『鉄橋を渡る車輪の規則的な音が俄かに高まり、私は
いつもの生活の時間表から、そのとき、決定的に解放さ
れるのを感じた』
渋谷で生まれ育った加藤周一が、小学生の時に埼玉の
父の生家に向かう信越本線(現・高崎線)で荒川を渡る時
の印象である。
長じて海外でも教鞭を取るようになって乗る国際線。
羽田を離陸した途端に加藤周一の思索の旅は始まる。
『規則的な発動機の音は、地上の時間の秩序の終わるのを
知らせる。・・・私はあらゆる社会から切り離された一刻の
私自身を味わう』
列車が鉄橋を渡る間も、国際線の飛行機の中も、住み
慣れた町、住み慣れた日本の日常と、これから行く村の、
これから行く外国の日常の、どちらにも属さない特別な
時間であった。
車窓から眺めた荒川の風景は、生涯を通じて加藤周一の
原風景となった。
(朝日新聞土曜版、原武史「歴史のダイヤグラム」より)
違う日常を繋ぐ乗り物の中の気持ち、判るようでもあり、
うーん、微妙である。ここは学生時代に読んだ記憶がある
「羊の歌ーわが回想」をもう一度読んでみるか。
荒川ではないが、今朝の江戸川風景。

