祇園祭もそろそろ終りますが、ちまきなどに「蘇民将来之子
孫也」と書いてあるのをご存知でしょうか。
我が家は蘇民将来の子孫であると言えば厄災から逃れられ
るという言い伝えです。
これは740年頃までには成立したと言われる「豊後国風土
記」(豊後国は今の大分県辺り)に書かれている話が元にな
ったといわれています。
そこに書かれている話とは
昔、北の海におられた武塔神が海の神の娘を娶るためにお
出かけになったところ、日が暮れてしまった。そこに蘇民将来
二人 がいた。兄の蘇民将来はたいそう貧しく、弟の将来は
裕福で家倉が百もあった。ここに武塔の神は旅の宿を借り
ようとなさると、弟は物惜しみをして宿を貸さな かった。しか
し兄の蘇民将来は宿を貸してさし上げ、粟飯でおもてなしを
した。
という内容です。
上の話ではよく解らない点がいくつかありますが、他の文
献等によると、蘇民将来二人とは兄の蘇民将来と弟の巨旦
(こたん)将来のことで、巨旦将来一家はその家に居た蘇民
将来の娘以外は全員殺されたというのが大方の解釈らしい。
突然やって来た見知らぬ人の宿を断っただけで一家全員
が殺されてしまうとは恐ろしい話ですね。(普通は断りますよ
ね。)
八坂神社などは、蘇民将来のお守りがあれば厄災からの
がれられるといいますが、速須佐雄神自身に問題があるよ
うです。
孫也」と書いてあるのをご存知でしょうか。
我が家は蘇民将来の子孫であると言えば厄災から逃れられ
るという言い伝えです。
これは740年頃までには成立したと言われる「豊後国風土
記」(豊後国は今の大分県辺り)に書かれている話が元にな
ったといわれています。
そこに書かれている話とは
昔、北の海におられた武塔神が海の神の娘を娶るためにお
出かけになったところ、日が暮れてしまった。そこに蘇民将来
二人 がいた。兄の蘇民将来はたいそう貧しく、弟の将来は
裕福で家倉が百もあった。ここに武塔の神は旅の宿を借り
ようとなさると、弟は物惜しみをして宿を貸さな かった。しか
し兄の蘇民将来は宿を貸してさし上げ、粟飯でおもてなしを
した。
さて、武塔神はお出かけになって何年か経って後、八人の
御子神を伴って帰ってこられた。武塔神が申されるには「将
来に礼をしようと思う。汝の子孫がその家にいる か」とお尋
ねになった。「自分の娘とこの妻がおります」と申しあげた。
そこで武塔神は「茅の輪をつくり、それを腰の上に着けさせ
よ」と言われた。お言 葉のままに茅の輪を着けさせたところ、
蘇民の娘一人を除いて、一人残らず殺して滅ぼしてしまわ
れた。そして「私は速須佐雄神である。後の世に流行病が
あったときには、お前たちは『私は蘇民将来の子孫です』と
言い、茅の輪を腰の上に着けていれば、その人は流行病
から逃れることができるぞ」と仰せになった。
という内容です。
上の話ではよく解らない点がいくつかありますが、他の文
献等によると、蘇民将来二人とは兄の蘇民将来と弟の巨旦
(こたん)将来のことで、巨旦将来一家はその家に居た蘇民
将来の娘以外は全員殺されたというのが大方の解釈らしい。
突然やって来た見知らぬ人の宿を断っただけで一家全員
が殺されてしまうとは恐ろしい話ですね。(普通は断りますよ
ね。)
八坂神社などは、蘇民将来のお守りがあれば厄災からの
がれられるといいますが、速須佐雄神自身に問題があるよ
うです。









