常識(common sense)で神戸の未来を考える
―私たちは「悲の都市神戸」を「幸福都市神戸」に変えられるか―
 

 

       
         

 常識とは特定の社会に定着した「疑いのない真理」に基づく認識のことですね。しかし、常識というものは、時として世界の普遍的心理と激突したり、社会が経済的・政治的発展することにより、新しい認識が成長し、それが支配的になれば「疑いのない真理」は書き換えられることになります。ゆえに常識は絶えず変化し、発展するものなのです。
 このブログは日本社会が長い歴史の中で到達してきた「疑いのない真理」である日本国憲法の示す、基本的人権が尊重された幸福都市の実現をめざすという立場で、神戸の過去・現在・未来について、皆さんとご一緒に考えていくためのものです。


◯「悲の都市神戸」(sad kobe city)

 京都、大阪、神戸は三都と言われているが、残念ながら神戸は少し分が悪い。 
 京都は「変の都市」(change  kyoto city)です。武家政権、明治維新にみられるように、新しい時代を生みだするつぼになりました。戦後は革新府政を日本でいち早く誕生させ、旧き伝統の中に研ぎ澄まされた革新の刃を持ち続けています。
 大阪は「笑の都市」(laugh osaka city)です。日本の物流経済の中心地として、商人たちが活躍し、商人たちは武器ではなく、算盤と笑いとで権力と対決してきました。その精神は吉本興業をはじめとする笑いの文化を育み、日本中に発信しています。
 神戸は「悲の都市」です。平家滅亡を決定づけた一の谷の合戦、若くして討ち死にした平敦盛の悲劇、屋島の合戦で扇の的を射た那須与一が放浪の末に行き倒れ死した地でもあります。さらに、足利尊氏軍に包囲され、湊川で自刃した楠正成。時宗の創始者一遍上人が入寂した地でもあります。
 現代では神戸空襲で多くの犠牲者を出し、さらに、大水害、阪神・淡路大震災に遭遇した都市であり、どこを歩いても鎮魂碑があり、悲しい物語があります。

 

 

◯宮崎辰雄元神戸市長の儚い夢

 元神戸市長宮崎辰雄氏は「美しい神戸の街をつくりたい」と都市づくりを進めてきたといい、その美しい街をイメージして、「『ナポリを見て死ね』という諺があるが、『神戸を見て死ね』はまだ、世界の常識になっていない」(『神戸を創る』宮崎辰雄・河出書房新社)と、志が道半ばであることを嘆いています。確かに、世界どころか、日本の常識にすらなっていないのが現実です。
 宮崎元市長は近代的な都市づくりを進めるために、「山、海に行く」という自然破壊による都市づくりにまい進しました。しかし、神戸市の基層にある神戸の「悲の歴史」に気づいていなかったようです。
 その結果、都市の共通遺産としての史跡、文化財の位置づけは薄弱となり、「西洋かぶれ」の文化・芸術で「神戸らしさ」というイメージを創り上げ、「ナポリにする」という儚い夢を生んだのです。

※危うい都市の趣を神戸が見せ始めたのは、―その対立抗争が長年におよび、花の降るどころか、血の雨が降り始めて以来だったのだろう。おしゃれな神戸が、実は暗黒街と抱き合わせであるのを知られないとし、神戸は美しい花のイメージで彩ろうとするのであった。
                             (木津川計『花曜日の薔薇色』夏の書房、1992年)


 

◯「悲の都市神戸」は慈(いつく)しみの街
 
 現在、神戸市は産業衰退と少子高齢化に直面し、「神戸市都市空間向上計画(素案)」を提案し、これまでの成長型都市づくりを「コンパクトシティ」と称して社会資本の縮小と効率化を進めようとしているが、都市空間に存在する人・歴史への思いやりが感じられない。
 「悲の歴史」は悲劇の物語を見聞きすることではない。悲しみを知り、悲しみに心を寄せる中で人に対する慈しみを育てることです。
 賀川豊彦はそれを示した。阪神・淡路大震災での市民の助け合いはそれを示しました。

