水道はない、洗濯機もない、乾燥機もない!合成洗剤もない・・・・・時代であった。

衣類の洗濯は、盥(タライ)と、洗濯板(センタクイタ)と石鹸であった。

水は、井戸水や、風呂の残り湯を利用した。

きんとさんの実家の前には、山国川の上流から引水した農業用水路があり、夏場はこの水路で洗濯をした。

洗濯は、女性の仕事であり、家の前は、洗濯する近所のオバサン達で賑った。

石鹸で揉み、すすぎは、用水路で、大物の場合は、用水路に浸かってすすいだ。

おとぎ話の“お婆さんは、川で洗濯を・・・”そのものであった。

時折、桃ならぬ、“ゴミ”や“野菜くず”が流れてきたが・・・。

 

タライは、口径が大きい桶(オケ)である、洗濯に限らず、赤ん坊の産湯から、幼児の行水まで活用された。

洗濯板は、長方形の板の表面に波のような溝を掘ったものであった。

因みに、洗濯板の波型溝は、痩せた人のアバラ骨に似ていたことから、

痩せた人の胸を“洗濯板”と譬えられた。

洗濯板に乗らない、大物(寝具)の場合は、足で踏んだり、棒で叩いた。

 

終わると、手で絞り、大物は、二人で絞った。

乾燥は、物干し竿で、天日乾燥であるため、それに見合った干場が必要であったが、

農家は、物干し場所に困ることはなかった。

農作業中に、にわか雨が来ると、急いで帰って、干し物を取り込んだ。