思想です。「命は同じ」という思想。そこに果てしない欲望を制御し、気候変動を食い止める力があるように思われます。
 私たちはリーダーの英知に期待するだけでなく自分の心の声を聞き自問すべきではないでしょうか。自問は自分の意見や行動に疑問を持ち、誤りは反省し、正しい行動を作りだす原動力となります。環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのように自分たちでできる行動に気づくはずです。
 その小さな行動が世界をかえるかもしれません。
 今年はこの自問から環境保護運動の在り方について考えてみたいと思います。
 
 
 
 
   ​​グレタさんありがとう。でも私たちも少しだけどがんばってきました​​​​​
 
 ​​​​洪水でひまわりが流されると「悲しい」ということを学ぶ​​​​​​​​​
 神戸人権交流協議会に参加する神戸教育文化協同組合は20年近く、神戸市の西区を中心に自主的に環境保護運動を続けてきました。水辺の植物や水生昆虫の観察会、水質検査。河川敷に捨てられるペットボトル・レジ袋の拾い集め、自主的な草刈りなどに取り組んできました。
 そうした中ではじめたのは明石川と伊川の合流点の河川敷にひまわりを咲かせる運動です。
 「合流点にひまわりを植えても洪水がくれば流される」
 「河川敷にひまわりを植えても心ない人が引っこ抜くかもしれない」
 など、さまざまな意見がありましたが、
 「周辺地域の人たちに河川の大切さを知ってもらおう」
 「自然環境保護の大切さを知ってもらうイベントにしよう」
 「せっかく育てたひまわりが流されたら悲しい。でも本当の自然の力を知ることができる」
 という決意で12年間続けています。
 
​​​ひまわりまつり​ 
 
 
​​神戸新聞は何度か報道してくれました​​​ ​​​​
 
 
※希望とは、輝く太陽の光を受けながら出かけて、雨に濡れながら帰ることである。                (ジュール・ルナール『ルナールの日記』新潮社)
 
 
 
 エコバッグを広げる運動にも取り組んでいます ​​​​​​​
 
​​​​​​​ 掃除をしてもしても、川に流れるペットボトルとレジ袋。水生生物に悪影響を与えるだけでなく、河川敷の雑木や雑草にからまり破れ、こなごなになって風で飛散し、雑草のすきまに入り込む。それが草刈機の歯にまきつくのです。
 こんな体験から、教文教のみんなは「レジ袋を川に捨てるな!という運動が必要だ」と考え、ひまわりまつりなどで訴えてきました。そんな中、気づいたのだ「そもそもレジ袋は必要か?」と。
 そこで小さな一歩を踏み出した。「レジ袋をもらわない運動」だということを。
 
           
※大きなことを出来る人はたくさんいますが、小さなことをしようとする人はごくわずかしかいません。         (マザー・テレサ『マザー・テレサのことば』女子パウロ会)
 
※他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。
                                            (岡本太郎『強く生きる言葉』イーストプレス)
 
 
 
 
 ​ レジ袋節約は環境保護に効果はあるのか ​​​​
 
 国内で2017年に排出されたプラごみは903万トン。このうちレジ袋は数十万トンとわずかなため、有料化しても大きな効果はないとの意見もあります。しかし、調査機関によればレジ袋約4万枚で二酸化炭素(CO2)に換算して約1200キロ分となり、これは約140本のスギの木が1年間に吸収するCO2量に相当するといわれています。
 レジ袋の年間使用量は300億~500億枚(経済産業省)に上っており、国民1人が毎日1枚を使い捨てている計算になります。
​ 生きるためにとはいえ、出さなくてもいいものまで出して、その処理を文句を言わないからといって​山川草木​​の皆様方におしつけおいてよいものか考えてみよう。​​
 ​山川草木悉皆浄土​​
 ​忘れてはいけません。 ​
 
※失敗の最たるものは、何一つそれを自覚しないことである。
                                   (トーマス・カーライル『英雄崇拝論』岩波書店)
 
 
 
 
​​​​​ 政治家・企業の欲望を支えているのはあなたかもしれない ​​​​​​​
 
 
                         
