加藤周一と荒川鉄橋 | じんべえ時悠帖Ⅲ

じんべえ時悠帖Ⅲ

酒と花鳥風月を愛でながら時悠気ままに暮らす団塊世代、趣味はウォーキング。

 『鉄橋を渡る車輪の規則的な音が俄かに高まり、私は

いつもの生活の時間表から、そのとき、決定的に解放さ

れるのを感じた』

 渋谷で生まれ育った加藤周一が、小学生の時に埼玉の

父の生家に向かう信越本線(現・高崎線)で荒川を渡る時

の印象である。

 

 長じて海外でも教鞭を取るようになって乗る国際線。

羽田を離陸した途端に加藤周一の思索の旅は始まる。

『規則的な発動機の音は、地上の時間の秩序の終わるのを

知らせる。・・・私はあらゆる社会から切り離された一刻の

私自身を味わう』

 

 列車が鉄橋を渡る間も、国際線の飛行機の中も、住み

慣れた町、住み慣れた日本の日常と、これから行く村の、

これから行く外国の日常の、どちらにも属さない特別な

時間であった。

 車窓から眺めた荒川の風景は、生涯を通じて加藤周一の

原風景となった。 

  (朝日新聞土曜版、原武史「歴史のダイヤグラム」より)

 

 違う日常を繋ぐ乗り物の中の気持ち、判るようでもあり、

うーん、微妙である。ここは学生時代に読んだ記憶がある

「羊の歌ーわが回想」をもう一度読んでみるか。

 

 荒川ではないが、今朝の江戸川風景。