皆は神社にお願いはしたことはあるだろうか?
叶ったらお礼はしているだろうか?
今回はそれについて語っていくつもりだ。
(もちろん私個人の見解の為、これは共通認識ではないし絶対ではない。人には人の乳酸k・・・いや、スピリチュアル。)
神社にお願いをする・・・有名どころというと、私自身はお稲荷さんが真っ先に思い浮かぶ。
お稲荷さんでお願いごとは誰にしている?
神様のお狐さん?
しかし、お稲荷さんのお狐さんとは神使・・・つまり眷属だ。
ここは間違える人が多いと思うが、お狐さんが神様ではない。
宇迦之御魂・ダキニテン・稲荷大明神など様々いらっしゃる彼らが神霊であり、お狐さんはその神様たちの使いである。
つまり従業員。
皆神霊の元で修行・勉強しながら、その修行の一環で働いている。
土地のエネルギーを整えて農作物や人々の営みを豊かにしたり、エネルギーを乱す悪しきモノを遠ざけたり、それらから守護したりするのがメインの仕事なのだと思う。
人々の願いを聞いて成就するために手伝うのは、神霊から頼まれた業務の一環だからだ。
しかし、本来の業務は土地と神霊に尽くすことだ。
人の願いを叶えるにエネルギーや労力、人員(狐員?)を割いるのだから、それに対する支払いが必要なわけで。
「お稲荷様にお願いしたら、それに見合っただけの礼をしなくてはいけない。」
というのは、そういうことだからだと私は思う。
そしてこれは、稲荷に限らず、他の神社の神様も同様ではないだろうか。
鎮守様・産土神様・氏神様などいろいろあるが、この神様たちの仕事も守護やエネルギー循環など多岐にわたる。
しかし人々を愛しているからこそ、身を削るようにしてエネルギーを割き、願う人々に叶いやすい様にとバフをかけてくれるのだ。
だからこそ。
願ったら願ったきりではダメなのだ。
貰ったら貰ったきりではダメなのだ。
お稲荷さんとかは商業にも携わっているだけあって、シビアに取り立てに行くようだが、他の神様は違う。
お礼に来ないな。
上手くいってるといいな。
ちゃんと上げたエネルギーも使って努力してるかな。
幸せになってるといいな。
そう思いながら、また誰かに身を削ってエネルギーをあげる。
そうしているうちに神様の力も、土地の力も枯れていくのだ。
私は神社参拝したら、神社にお賽銭を入れるだけではなく、商店街や直売所、道の駅で買い物をしていく。
お礼参りやご挨拶での参拝の時も同様だ。
たった一杯のコーヒーでもいい。ほんの少しでもいいから、その土地に自身のお金を落としていく。
そのお金が、そのお金に込められたエネルギーが、その土地の人々の営みを手伝い、神様や土地に少しでも還りますようにと祈りを込めて。
あなたはどうしている?
ではまた。