​​​「第6回地域人権シンポジウム」を開催しました 
―平等な市政の実現は意見の対立から生まれる―​

 

 

 

 人間が政治的立場でものを考えるようになったのはいつのころからでしょうか?

 

 起源は定かでないようですが、「政治(英語: politics)の語源は古代ギリシアのポリスである。ポリスはしばしば政治的共同体(ポリティーケ・コイノーニア)とも呼ばれ、あくまで平等な市民間の関係を指した。しかしこの「政治」の含意はやがて曖昧となり、今日では主にヒト集団、特に国家や国家間の権力配分やそれをめぐる争い一般を指すものとして理解される事が多い」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)とあり、政治は平等な市民関係を指し、それを実現したり、維持することが目的であったようですが、社会の発展に伴い集団や国家の間における権力や利益の配分をめぐる争いが政治的立場を生じさせてきたようです。​ 

 特に、普通選挙制度にもとづく議会制度は議席の多数を確保して、権力や利益を獲得することを目的とする政党政治を生み出し、そのもとに利益や権益の異なる多様な圧力団体が群がるという対立構図をつくり、政治は「平等な市民間の関係」を構築するという目的よりも多数派による権力と利益の独占、少数者の排除を一般化させたようです。

 その影響もあって、政府官僚や神戸市官僚の目は国民・市民に目が向けられず、政党間や圧力団体の力関係にのみ目が向いて、行政府としての責務を主体的に果たすという使命感が希薄になっているようです。

 今回の「第6回地域人権シンポジウム」は「自民党だから、共産党だから」という政治的立場によるバイアス(偏見)を排し、「平等な市民間の関係」とは何かを求めて、神戸市政の本質に迫り、市民にとって幸福な都市のありかたを考える出発点とするために開催しました。

 

 

※友を持とうと思うものは、その友のために戦おうと思わなければならない。そして、戦うためには、人の敵となることができなければならない。友の中にも敵を見て、この敵を敬わなければならない。

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』岩波文庫)
 
 

 

 11月23日(土)午後1時より、新長田ピフレホールA会議室(定員70名)で「第6回地域人権シンポジウム」を開催しました。主催した神戸人権交流協議会の会員をはじめ、労働組合、民主団体から70名が参加し、超満員になりました。

 

 

​基調報告―人権運動は自己変革を遂げなければ衰退する​​  

 

 

 基調報告は安心・しあわせネットワーク神戸人権交流協議会(神戸人権交流協議会)の事務局次長の内海恵太さんが行ないました。 

 内海さんは、地域人権連を卒業した理由を以下の通り説明しました。

 

 

神戸人権交流協議会が地域人権連から卒業した理由​​

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◯「部落・部落民」という自覚が必要ではなくなりました​

 神戸市の同和対策が終結して22年が経過し、「部落・部落民」としての意識や自覚が不必要になり、「部落解放運動」の基盤が失われてきたこと。他の自治体のような「解同」や「同和対策対応」では組織が維持できなくなったこと。

 

​​◯行政から補助金や支援は一切うけていませんから「差別探し」する必要ありません​​ 

 神戸人権交流協議会は行政からの補助金、事務所の無償提供、書籍・資料の購入など、一切の支援はうけていません。補助金や支援を受ける口実をつくるための「差別探し」は必要がなくなりました。

 

​◯部落差別を最終的に解決するために共同の輪を広げます

​​  当然ながら私たちは「部落・部落民」に対して差別的偏見を持っている人が、日本に一人もいなくなったとは考えていません。最終的な解決には時間がかかると考えています。そこで私たちは一般行政水準引き上げの運動を市民・市民団体との共同の取組みの中で最終的に解決したいと考えています。  そうした運動の発展段階を踏まえ、地域人権連の規約に基づいて理解と了解を得て円満に卒業させていただきました。

 

​◯萩生田文科大臣の「身の丈」発言は差別です

 この発言の根底には経済的弱者に対する侮蔑の気持ちがあります。本シンポで「人権が危ない」と言われている日本および神戸で、これを機会に是非学習と議論を持続していきたいと考えています。

 

 

​※君が手にふるる水は過ぎし水のものにして、来るべき水の最初のものである。現在という時もまたかくのごとし。

(レオナルド・ダビンチ『レオナルド・ダビンチの手紙』岩波書店)​
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※大きな樅(もみ)は、ただ風の強い場所にばかり成長する​​
​​​​(ヴィクトル・ユーゴー『ユゥゴォ論説集』春秋社)
 
 
 
​​​ 池田清 元神戸松蔭女子学院大学教授が「神戸―近代都市神戸の過去・現在・未来―災害と人口減少都市から持続可能な幸福都市へ」と題して基調講演(要旨)​​
 
 
 
