平成30年

11月6日晴れ 5時半頃、隣の部屋のFさんという若いイタリア人女性が、薄暗いなか出発して行った。若い外国人は、素泊まりで旅をしている人が多いから朝は早い。6時過ぎに朝食を持ってきたが、ほとんど食べずに早々に外に出て、思いっきり深呼吸をした。無精髭のおじさんはIさんと名乗り、一緒に鴇田峠に向かった。宿にコップがなく、歯も磨けなかったと、途中の湧き水で口をゆすいでいた。帰宅後にネットで検索したら、何年も前からかなり辛辣な苦情の多い宿だった。お遍路の身で口にすべきではないと思うが、真剣に改善してもらいたいと思った。大きな鳥居の『三嶋神社』を参拝し、『延命山厄除大師』という石柱のある大師堂の前を通った。無精髭のIさんは神社、大師堂の他、神仏に縁のありそうな建造物を見かけると、片手を立てて「南無大師遍照金剛」と必ず3回唱えて通り過ぎた。周囲に民家を見かけない木材の作業場では、青々とした細い木を束ねて、屋根のあるプールに何百束も立てかけてあった。無精髭のIさんは、お正月の松飾りの製作中ではないかなと言ったが、こんな山奥で作るのだなと妙に感心した。「歩くのが速いね。」と何度も言われたが、私には言葉の意味が分からなかった。無精髭のIさんは一時間歩いたら、少し休憩をとるらしい。急がないので、今までゆっくりと歩いてきたのだ。山道でも休むことなく歩く私と、ペースが合わないらしい。リュックから細長い袋が飛び出していたので、納経用の掛け軸だろうかと訊ねたら、なんと尺八だと笑った。霊場では、お経を唱える代わりに尺八を吹いてきたという。「虚無僧の流派だよ。」と教えてくれた。聴いてみたかったが、峠を登る途中で聴く事は叶わなかった。『鴇田峠遍路道』『大宝寺7.8粁』と刻まれた新しい標石の前で、お互いに写真を撮った。無精髭のIさんに、柿街道で買った柿を貰い、かじりながら歩いた。峠の途中、自前でお遍路休憩所を作った老人に出会った。近くに小屋も建てたので、是非お茶を飲んで寄って行けとさかんに誘うので、先を急ぎたかったが従った。郵便局の退職者で、悠々自適の生活をしているようだった。話しが長いので、無精髭のIさんに目で合図して、納札を置いて去った。これもご縁だと、五円玉を通したリボンをいただいたので、杖に結んだ。まだ、今夜の宿を予約していなかった。久万高原町は宿が少ないので、早くしたら良いと言われた。早速電話して、宿泊したかった『いやしの宿八丁坂』を予約した。下坂場峠を越えてしばらく登ると、『だんじり石』と書かれた立て札があった。お大師さんが疲労と空腹で、地団駄を踏んだという大きな岩だ。見た人がいるのだろうかなと思うが、これも伝説だから仕方ない。無精髭のIさんが石の上にあがったが、足跡はないと地団駄を踏んで見せた。鴇田峠の頂上に着く前に、「お腹が空いて動けないので、おにぎりを食べるから先に行って。」と無精髭のIさんが言った。「じゃあ、頂上で待っていますから。」と言って、ほどなく着いた頂上のベンチで、パンを食べながら20分程待っていたが、なかなか登って来なかった。私とペースが合わないので、ゆっくり歩きたいのだなと思い、あとは下るだけなので心配ないと一人で峠を下った。徐々に広い道に出て久万高原町に入り、ようやく大宝寺に着いた。元号の大宝を寺号にしたという由緒あるお寺で、鐘楼が2つあり驚いた。お大師さんが訪れた時に、天台宗から真言宗に改宗したお寺らしい。ここまで、ようやく霊場の半分まで歩いた。後半は減っていくだけなので嬉しい。