平成30年

11月3日晴れ 早起きし準備をして、朝食を待った。ちいさな鼾をかいていた隣室の中年の女性は、すでに出発していた。肌寒い空気を感じながら、42番仏木寺へ向かった。1時間弱歩いて仏木寺の大きな山門前に着いたが、早朝でもあり、静かな境内に参拝者は少なくて、清々しい気分だった。このお寺の境内にも、石像がたくさんあり、七福神の石像が鎮座していた。県道31号線には、『コスモスロード』と看板が立っていて、道路の両側にきれいに咲き誇っていた。道路沿いの畑の中に、首の長い白い鳥を見つけ、吉鳥かと今日は良い日と勝手に思った。しかし、歯長峠へ向かう途中で、『宇和三間線 崩落』と書かれた通行止めのゲートが道を塞いでいた。この道を通ることが出来ないのなら、どうしようかと困惑してしまった。看板にある電話番号にかけてみたが、休日で繋がらなかった。しばらく立ちすくんでいたら、工事用の車両がゲート前で停車した。運転手さんに訊ねたら、「車はだめだけれど、歩きなら行けるよ。ただし自己判断、自己責任で行ってよ。」と言われた。それなら行こうとゲートの横から入ったら、工事用の車両も現場に向かって入って行った。確かに道路が崖下に崩れて細くなったり、ガードレールが倒れたり、倒木があったりと、一般の車両では通行不可の道だった。水害の復旧が進んでいないのだ。県道からそれる遍路道には、『へんろ道は危険 歯長峠はトンネルで通過しましょう。県道31号線へ』と書かれた板がかけられていたので、諦めて31号線を進んだ。愛南町でミカンをお接待してくれた、新潟の青年の道路情報の文字と似ていたので、あの青年が取り付けてくれたのかなとも思った。トンネル内は、節電しているのか真っ暗なので、ヘッドライトをつけて通り抜けた。歯長峠の休憩所を境に、西予市に入った。どんどん下っていくと、逆打ちのお遍路さんとすれ違った。「峠、行ける?」「大丈夫ですよ。」と、言葉を交わした。峠の降り口にある地蔵堂の脇に、古い小さな遍路墓を見つけた。いつの時代の墓なのか分からない。石仏が祀られ、お供えが添えられていたので、私も飴をお供えして手を合わせた。下川と書いて『ひとうがわ』という普通では読めない地区を通り過ぎ、収穫後の葡萄棚をたくさん眺めた。葡萄が下がっているところを見たかったので、とても残念だった。『道中安全見守大師』が、道路に向かって立っていた。道の駅の前を通ると『どんぶり館』と看板があり、買い物客や車で賑わっていたので昼食に寄った。混雑しているレストランでうどんを食べ、地域限定だという大福餅を買った。大福餅を売っているお姉さんに、時季の特産物を訊ねたら、早生(わせ)が一番だと言う。数ヶ所ある売り場の中から、自分が良く利用する売り場を教えてくれたので、みかんを1箱買って家に送った。43番明石寺に向かう途中、龍光寺ですれ違った二刀流のお遍路さんが、私に気づいて手を振ってくれた。私は、ブルーのクリップ式偏光レンズのサングラスを掛けているので、特に目立つ。徐々に坂を上った先にある明石寺は、山門も大きく立派なお寺だった。6世紀に創建された天台宗のお寺だという。本堂裏手に『しあわせ観音』像があるというが、気づかず行けなかった。仏足石や、たくさんの石像もあった。納経所に行くと電話が鳴り、長電話で納経に30分以上待たされたので、ため息をついて下山した。石段を下りたところの遍路用品店で、ソフトクリームを食べた。宇和の街中を通ると遠回りなので、山中を越える道を教えてくれた。しばらく歩いたが、途中で道標もなくて道が分からなくなり、戻って街中を歩いた。宿の『宇和パーク』は、明石寺からほど近いと勘違いをしていたので、なかなか着かなくて道を間違ったかと思った。遍路用アプリの地図案内は、住宅前の細い道を優先して示し、車の激しい道を避けるので、遠回りになることが多い。やっと着いた『宇和パーク』の受付で、足元の手荷物置きの台に気づかず、左足のすねを強打し、転倒してしまった。そそっかしいけれど、仕方がない。ぶつけたキズが、このお遍路の最終日過ぎても痛く治らなかった。

 

 

見落としそうな道標

 

