娘が眠った後に病室で夫とこれからの話をしました。
細かなことは覚えていませんが
これから娘の病気にそれぞれどう向き合うか、ということは話しました。
私は、祖父母やおじおば、養母など年齢の割には多くの闘病と旅立ちを経験してきました。
実母も体が弱く、私が子供の頃は入退院を繰り返していたので、なんとなく病気や病院に対して冷静なところがありました。
夫はあまりそういう経験がなく、男性ゆえに現実を受け止めることの弱さも持っていたので
夫に完全に向き合わせてしまうと、この人は壊れてしまう、と思いました。
「娘のことは私が8割、あなたは2割で向き合っていこう。
でも、私もきっといっぱいいっぱいになってしまう時があるかもしれない。
だからその時は助けてほしい。」
とお願いしました。
夫は静かに聞いて、それでいいというようなことを言ったような気がします。
実際にこうしたことで、この後とてもバランスよく過ごせたと思います。
そして、全てに向き合わないからこそ、夫はとてつもない強さをみせ、私は支えられました。
この夜の夫婦それぞれの受け方ですが
この時点では夫の方がかなりの衝撃を受けていたのは確かでした。
私は数か月前から娘の変化に気がついていて
6月にはすでに不安でいっぱいの毎日でした。
どうすれば娘が以前のようなハツラツな娘になるのか
甘やかそうか、一緒にお出掛けしようか、旅行など楽しみを作ろうか、など
そんなことばかりを考えていました。
だから娘の病気が分かった時、全ての点と線が繋がって
「そういうことだったのか…」
と、今まで溜まっていたいた不安が静かに満杯になった感じでした。
夫は、私から話は聞いていたものの、そんなに気に留めることはなく
「あれ?」
と具体的に感じ始めたのは病気発覚の少し前あたりだったので
急に大きな岩石を投げられ、不安が一気に溢れだし、キャパを越えてしまった感じでした。
次の日から私は娘の付添に専念することにしましたが
夫は何か他の方向をみていないと潰れそうだということで、次の日も仕事は休まず、何かない限りは休みもとらないというスタンスになりました。
あとは、具体的に何を話したかは覚えていませんが
これから娘を全力で守っていくために
よく食べ栄養をつけて、睡眠をしっかりとろうね、という話はしました。
父ちゃん母ちゃんは心身ともに倒れるわけにはいかないと。
そういえば、看護師さんが私たちのことを心配して
「大丈夫ですか?」
と何度もお声かけくださいました。
夫が帰った後には
「パパが凄く心配です。」
とも言ってくださいました。
よく見てくださり、温かく、とてもありがたかったです。
夫が帰った後、私は今後の仕事の手はずを整える作業に入りました。
自営業だったので、キャンセルも今後の告知も、全て自分で早急にしないといけなかった。
やらなければならないことがあったおかげで、冷静なまま夜は更けていきました。