​​​◯歴史的に検証-神戸市の都市官僚主導の都市経営は限界にきている​​​
 
①日本における神戸は京都や大阪のように「中心」都市ではなかったが、1868年の開港により、富国強兵をめざす明治政府直轄港として位置付けられ、戦争ごとに重化学工業、造船などの軍需産業が成長することにより、「中心」都市に格上げされてきた。
②思想的な側面から言えば、1868年に明治天皇が、楠正成の「忠君愛国」を後世に伝えるために神社を創建するように命じ、創建されたため、軍国主義を支える「皇国都市」として、全国的に大きな影響を与えた。
③神戸市の都市経営の源流は台湾や朝鮮の植民地化と、満州や中国への侵略があった。元神戸市長の原口忠次郎(1949-69在任)は植民地下の満州で都市計画、ダム開発を担当し、神戸市の初代埋立事業部長の宗宮義正は植民地下の朝鮮の釜山港の開発、満州と朝鮮の工業化政策を進める中心人物であった。彼らは植民地下で果たせられなかった夢を神戸における戦災復興で果たそうとした。
④都市官僚主導の都市経営を完成させたのは元神戸市長宮崎辰雄であった。高度経済成長を背景に、「山、海へ行く」という開発主義により、神戸港を埋立、西北神を地下鉄で結び、今日の大都市神戸市の原型を創り上げた。
⑤神戸市の都市官僚主導の都市経営は限界にきている。民間調査機関によれば、幸福度は20の政令指定都市では19位、人口は全国市区町村の中で最大の減少数(2018)になっていることなどを見ても、市民のニーズにあわない状態になっており、従来の路線を見直しすべき段階に来ている。 
 
    ※愚者は己を賢いと思うが、賢者は己が愚かなことを知っている。
(シェイクスピア『お気に召すまま』新潮社)
 
 
報告1-神戸市「都市空間向上計画」と市民のたたかい(要旨)
​日本共産党市会議員 味口 俊之​​
                   
 
 
 「都市空間向上計画」(「向上計画」)は国の「立地適正化計画」の神戸版です。
 2014年都市再生特別措置法改正に基づく「立地適正化計画」のねらいは、人口減少社会のもとで多国籍企業・大企業のもうけを持続的に確保するためのもので、「コンパクトなまちづくり」と称して田舎を切り捨て、都市集中を進める都市計画のことです。
 「向上計画」には3つの大問題があります。 
①市独自の大企業優遇税制や補助制度を適用し、都心・三宮駅周辺の巨大開発・大阪湾岸道路などムダな大型公共事業を推進すること。
②三宮周辺を「国際競争力の強化」に特化した「特定都市再生緊急整備地域」とし税制・金融支援や都市計画の特例を適用する。
③推進されている三宮再開発として三宮駅前の巨大なバスターミナルを伴う超高層ツインタワービル建設で1000億円の内、国・県・神戸市で350億円負担するなど、莫大な県・市民税が投入されることになります。
 こうした駅前・市街地の大規模開発は小学校の過密、保育所不足、特養老人ホームの不足を生みます。すでに、垂水駅前開発で体育館・体育室が統合され平磯へ移転する問題などが起きています。
 「向上計画」への市民意見募集は400通・1000件以上となり、地域の自治会など保守層からも反対意見が出され、「見直し」をせざるを得なくなっています。
 
 
 
​報告2-神戸市立公民館は市民の財産―同和対策で終わってもよいか(要旨)
​神戸人権交流協議会         事務局長  内海 章   
   
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 神戸市立公民館は市内にわずか7館で、「同和地区」にあり、市民の皆様には「同和地区」限定の社会施設と受け止められあまり馴染みがないように思います。
①公民館が社会教育施設だという視点から言えば、公民館主催の事業は極めて少なく、利用者は少数。にもかかわらず、図書室の利用数が異常に高く、利用数が正確なものかどうか疑問があります。平成28年の教育委員会との交渉で資料に基づいて具体的な指摘をすると、当時の係長が「図書館の利用者数は水増しだった」と認め、平成29年度からは記載なしになっています。
 公民館を当面存続するために公民館の利用実績を誇大したもので、社会教育施設の行う行為としては極めて恥ずべきものであると考えます。
②こうした手段で利用数を確保しようとする一方で、働く者が利用するためには日曜・祝祭日の開館が絶対的条件ですが、かたくなに開館しようとしません。
③私たちが公民館の必要性を問題提起している理由は「同和地区」の変化にあります。新築住宅、民間賃貸アパートや分譲住宅が次々と建設され、外見的には近代的・衛生的な町並になり、多くの住民が転入してきています。
④グローバル化により、外国人の流入(B地域では国際外語学院、神戸外語教育学院の学生約700人が通学、中国、ベトナム、イスラム教徒等の在住)が進み、生活習慣、言語の違いによる問題、労働条件、住まい方、人権擁護、共生コミュニティ問題等新しい課題を提起しています。
⑤神戸市は神戸市立公民館についてはこれ以上、市民の認知と利用が広がり、段階的廃止ができなくなるのを恐れているようです。
⑦以上のように、「同和対策」が終結しても、地域の変化に対応した社会教育施設としての公民館は地域の自治・コミュニティ育成の拠点としての役割は大きくなっています。
 莫大な税金を投入して建設し、運営してきた市民の共有財産というべき公共施設が、まともに利用されずに廃止されてもいいのでしょうか。
 
 
講演と報告の後、参加者からの感想や意見をいただきました。
 
 神戸市の元職員からは、「神戸市は内部では行政は親で市民は子どもという考えがあった。これは家族という意味でもあるが、市民は教え導かなければなにもできないという意味でもある。行政が市民を下に見ているのだ」。
 神戸の都市政策に関心があって参加された西宮市民からは、「公民館が日曜・祭日に休館しているのを聞いて驚いた。西宮では休日は公民館は市民でいっぱい。なぜ、神戸市が開けないのか理解できない」など、批判や意見が数多く出されました。
 
​※最大の敵は愛と憐みをもたないことです。搾取されたり、堕落したり、赤貧の中にいたり、病気で困っていたりする隣人を目にしながら恐るべき無関心でいることです。​
​(マザー・テレサ『マザー・テレサ愛を語る』日本教文社)​
 
 
 

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