仏木寺

 

42番仏木寺/山門

 

仏木寺/境内

 

コスモスロード/県道31号線

 

道標&道路情報

 

吉鳥かと思いました

 

水害で崩落した歯長峠道

 

歯長峠道

 

道標

 

道標&道路情報

 

歯長峠頂上から

 

道中安全見守大師

 

道の駅 どんぶり館

 

43番明石寺

 

手水場

 

夫婦杉

 

 

 

平成30年

11月2日晴れ 朝食を食べようと、早朝から開店していた近くの『あすも』というお弁当屋さんに行った。店内に入ると、すでに無精髭のおじさんが朝食を摂っていた。持ち帰りも出来たが、話しかけられたので、店内で食べる事にして温かい定食を注文した。店主に訊ねられ、北海道からと答えたら、旧知のように親しげに接してくれた。四国の人は、北海道と聞くと本当に驚くようだ。それも知床から歩き遍路で来たので、なおさらだ。600円そこそこの定食なのに、たくさんのミカンと、蒸かしたばかりの酒まんじゅうをお接待してくれた。商売にならないのに良いのかなと感じながらも、御礼を言っていただいた。ホテルに戻って、ふわふわの酒まんじゅうを食べたら、とても美味しかった。昼食用に、5個くらい買っておけばよかったと思った。水ぶくれがずれないように、キズバンの上からテーピングでしっかり巻いた。10キロ歩いて宇和島市街に入り、久しぶりに賑やかな街を歩いた。向こうから日傘を差して歩いてきた婦人が、突如傘を左手に持ち替えて、右手を胸の前に立ててお辞儀をしてくれた。もう、ビックリしたなんてもんじゃない。ドキドキして、冷や汗が出た。僧侶でもなく、怪しいサングラスをした歩き遍路なのに、初めて拝まれた。夜、その出来事をカミさんに電話したら、大笑いした。息子はLINEで「成仏すれよと、思ったんじゃない。」と、笑える返信をしてきた。市内の56号線は、チェーンの飲食店が多く、美味しそうなカレーの匂いがあちらこちらでしてきた。食べたいなと思い、『ガスト』に入ってカレーを食べる事にした。ドリンクバーの意味も分からず、注文に手間取ったが何とか食べた。少し先を行くと、車から買い物袋を降ろしていた老婦人が、会釈をして「どちらから?」と聞いてきた。「北海道ですよ。」と答えると、「うわーっ!」と顔をくしゃくしゃにした。「家でコーヒーでも飲んでいきませんか。」と、誘ってくれたが遠慮した。信号に注意しながら歩いて行くと、サイクリング車に乗った10人程の集団が、勢いよく走って来た。「チャオ!チャオ!」とみんなが手を振ってくれたので、笑顔で手を振り返した。イタリア人の集団かな。「ガンバッテ!」と言う日本語も聞こえた。「サンキュー!」と返したが、聞こえたかどうか。外国人はお遍路さんを理解しているのか、どこでもよく応援してくれる。市街を抜けて先へ行くと、また『松尾トンネル』という1,710メートルの古いトンネルに出くわした。『松尾』という名前の峠やトンネルが多くて、どの松尾なのかよく勘違いをした。ようやく龍光寺手前の『民宿みま』へ着いたら、まだ時間があったので、リュックを預けて龍光寺へ行った。畑の真ん中を歩き、着いた長い石段の先に、朱塗りの鳥居が見えた。間違えたかと思いながら上がっていったら、左に本堂が見えた。地元では『三間のお稲荷さん』と親しまれているお寺で、境内にはお地蔵さんと狐が並んでいる。五穀大明神という神様と、お大師さんの縁があるお寺だ。境内には七福神の石像もあり、何でもありかと驚いた。本堂では50代の夫婦が、勤行次第を読経していた。お参りを済ませ納経所に行くと、住職らしい男性が無言で納経帳を受取り、御朱印をパンパンと押し、さっと書いて無言で返してきた。帰り道に杖を1本腰に差して、急ぎ足で歩いているお遍路さんとすれ違った。「二刀流、ムサシか。」と可笑しかった。清潔で気持ち良い風呂に入ったが、乾燥機が見当たらなかったので、夕食後洗濯はせずに早めに寝てしまった。

 

 

あすも

 

あすもでお接待されました

 

道標

 

別格20番札所への道標

 

お接待の看板

 

標石

 

お接待の看板

 

