四国88ヶ所霊場の道中日記です。

初めてお遍路を経験しましたが、これから計画を立てている方々の少しでも参考になればとブログを始めました。1番霊山寺〜88番大窪寺・九度山・高野山まであります。本文が長いので、写真だけでも気軽にどうぞ。

 

四国お遍路道中日記

 

平成29年 1番〜37番

「お遍路、お遍路って、いつも言っているけれど、いつ行くの?」「そりゃ、いつでも行きたいさ。時間があれば。」「私は、いつでも良いよ。行っといで。一ヶ月でも半年でも。」「じゃあ、一週間。」「一週間じゃ、なんぼも歩けないでしょ。」「なら、三週間良いかな。」と、こんな夫婦のやり取りをして、突然決定した四国遍路の旅の始まりだ。

 

 

平成29年

10月15日雨 徳島空港に降り立ったのは、夕方だった。女満別空港から羽田空港へ飛ぶ便が取れなくて、千歳、羽田と乗り継いで着いた徳島空港は、長雨が続いていて肌寒かった。宿泊先の、鳴門市坂東の『民宿観梅苑』に向かう途中、雨の坂東駅で写真を撮った。1番札所霊山寺に近い坂東駅は、歩きお遍路さんが最初に降り立つ駅だ。大麻比古神社の参道にある『民宿観梅苑』は、お遍路さんがスタートする宿として知られている民宿で、半月前に電話予約をしていたが、老夫婦と娘さん(?)で経営していた。夕食膳に梅酒が出ると書かれてあったので、楽しみにしていたのだ。酸味も少なく、甘く飲みやすくて旨かった。翌日は朝早いので、早々に風呂に入り、午後9時過ぎには布団に入ったが、目が冴えてなかなか寝付かれなかった。

 

 

坂東駅

 

大麻比古神社

 

鳥居

 

 

