昭和二十二年生まれの私はもちろん東京大空襲を知らない。しかし、
両親と生まれたばかりの兄はその直前まで都内王子に住んでいた。
大手時計メーカーに勤める父は大空襲のド真ん中、亀戸(カメイド)の
工場に通っていた。
父が勤めていた亀戸など東部の下町は3月10日に「大空襲」を受け、
家族で住んでいた王子あたりの北部は4月14日・15日に大空襲を受けた。
迫る戦火に職を捨ててもその前に故郷信州に疎開(帰郷)したのは正解
だった。そうでなければ多分私はこの世にいない。
東京下町の決して大きくはない東京大空襲資料館を訪れた時、当時
5歳だったという語り部さんが、緻密に計画された東京大空襲の非情さ、
狡猾さを涙ながらに語った。
その非情で狡猾な大空襲の指揮を執った米空軍将校が、戦後その作戦を
自画自賛したこと、かつ航空自衛隊の創設期に指導官として来日したこと
を聴いて怒りを覚えたのは私だけではないだろう。
一昨日の江戸川散歩から