 年々ひどくなる日本の異常気象と水害。スペインのマドリードで開催されていた地球温暖化対策のための国際会議COP25(第25回 国連気候変動枠組条約締約国会議)が、2日間の会期延長の後、15日に閉幕しました。 
​​​​​ 閉幕に伴い、国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏が以下のような声明を発表した。「COP25の結果には失望している。国際社会は、気候危機に立ち向かうための緩和策・適応策・資金提供に対する意欲の高まりを世に示す重要な機会を逃した。​しかし、我々はあきらめてはいけない。そして私は、今後もあきらめないつもりだ」。​​​
 意志薄弱な私たちには「あきらめない」という言葉が心に刺さります。政治家や企業に責任があるのは当然だが、欲望にまかせて自堕落に消費に浸ってきた私たちにも責任があるのです。このままいけば人類に未来はないようです。我々が少し考えを変えればできる環境保護運動からはじめよう。
 
※どんなものでも、自然という造物主の手から出る時は善であり、人間の手にわたってからは悪となる。
                                        (ルソー『エミール』岩波書店)
 
 
 
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 ​​コアラの次に犠牲になるのはあなたかもしれない ​​​​​​
 
 
 人間は他者に要求しているだけでは自分の考えを変えることは出来ません。自分の要求に沿って行動してこそ、考えを変えることが出来るのです。​​
 環境保護が大切なことは誰でも理解しています。しかし、自己の利益や欲望、あるいは時間を犠牲にしてまで行動を起こすことはなかなか出来ません。ゆえに、政治家や経済界の方々に環境保護をお願いすることになります。でもそんな誤魔化しは、ここ数年続いた日本の豪雨災害、オーストラリアの大火災をみれば通用しなくなったことは明白です。
 政治家や経済界は利潤競争の中で自らの進路を変える勇気はありません。変えられるとしたら、環境を悪化させる政治や経済活動を進めると支持や利益を失うことになるということを認識させることです。
​ 「可哀そうなコアラたち」と同情するあなた。コアラたちは「次はあんたら人間だ....。」と絶え絶えの息の下でつぶやいているかもしれません。 ​
 数十年後、レジ袋に包まれて静かに眠る白骨があちこちに転がっているかもしれません。
 
※人間が神のしくじりに過ぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。 
                                          (ニーチェ『全集7』筑摩書房)
 
 
 
 
​​​ ​​神戸を滅ぼすかもしれない石炭火力発電所 ​​​​
 
 
 
 レジ袋をもらわない運動をしていると、自ずと環境問題への関心が自然に高まります。
 今一番気になることは、日本がG7先進国の中で唯一石炭火力を拡大している国であることです。拡大の理由は東日本大震災による福島原発事故以後、原子力発電所が全部運転中止となり、安全基準が厳しくなったために再稼働が思うようにいかないために電力不足が起こるという「予想」に基づくものといわれています。 
 原子力発電所が全部運転中止になっても電力不足は「予想」に反して発生しませんでした、にもかかわらず日本政府は短期の安定性とコストを考え石炭火力発電所建設の計画を進めている理由がわかりません。
 神戸市でも神戸製鋼所が計画している神戸製鉄所火力発電所3号機、4号機の建設がはじまり、2021から2022年に運転開始される予定になっています。稼働されれば、温暖化の原因であるCO2、健康に被害をもたらすSOx、NOxなどの汚染物質が大量に排出されることになり、大気汚染が肺ガン、脳卒中、心臓疾患、呼吸器疾患、ぜんそく症状など病気の原因となります。
 人間はともかく、豊かな六甲山の自然体系が汚染物質により破壊される危険性もあります。樹木も人間と同じように健康でなければ、害虫などの外敵から身を守ることが出来なくなるのです。
​ レジ袋は人間の怠慢の産物。怠慢は自然を殺し、自然の産物である命を奪う。 ​
 
※人は二つの方法によって生きる。つまり、社会に従うか、自然に従うかである。
                                                (ヴィクトル・ユーゴー『光と影』)
※人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。
                                     (司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』)​​​​​​​​​​​​​​​​​​
 
 
 
 
 
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