私の影

 

お遍路さん休憩所

 

龍光寺/標石

 

長い石段

 

41番龍光寺/本堂

 

七福神

 

 

平成30年

11月1日晴れ 41番龍光寺まで50キロ以上あるので、今夜の宿は宇和島市津島町のビジネスホテルに予約してある。水ぶくれが靴に擦れて痛いので、歩幅を小さくしてゆっくり歩いた。通りの居酒屋さんの看板が目に付いた。『おへんろさんひと休みしませんか』って、居酒屋さんでひと休みは無理でしょう。一杯呑んで歩くお遍路さんはいないのにと、写真を撮りながら笑ってしまった。愛南町は広域なのだろうか、愛南町の街路放送や標識がどこまでも続いた。11キロ程歩いた頃、水ぶくれのところが一層痛くなり、歩くスピードが落ちてしまった。街外れで新潟ナンバーの車が止まり、若い青年がミカンをお接待してくれた。袋の中には、お遍路用の道路情報を書いたメモも入っており、車には『がんばろう!愛媛』とシールが貼ってあった。愛媛県の水害で、ボランティア活動で来ている青年なのだろうか。ミカンも美味しかったが、この道路情報メモが後にとても役に立った。ゴミ拾いをしていた農家のおじさんが、「お遍路さん、ゴミ出して。捨ててあげるよ。」と、ゴミ捨てのお接待をしてくれた。変わったお接待だけれど、空のペットボトルやパンの袋を捨てられないので、ありがたいお接待だった。突然、左手に海が見えた。『室手海岸』の標識があり、しばらくぶりの海で、景色を眺めながら歩いた。柏郵便局の前で、『柏坂へんろ道』の道標を見つけた。龍光寺まで40キロ以上あるので、無理に遍路道に入らず、宿毛街道と呼ばれる国道56号を進んだ。内海トンネル、鳥越トンネルと抜けて、大場の鼻トンネルに行くと、左側に『嵐坂 風の通り道』と表示された、歩行者専用のトンネルがあった。『風と一緒に歩いてゆこう』と書かれてあり、頭の柔らかい役人もいるのだなと思った。白いトンネル内を、涼しい風が吹き抜けて、本当に風と一緒に歩いているようで、気持ち良かった。宇和島市津島町の、『ビジネスホテルアイリン』に着いたのは、午後3時を過ぎていた。2日前このビジネスホテルに予約の電話を入れた時、「お遍路さんですか?ご苦労様です。どうぞお気を付けてお越し下さい。」と言われ、とても良い印象を持ったホテルだ。入口横のコイン洗濯機で洗濯をしていたら、人相が分からないほど無精髭の、お遍路おじさんがやってきた。福岡から来て、1番から通しで歩いていると言う。ホテル内に飲食店が入っていたので、刺身の夕食を注文した。開店1周年記念で、ビール1杯がサービスだったので、おかわりして呑んだがとても美味かった。

 

 

居酒屋さんの看板

 

道路標識

 

道標

 

室手海岸

 

久し振りの海でした

 

道標

 

標石

 

松山までまだまだ遠いです

 

嵐坂 風の通り道

 

嵐坂 風の通り道

 

標石

 