無精髭のIさんの宿は、大宝寺近くに予約していたらしいが、私の今夜の宿はさらに4キロ先の『いやしの宿八丁坂』だ。早い時間に着いたら、45番岩屋寺に行けると思い急いだ。『いやしの宿八丁坂』は、大宝寺と岩屋寺の中間にあり、打ち戻りするのに便利で評判の良い宿だ。トンネルを通ると、前方から十夜ヶ橋で出会った青年にすれ違った。「まだ岩屋寺に間に合いますよ。」と、数珠をいくつも巻いた右手を挙げて笑った。午後3時半過ぎに宿に着いたので、リュックを預け、岩屋寺へ歩き始めた。1キロ程過ぎると、足に水ぶくれが出来たようで痛くなり、諦めて宿に戻りローソンに行く事にした。宿から3〜4キロあるというので、タクシーを呼んでもらい向かった。久万高原町は町の条例で、コンビニがなかなか許可されなかったそうだ。運転手さんが話を聞かせてくれて、さらに代金の端数90円と、ニッキ飴を一袋お接待してくれた。宿は快適そのものだった。部屋はきれいで、シャワートイレが設置してある。洗濯機と乾燥機は無料で、宿泊しないお遍路さんにも、無料でロッカーを提供していた。打ち戻りするお遍路さんに、重いリュックを預かってもらえると評判の宿だ。オーナーがお遍路経験者で、お遍路さんの気持ちがよく分かっているからこそのお接待だ。夕食が美味しくて、とても満足した。夕食時には、何と!お遍路を22回歩き、富士山に57回登ったという行者みたいな83才の老人がいた。Sさんと名乗るスーパーお遍路さんで、同じテーブルに座った。多くのお遍路さんは、だいたい7週間前後で回るのが普通だ。しかしSさんは約33日で一周するので、1日50キロ超歩く日も多々あると話した。そんなに歩けるモンですかと、みんなが訊ねたらこんな話を聞かせてくれた。何周目かに、あるお寺の納経の順番待ちをしていた。納経帳をたくさん抱えた団体の添乗員さんが、「お先にどうぞ。」と親切に譲ってくれたそうだ。それを見ていた住職が、「受付順だから順番に並べ。」と頑として受け付けなかったそうだ。そこで一悶着あり、「団体さんは、本人が並ばなくてもいいのか。」と詰め寄ったら、「屁理屈こくな!」と身を乗り出したという。そこでSさんは、「それなら納経はもうしない。」と納経帳を投げつけて、その後は納経をせずお遍路をしていると笑った。だから時間にとらわれず、早朝から宿に入る日没までずっと歩くという。とんでもないスーパーお遍路さんだ。割り込んだわけでもないので、納経してあげれば良いのに、ひどい対応の納経所があるものだと、みんなが怪訝そうに聞いていた。そんな事があっても、お遍路を続けているのが凄いなと思った。雰囲気も所作も穏やかで、人生を達観したような老遍路だった。陶芸をしていて、3センチ位の小さなお遍路さんの信楽焼を、みんなにプレゼントしてくれた。フロントにたくさん飾ってあったが、宿にも毎回たくさん置いて行くらしい。お遍路の経験が豊富なので、たくさんのアドバイスをもらった。それにしても昨日の宿は最悪で、今日の宿はとても良かった。このギャップは何なのかな。宿泊費もこちらの方が安かった。

 

 

標石

 

三嶋神社

 

延命山厄除大師

 

鴇田峠へ

 

下坂場峠/標識

 

文字が読めないくらい古い標石

 

葛城神社

 

遍路小屋に貼ってありました

 

だんじり岩

 

無精ひげのIさんが地団駄を踏んだだんじり岩

 

大宝寺のある久万高原町への道標

 

鴇田(ひわた)峠/頂上の看板

 

44番大宝寺/山門

 

本堂への石段

 

大師堂

 

お地蔵様

 

いただいたお遍路さんの信楽焼