平成29年

10月16日雨 6時前に起床して、近くの大麻比古神社にお参りに行った。江戸時代以前、霊山寺は大麻比古神社の別当寺だった。電灯が鈍く灯って薄暗い中、神職が本殿で慌ただしく朝の準備をしていた。僧籍を持つ作家の家田荘子さんが、著書『つなぎ遍路』の中で、お遍路の無事を祈願して、ここから始めると書いている。私も同じように、今日からのお遍路が無事であるようにと参拝した。まだ夜明け前で薄暗く、小雨模様であったが広く立派な神社だ。さすが『阿波国一宮』といわれるだけある。スタートが徳島県の一宮なので、他県の一宮も必ず参拝しようと思った。『民宿観梅苑』に戻り、朝食を済ませると「歩きの方には、皆さんにお接待しています。」と、おにぎりを2個持たせてくれた。御礼を言って玄関を出ると、車で霊場を巡拝するという同年代の男性が、バッグを積んでいた。仙台から一週間の予定で来たと言う。「歩きですか?雨の中大変ですね。お気を付けて。」と、白衣を着て車で去って行った。昨夜、雨で気づかなかった朱塗りの鳥居をくぐり抜け、霊山寺前にある『門前一番街』で、お遍路用品を揃えた。説明を聞きながら、袖なしの白衣(おいずるという)、菅笠、金剛杖、納札、ローソク、納経帳を購入した。お遍路では御朱印帳とはいわず、納経帳というようだ。霊場の順番がページごとに印刷されているので分かりやすいし、どこの霊場から参拝、納経しても構わないのだ。ウエストポーチに入る、一番小さい土佐和紙の納経帳を選んだ。門徒では式章という輪袈裟は、雨なので購入しなかった。線香は、自宅から一束持って来ていた。数珠は、前年に松島の圓通院で作った、手首用の数珠で間に合わせた。菅笠の紐をはずして、持参したホック式に取り替えた。女性の店員さんが、慣れた手付きで付け替えてくれた。雨が降って寒いので、息子のお下がりのウィンドブレーカー上下を着た。もたついていたら、白衣を一番上に着るのだと店員さんが教えてくれたので、ウィンドブレーカーの上に白衣を着た。カミさんが買ってくれたノースフェイスの真っ赤なリュックを背負い、菅笠を被り、金剛杖を持つとお遍路さんに変身した。徳島県は『発心の道場』といわれる。「さあ、一番から行くぞ!」と、ひと息ついて、午前8時前ぎこちない新人のお遍路がスタートした。『門前一番街』前の道路を挟んで見える1番霊山寺は、よく写真で見るお遍路さんの人形が出迎えてくれた。山門に合掌一礼をして境内に入ると、数人のお遍路さんを見かけた。四国霊場の納経時間は、朝7時から夕方5時までと決められている。この時間外は納経所も閉められるので、早いお遍路さんはもう来ている。作法に則って、本堂、大師堂の二カ所を参拝した。それぞれにローソクを灯し、線香もそれぞれ3本立てる。唱える開経偈、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、般若心経、御本尊真言、光明真言、御宝号、回向文はいずれも短い。正式には経本を見ながら読経するらしいのだが、般若心経は学生時代に暗唱していたし、少しでもリュックやウエストポーチを軽くするために、全部暗唱しておいた。合掌も金剛合掌という、指と指を合わさず少しずらす独特の合掌だ。幸運なことに、大師堂の納札入の箱の上に、金色の納札が置いてあった。50回以上お遍路している方のみに、許されている納札だ。御守になるというし、戴くことも可能なので、さい先が良いなと納経帳にはさんだ。兵庫県尼崎市在住の、女性の名前が印刷されていた。歩きなのか車なのか分からないけれど、初めてお遍路する私には驚きで恐れ入った。100回を超えると錦の納札なので、ぜひ見たいものだ。境内には多宝塔やたくさん見所はあるが、降りしきる雨の中、どこも眺めることなく納経を済ませて、そそくさと2番極楽寺に向かった。途中セブンイレブンで、お茶を買った。極楽寺の山門は、朱塗りで立派だ。極楽寺とは凄い名前だ。長い石段を上ると、お大師さんお手植えだと伝わる『長命杉』が聳えていた。仏足石のある本堂と大師堂を参拝し納経を済ませたが、まだ今夜の宿を予約していないので、少し不安になりながら3番金泉寺へと向かった。金泉寺への道は、最初の遍路道だった。歩道の足下に矢印の付いた標石(しるべいし)があって、野原というか畑というか、人ひとり歩けるほどの細い道だった。この道で本当に良いのかと思ったが、車道と違うこれが遍路道なのだ。お寺の裏手から入った境内には、大きなテントを張ったテーブルがあり、お遍路さんが雨合羽やポンチョを出して被っていた。型通りの参拝を済ませて納経所に行くと、「ようおまいり。」と言われたが、お遍路さんが大勢順番待ちをしていた。私の倍もあるような、大きい納経帳を取り出した老遍路もいた。「ようおまいり。」とは、良い響きだなぁ。方言かな。私の所作がぎこちないのか、一目で新人だと分かったのだろう。窓口の女性が、お遍路用地図のパンフレットで、次のお寺への道順を説明してくれた。お姿(御影)を貰うのを忘れないで、御影袋に入れるようにと教えてくれた。お姿とは、各霊場の御本尊を印刷したものだ。霊場の御本尊は、秘仏である事が多いらしい。雨が強くなってきたので、テントに戻ってポンチョを被った。ポンチョはカミさんが「雨が降った時に、両手が使えて便利だから、持って行ったら良いよ。」