平成30年

10月31日晴れ 天気も良いので、気持ち良く40番観自在寺を目指して歩き始めた。道端でミカンがなっているのが珍しくて、写真を撮っていたら、後ろからウォーキングおじさんに、「おはよう!」と声を掛けられた。「歩くスピードが僕と同じだね。脚が強いね。」と褒められたが、喜んで良いのか複雑だった。よほど年齢のわりに、脚力に自信があるのだろう。前後しながら一緒に歩いたが、宿毛駅と観自在寺への分かれ道で「お元気で。」と別れた。次回は宿毛駅に戻り、愛媛県を歩くと言う。一国参りも良いなと思う。徐々に、愛媛ナンバーの車が目に付いてきた。観自在寺は愛南町とあるけれど、平成の合併で4町1村が一つになった町名で、『鶴の家旅館』から国道56号線経由で約30キロ先にある。松尾峠越えをしても良いかなと思っていたのだけれど、道標を見失って、知らずに国道56号線を歩いてしまった。でもパン1個、お茶1本でトイレを借りられるので、国道沿いにあるコンビニは本当にありがたい。すれ違う地元の方に、よく声を掛けられた。「御荘(みしょう)まで歩くのか?」「はい。」「へえ〜、歩くんだ。遠いぞ。」と、半ば呆れられたりもした。国道からはずれて商店街を歩いたり、また国道に戻ったりして、ようやく着いた観自在寺は、街の中にあった。『観自在菩薩行深・・・』と、般若心経の出だしの一節が寺名の、珍しいお寺だ。大師堂の前に、大きな三鈷が設置されていた。お大師さんが中国明州の浜から、「密教修禅の道場を示したまえ。」と日本に向けて宙に投げられた逸話から、心願成就の三鈷として、参拝者が触れて祈るように設置してあった。たくさんのお遍路さんや参拝者が触っていくので、ピカピカに光っていた。私も両手で撫でたが、祈ったのかどうか覚えていない。納経所ではとても丁寧な対応をしていただいて、気分が良かった。無愛想な納経所もあるなか、この差は何だろう。近くの『ホテルプラザ御荘』に、素泊まりで泊まった。洗濯を終えてから、近くの定食屋さんで夕食を摂った。踝の下に大きな水ぶくれが両足に出来ていたので、手当をして風呂に入った。昨年を教訓にビタミンBの薬剤を服用していたが、とうとう唇にも水ぶくれができてしまった。水を飲むと浸みて痛い。

 

 

道標

 

宿毛トンネル

 

道標

 

40番観自在寺

 

観自在寺/山門

 

観自在寺/本堂

 

観自在寺/大師堂

 

三鈷由来

 

三鈷杵

 

三鈷杵

 

観音様

 

栄かえる

 

カエルが3匹!

 

お大師様

 

 