※ひとびとは家族を失い、家はなく、途方に暮れつつも、他者をいたわり、避難所でたすけあったりしていた。わずかな救援に対して、全身で感謝している人が圧倒的に多かった。神戸は、良き時代の神戸、モノは多く失った。しかし、神戸のユニークな市民の心は、この百難の中で、かえって輝きを増したように思われた。
                                         (司馬遼太郎『風塵抄』)


 

 

◯本当に神戸を「ナポリ」のようにしよう

 「ナポリを見てから死ね」ということわざは、ナポリ市民が世界に向かって、「紺碧の海に面する美しい景観を見ずに死んでしまってはもったいない」と発信しているのです。それは自都市に対する愛着と誇りを表しています。
 ナポリの旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録され、周辺には、ローマ帝国以来の史跡、ヴェスヴィオ火山や「悲劇」のポンペイの遺跡などがあります。まさに人の歴史と景観が結合した都市なのです。人に対する思いやりのない美しい都市などはありません。
 神戸を真の意味でナポリにするためには、近代都市神戸の景観と共に、神戸の本当の姿である「悲の都市神戸」の歴史・文化遺産と明治以来のモダン文化を融合させ、「西洋かぶれ」ではない神戸を国内外に発信することであると考えます。

※目だったのは略奪ではなく、住民の、外国人も含めての、連帯であった。大地震はこの国の行政組織の驚くべき非能率を暴露すると同時に、神戸市民の驚くべき能力、危機に臨んでの自制心と失われない秩序感覚を、示したのである。
                    (加藤周一『夕陽妄語』「朝日新聞」1995年2月20日夕刊)

 

 

 

◯世界中から集う長野県飯田市の

 「人形フェスタ」



 このブログの目的は、神戸市の政策や運営に対する批判に終始するのではなく、行政主導の市政を住民主導の市政に転換させることにあります。
 この必要性を痛感させられたのは、長野県飯田市で行われている今年で21回目となる日本最大の人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ2019」を見学したことです。なんと人口10万人の小都市に国内外から2019年8月3日(土)〜12日(月)の10日間に、世界中から350の人形劇団が集まり、約3万4千人の人たちが観賞したそうです。
 神戸にも「神戸まつり」があります。パレードにはたくさんの見学者が集まり盛り上がりますが、飯田市と比べると盛り上がりの質が違うようです。その違いは、参加団体数に現れています。「人形劇フェスタ」では人形劇を上演するのは350団体あります。 
 その団体の中には中国、韓国をはじめ、欧米の劇団もあります。しかも、入場料を取るために、人形劇は高い文化性と芸術性を必要とされるために、劇団は通年にわたり厳しい練習を積み上げているそうです。
 それに比べると「神戸まつり」の参加団体は71団体、演目は市民が着飾って行う楽しい「パレード」しかありません。勿論、これはこれで素晴らしいことですが、神戸を代表する「まつり」がこの水準では、世界中に、日本中に「神戸を見てから死ね」とは言えません。
 神戸港開港以来、神戸は富国強兵と殖産興業をめざす国家の基本政策に基づき、戦前は強力な行政主導による都市づくりが進められ、戦後の戦災復興、都市計画も同様に行われてきました。その結果、市民の主体性は育たず、行政への依存の体質を強くしました。
 少子高齢化による人口減少社会の到来を踏まえ、神戸を持続的幸福実現都市にするためには、神戸市民が自らの足元を見つめ、本当の神戸の姿を理解し、主体的に立ち上がるしかないと考えます。

※政府や神戸市は、現在の少子化が社会や経済の根幹にかかわる問題だとの危機感を持っています。しかし、少子化が個人の「幸福」にとって、どのような意味を持つのかという最も肝心な観点が無視されているのではないでしょうか。
                  (『神戸 近代都市の過去・現在・未来』池田 清・社会評論社)




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神戸-悲の歴史街道
平家がなぜ滅亡したかを考える散歩