千人同心街道、渡良瀬橋を渡り佐野に入る | じんべえ時悠帖Ⅲ

じんべえ時悠帖Ⅲ

酒と花鳥風月を愛でながら時悠気ままに暮らす団塊世代、趣味はウォーキング。

 連休最終日は北海道を除き全国的に雨の予報。関東もシトシトと

降っている。とは関係なく、八王子千人同心街道の最終6日目。

 「朝飯前の」つつじが岡公園への散歩で減った腹を標準的和食の

朝食で満たす。館林から佐野までは約10キロ。ゆっくりと朝ドラを

観てから出発。

 ホテルから街道である県道に出て北へ進む。本陣跡は本町一丁目

と思っていたが通り過ぎた本町二丁目あたりだったと後でわかる。

どうりで栃木銀行佐野支店がない。

 戻るのも面倒でそのまま進むと数百メートルで館林宿の北の端である

佐野口御門跡に着く。館林城の土塁と外濠があったところで、何となく

雰囲気が残る。

 

 この先で街道は右分岐して行くが馬頭観音碑はともかく道標の位置が

おかしい。多分移設されたものと思われる。

 東武佐野線の踏み切路の先、街道は一路渡良瀬川へと向かう。

渡良瀬川の土手の奥、赤城連山であろう。

 渡良瀬大橋はまずは支流の矢場川を渡り渡良瀬川の上に来る頃、右手は

栃木県佐野市である。東武佐野線の渡橋を期待するが昼間は1時間に1本、

渡る間に通る確率は低い。

 橋の下を潜るように渡河した街道は、県道の右手の土手下を進んだ。

今日は短い行程なので逆側、上流の土手下にある雲龍寺に寄り道する。

貴族院議員を辞してまで足尾鉱毒公害を糾弾した田中正造の墓がある寺

である。

 本堂への参道左手の求現堂の前にその墓は立つ。求現堂については

文字が小さくて恐縮だが口碑をお読みいただこう。

 土手下の道を戻り渡良瀬大橋の袂を潜り旧街道へ向かう。続きの

ゴールまでは次回とする。