平成30年

10月30日晴れ 朝食前に目が覚めたので、薄暗い外に出て、きれいな朝日が出るのを待って拝んだ。少し肌寒いので、初めて長袖を着た。6時過ぎに、80代のお遍路さんが、「じゃあ。」と暗い中を金剛福寺に向かって歩いて行った。朝食後、奥さんがおにぎり、バナナ、飴などたくさん入った袋を、みんなにお接待してくれた。昨日歩いたローソンまでとバスを待っていたら、腰の曲がった高齢のお遍路さんが「今日も、きれいな空と海だなぁ。う〜ん、空海だな。」とポツリと言った。さらに、「登山は一度登ったらいいけれど、お遍路は家に戻ると、また歩きたくなるんだな。きっとな。」と笑った。そんなものかな、私は一度きりで良いと思った。逆打ちをしているこのお遍路さんは、何週目なのだろうか。じゃがいも焼酎を知っていたので驚いた。「焼酎が好きだからな。」と、ニヤッとした。四万十市に向かうというので、ローソン前で別れてバスを降りたが、バスの中から、見えなくなるまでずっと手を振ってくれた。なぜか嬉しくて、「元気でお遍路を続けて下さい。」と心で願った。3日前に昼食を摂った『カフェダイニングLuce』の前を通り、『真念庵』に向かった。『ロッジカメリア』の近くから、三原村を通る近道もあるが、遠回りでも『真念庵』に参拝したかった。真念は、江戸時代初期の高野聖で、『四国邊路道指南』を出版し、『真念庵』といわれる遍路小屋や、標石を建てたお遍路さんの先駆けなので、是非寄ってみたかった。小高い丘の鬱蒼とした樹木の中に、ひっそりと小さなお堂があった。納経は、近くの大塚さん宅でしてもらえる。事前に電話もせず訪問し、早朝にもかかわらず快く対応してもらった。納経印が2種類あると言うので、両方お願いした。『日本第一霊場』の御朱印が押された。「ずいぶん重たそうなリュックだね。」と、奥さんがミカンを2個お接待してくれたが、甘く美味しいミカンだった。数日前に、北海道の女性3人が納経に来たらしい。「今年はなぜか、北海道から来るお遍路さんが多いねぇ。」と、首を傾けた。「さあ、そんなに多いですか?」とだけ返事をした。御礼を言って、宿毛市の『鶴の家旅館』に向かった。県道346号線は登り坂の多い道だが、車道なので安心して歩いていた。ところどころに落石注意の看板があったので、危なかしいところは早足で過ぎた。しばらくして一台の車が止まり、老夫婦から「お遍路さん、乗って行きませんか?」と、声を掛けられた。「ありがとうございます。歩きたいので。」とお断りした。歩き遍路が唯一断れるのが、車のお接待だ。歩くことが特に苦痛ではなくて、普段のウォーキングの延長くらいにしか感じていなかったので、乗りたいとも思わなかった。歩いていると土地の伝承とか、小さな祠とか、たくさん目にするのが楽しい。三原村は、やたらと『どぶろく』の文字が目に付く村で、『椿姫の伝説』という、どぶろくの旗竿がたくさん立っていた。ここは酒税法の特例を受けて、どぶろくが造られている。そう言えば、以前ニュースでどぶろく特区とか流れていたが、ここの事だったのかと思った。民宿でもどぶろくが提供されるので、人気でなかなか予約がとれないらしい。まさか昼間から呑んでお遍路する訳にもいかず、呑みたいのをグッと押さえて先を急いだ。お昼近くになり『やまびこカフェ』という、村営の店舗が併設された、軽食もできる道の駅のような施設があったので立ち寄った。昼食する人で混んでいたが、定食は1種類だけだった。注文していたら、昨夜、『民宿くもも』で一緒だった70代のお遍路さんが入ってきた。昨夜は何も話さなかったが、東京方面から一国参りで歩いていると話してくれた。日本中のウォーキングの大会に参加していて、将来オホーツクの大会にも出る予定だと言う。白衣だけは着ているが、金剛杖を持たないし、菅笠も被らず不思議だったが、ようやくのみ込めた。それで、スポーツメーカーのロゴの入ったキャップを被っていたのだ。私がトイレに行っている間に先に出発したが、いくら早足で歩いても、ついぞ追いつかなかった。声も体格も小さく老人に見えたが、なかなか侮れないと思った。『民宿くもも』から30キロ程歩いて、宿毛市平田駅近くの『鶴の家旅館』に着いた。家族経営らしい、昔ながらの旅館だった。玄関前のベンチで休んでいたら、旅館のご主人が出てきて、「まだ時間が早いので、延光寺まで行ってきたら良い。」と言った。やっと着いてひと休みしたので、往復5キロは面倒だなと思った。「明日歩くのが数キロ短くなるし、お遍路さんはみんなそうしているよ。」と、再度促されたので重い腰をあげた。リュックを預けて納経に必要な物だけを持ち、「明日もこの道を歩くのになぁ。」と、呟きながら延光寺に向かった。延光寺の境内に、『眼洗い井戸』というのがあった。お大師さんが錫杖で地面を突いて湧き出た霊水で、眼病に良いらしい。効果を期待して、右眼に何回も霊水で擦った。効いてくれると良いな。この後も眼病に効くという霊水は、疑いもせず右眼に擦った。亀が赤い前掛けをして、鐘を背中に乗せている石像があった。伝説によると、赤亀が梵鐘を背負って帰ってきたのだそうだ。まさかと思うが、伝説だから受け入れて信じるしかない。だから山号も赤亀山という。平安時代に鋳造された鐘は、国の重要文化財に指定されている。大師堂の前で、昼食を一緒に摂ったウォーキングおじさんが、経本を開いてお経をあげていた。近くの民宿に泊まると言う。何回も歩いているから、歩くペースが分かるので、早い予約ができるのだ。元の道を戻り、旅館に戻ると部屋に案内された。奥さんは、北海道W町出身だと言った。風呂に入って汗を流した後、奥さんが「洗濯物を出して下さい。洗いますので。」と言ってくれた。下着もあるから自分で洗いたかったが、「お接待です。皆さんにしていますので、遠慮なくどうぞ。北海道から来た、3人の女性にもしてあげたんですよ。」と言うので、ネットに入れてお願いした。大塚さん宅で会話に出た女性達も、ここに宿泊したらしい。この時、タオルがないのに気づいた。『民宿くもも』で部屋に干して、そのまま忘れてしまったようだ。平田駅前のローソンで、パンと烏龍茶を買う際に、タオルも一緒に購入した。やっと延光寺で高知県の霊場が終わり、いよいよ明日から愛媛県『菩提の道場』に入るので、少し嬉しかった。でもまだまだ先は長い。

 

 

久百々地区の日の出

 

真念庵/標石

 

真念庵への石段

 

周囲は竹林です

 

真念庵

 

標石

 

三原村の道路標識

 

お遍路休憩所

 

みみごさん/掲示板

 

やまびこカフェ

 

案内板

 

道標

 

39番延光寺

 

眼洗い井戸

 

眼洗い井戸

 

梵鐘を背負った赤亀