ドラマと、重なる記憶 | 5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

娘、4歳の夏、脳幹部のグリオーマDIPG になりました
頑張りぬいた娘の姿と家族の日常を綴ります
病気の周知と治療法の発展を願って!
ブログに助けられました
このブログがどなたかのお役に立てれば幸いです

 

 

アンメット

今クール

毎週月曜日22時から放送中のドラマです。

リアル視聴はできないから録画ですが

毎週楽しみに見ています。

 

ドラマの内容自体がいいのと

やはり脳外科が舞台で重なるところも多いので

涙することも多いです。

 

その中で

先日の第10話は

ボロ泣きでした。

 

脳腫瘍の影響で記憶障害が起き始めた男性の患者さん。

言葉を発することもしなくなって

ぼんやりしている時間が多くて。

 

でも

奥さんがくると

ちゃんと反応するんです。

 

ずっと寝ていても、奥さんが来ると起きる

看護師さんが食事介助しても口すら開けないのに、奥さんが食べさせると食べる。

 

その様子が

とても温かく描かれていました。

 

医学の理論上ではありえないことでも

そんなことで語れないこともある。

 

それをドラマでは

「心が覚えている」

と表現していました。

 

私がずっと泣いていたのは

全てが分かりすぎたから。

 

ここのブログに書いたか書いてないのか…

ちょっと分からないんですが(すみません)

心菜が旅立つ前夜に

まさにこんなことがありました。

 

もう意識は混濁していて

片目は数日前から瞳孔が開いていて

手は青白くなり始めていて

顔は少しむくみ始めていて

前日の検診ではサチレーションは80で

夜の救急に駆け込んだ時には60以下まで下がって

医師に「週末越せるかどうか分からない」と言われて

 

 

みなさまからパワーをいただきたくてリアルタイムで書いた記事がありました。

 

まさに、この状態の時。

 

心菜は私のことが分かってる

いる場所が理解できている

確かな出来事がありました。

 

救急受診を終えて病院から帰る時に

駐車場に車をとりにいかないといけなくて

心菜から離れる時間があったんです。

心菜には車をとりに行くことは

病院から家に帰ることもしっかり伝えて

車をとりに行きました。

 

その間に医師たちが心菜を玄関までストレッチャーで運んでくれていたのですが

車から降りると主治医が

「心菜ちゃんママを探してたよ」

って。

聞いたら「あーあー」って一生懸命に声を出していたって

教えてくれました。

 

心菜はこの二ヶ月半前には脳内播種だらけで

脳幹の腫瘍も大きいけれど

他にも脳内にはたくさん腫瘍があって

いつ何があってもおかしくない状態でした。

 

おしゃべりもこの1カ月以上前にはできなくなっていて

声を出すこともほぼなかったんですが

ほぼ全ての機能が奪われて

頷きなんてとんでもなく

瞬きもできなくなったあたりから

時々声を出すようになったんです。

 

それは「喋る」とは違っていて

一生懸命に息を吐きながら声帯にのせている感じかな。

 

動きで意思を伝える手段がなくなってしまったから

伝えられる方法を一生懸命に探したんだと思います。

 

それが

旅立つ前日の夜にもありました。

 

私が車をとりに行っている間の出来事だったので

残念ながら私は聞けなかったのですが

医師たちはしっかり声を聞いて

心菜の意思を受けとってくれたようです。

 

あー

心菜は今病院にいること分かってるんだな

家に帰りたいんだな

そして

私のこともちゃんと分かってくれているんだな

そう感じました。

 

私が迎えに行って

声をかけて

車に乗せたら

すっかり落ち着きました。

そして家に着いてからは

安心したかのように眠りにつきました。

 

アンメットを見ながら

この時のことをずっと思い出していました。

 

心菜にとって私は

「心が覚えてる」

存在だったのかな。

 

そう考えると

心菜の母親でいられたことを

とても幸せに感じました。

 

「心が覚えてる」

 

救われる言葉です。