と持たせてくれたのだが、早速初日から使う羽目になるとは考えもしなかった。さすがカミさん、分かっている。袋から取り出したら、水色、ピンク、黄色、紫など派手な市松模様のポンチョだった。透明や地味な単色のポンチョを着ているお遍路さんが多い中で、一際目立ったが、恥ずかしさはまったくなかった。4番大日寺へは5キロ程歩くのだが、歩き遍路用のシールや標石などで、道順を確認しながら歩くのだ。しかし、いくら歩いても、次のシールが見当たらない事に気づいた。雨で地図は広げられない。「しまった!もう間違ったか!」と思い、注意しながら数百メートル戻ったら、草藁の中に小さな木の立て札があった。『愛染院』と書かれ、横道へ入る矢印があった。気づかず通り過ぎていたのだ。地図を取り出し確かめると、『愛染院』の前を通る順路なので、草を分けて入って行った。「こんな草ぼうぼうで見えない、けもの道かい!」と、半ば呆れながら歩いていた。また、いくら歩いても次の道標が見当たらない。「おかしいなあ、大日寺はこの山の向こう側なのに、また山に入って行くし。」と思い直し、また1キロ程戻ったところの二叉の足下に、小さく『大日寺』と書かれた木片を見つけた。雨の中また間違ったのかと、自嘲気味に大日寺へと急いだ。初日からこんなに間違うのなら、この先どうなる事かと思った。お寺に着いて、一礼し山門をくぐり、手水場で手を洗い、口をゆすいで、鐘楼の鐘をひとつ突いてから本堂へ行くのが手順だ。私は、鐘を突かなかった。一度くらいは良いかなと思ったが、鐘を見つけられなくてやめた。お遍路する人全員が突いたら、うるさいだろうと思って遠慮したのだ。この後も、ほとんど鐘は突くことをしなかった。後に大日寺の鐘楼は、山門の上に釣り下がっていると聞いて驚いたが、鐘楼山門というそうだ。見つからないはずだ。50才前後の住職さんだろうか、やさしい笑顔で納経をしてくれた。しばらく歩いて5番地蔵寺の手前にある、奥の院の五百羅漢寺に立ち寄った。高齢のおばあさんが受付だった。とても大きな迫力のある羅漢さんが、回廊に並んでいる。亡くなった人に似ている羅漢さんが居られるという。真剣に探したが、身近な人に似ている羅漢さんは見つけられなかった。過去に焼失し現在は500体はないらしい。歩いてすぐ近くの地蔵寺を参拝したが、『勝軍地蔵菩薩』と、初めて聞く珍しい名前の御本尊だった。名前から想像すると、かなり大きなお地蔵様だと想像していたが、お大師さんが彫られた一寸八分の大きさだと!現在は、大きな延命地蔵菩薩像の胎内に納められている。本堂前に水琴窟があると本に載っていたが、雨では澄んだ音は無理かなとパスした。次の6番安楽寺へと向かった。途中、お休み所を見つけたので、『民宿観梅苑』でお接待して戴いたおにぎりを、立ったまま食べた。安楽寺の山門は、竜宮城のような山門で、大きく荘厳な雰囲気のお寺だった。山号は『温泉山』と号して、天然温泉の宿坊があった。雨が朝からずっと降っているので、身体が冷え少し寒くなった。道路沿いにある遍路用品店で、温かいコーヒーを飲んでひと休みした。7番十楽寺まで行けそうだったので、十楽寺宿坊の『光明会館』に予約の電話を入れた。宿坊とはどのような所なのか、一度経験してみたかった。『民宿観梅苑』のご主人から、『光明会館』は新築だと聞いていたので、宿泊したいと決めていた。地元では、『治眼疾目救歳地蔵尊』が知られているそうだ。十楽寺の本堂、大師堂の参拝を済ませ、納経所を兼ねた『光明会館』で納経をもらい部屋に入った。テレビ、浴室はないけれど、ビジネスホテル並のベッドで快適だった。廊下の一角にコイン洗濯機、乾燥機も備えてあり、雨で濡れたものすべて洗って乾燥させ、大浴場でゆっくりと温まった。夕食は宿泊者全員が食堂に集まる。どこかのお寺の住職が、年配の檀家さん10人程を連れていた。食事の前に、「一粒の米にも万人の苦労がかけられています。一滴の水にも天地の恵みがかけられています。ありがたくいただきます。」と、合掌して大きな声で唱和していた。学生時代、松島の瑞巌寺で合宿した時に、同じような『食事五観文』を唱えたことを思い出した。この後も、宿坊以外の宿泊先で何度も聞いた。宗旨は違っても、食事への感謝の心は同じだ。その直後、作務衣を着た僧侶6人が入ってきた。「お坊さんの修行かな。」と思ったら、いきなり「生、六つ!」と、大声を発した。大きいジョッキで生ビールを一気飲みし、「生、おかわり!」と叫んだ時には、「えっ、お遍路のお坊さんが、こんなんで良いの?」と、正直驚いた。あの檀家さんたちは、何を感じたかな。自分のテーブルのお遍路さん達は、だれもビールを頼まないので、私も遠慮した。ただ缶ビールの自販機があるのを、目ざとく確認していたので、あとで買いに来れば良いと思った。初日7つの霊場を歩いたが、距離もまあ短いし上出来だ。山門に入りひと通り納経まで終わるのに、霊場一カ所で、約30分の時間を有することも分かった。寝る前に、照明が消された薄暗い食堂へ行き、そっと自販機の缶ビールを買って部屋に戻った。

 

 

1番霊山寺

 

霊山寺/本堂

 

霊山寺

 

2番極楽寺

 

長命杉

 

標石と遍路道

 

3番金泉寺

 

本堂

 

4番大日寺

 

大日寺/大師堂

 

五百羅漢寺/5番地蔵寺奥の院

 

5番地蔵寺

 

6番安楽寺

 

7番十楽寺