ワカヒメさまの神社。ホツマツタエ(秀真伝)ゆかりの越木岩神社のご紹介

 

皆さんこんにちわ、今日は5回目のブログに挑戦します。

 

保久良神社、芦屋神社とカタカムナ関連の神社を紹介させていただきましたが、今回

 

ホツマツタエ(秀真伝)という、日本の古代文字(ヲシテ文字)で書かれた書物と縁の

 

深い神社をご紹介させていただきます。

ホツマツタエはカタカムナ文明の後の時代、縄文時代から、弥生時代、古墳時代に相当する

 

歴史書で、古事記、日本書紀の原典ではないかと言われているものです。

 

古事記、日本書紀も全文当時の中国の文字、漢字で表記されており、今でいえば、

 

英語表記で、作られたようなもので、対外的要素の強い文書と思われます。

 

カタカムナ文字もホツマツタエヲシテ文字もひらがな、カタカナと同じ48音の表音文字

 

で、文字の形こそ違いますが、(あいうえお、かきくけこ・・・・・・)と日本語読みができま

 

す。

 

越木岩神社とは、兵庫県西宮市甑岩町5-4に鎮座する神社。前身は延喜式神名帳

 

に載る大国主西神社であるとされます。女性守護・子宝・安産・商売繁盛のご利益が

 

有ると言われます。

 

本殿の祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧教順が地域の繁栄の為、

西宮神社から勧請した、蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)であります。

 

元々は当地にある「甑岩」等の磐座を祀ったもので、自然崇拝が中心でありました。

 

本殿の西宮神社から勧請した、祭神、蛭児大神(ひるこおおかみ)は偶然にも境内地

 

にある「北座の磐座」に祀られている稚日女命(ワカヒルメノミコト)同じ神様でありま

 

す。

 

ホツマツタエによるとワカヒルメノミコトは、第七代アマカミ、イザナギ(父)・、イサナミ

 

(母)の長女として誕生し、三才になる年、両親の厄払いの習いで捨て子となって流さ

 

れました。実際はイサナギとイサナミが結婚して最初に住み始めた宮、イサ宮(筑波

 

の宮→筑波のイサ川・現、桜川の河畔)、つまり、茨城県筑波の桜川の畔から、船で

 

太平洋に出て,海路、兵庫県西宮(摂津の国、ニシトノ→西殿→西宮のこと)送られ、

 

当時の西の有力な豪族で、住吉神社の祖であるカナサキ夫妻に預けられ、十二歳

 

で育てられました。その後、イサナギとイサナミに待望の次のアマカミになられる、ワ

 

カヒコ、アマテルカミ(天照大神・男神)が誕生いたしました。古事記・日本書紀では、天

 

照大神は女神としていますが、ホツマツタエでは男神であります。

ワカヒルメノミコトは十二歳頃に、両親の厄払いの時期がすぎて、宮殿に戻りました。

 

この時、ワカヒコ・アマテルカミ(天照大神・男神)のお姉さまではなく、妹君としてもどら

 

れました。一般的にワカヒルメノミコトは三つの呼称があり、ワカヒルメ(ワカヒメ)、シ

 

モテルヒメ、ヒルコと呼ばれます。

 

現在の西宮神社のエビス神はワカヒルメノミコトであり、越木岩神社の本殿の、蛭児

 

大神(ひるこおおかみ、戎神)もワカヒルメノミコトであり、越木岩神社の境内地にある

 

「北座の磐座」もワカヒルメノミコトであります。

 

その後、ホツマツタエによるとワカヒルメノミコトは天照大神政権の報道官の役割を担

 

い、天照大神の教えや指示を国民や、官吏に伝達していたとしています。

 

又、越木岩神社ははワカヒルメノミコトが「神上がり」した場所と言われます。「神上が

 

り」とは貴い方は死期が近づくと、近親のものに別れを告げて、一人岩屋の中に入

 

り、入り口を閉じて、飲食を断ち、静かに死期迎えるのです。

 

越木岩神社は古事記・日本書紀以前のホツマツタエゆかりの神社であり、古代のロ

 

マンが現代に息づいているように感じます。

 

皆様はどう感じられましたでしょうか。

 

良かったら一度お詣りなされてはいかがでしょうか。

 

その他、境内社として、下記ののものがあります。

・岩社   市杵島姫大神(厳島神社の分霊)

・六甲山神社  菊理姫大神  六甲山神社(石の宝殿)の里宮

・雨乞社  貴船大神・龍神

・水神社  ミズハノメノカミ

・不動明王社  甑不動明王

・伊勢遥拝社  天照大神

・稲荷社  白玉稲荷・大崎稲荷(秀吉大神)

 

以上