まずはこの方をご覧くださいw

 

(引用元 著作権が大変厳しいと聞いておりますが何卒お許しください!m(__)m)

 

 

 

ご存じ「磯野波平」さんですw

 

 

 

では、この波平さん

 

年齢はおいくつでしょうか?

 

また、どんな人物像でしょうか?

 

 

 

 

公式ページによる「設定」によりますと

 

年齢は54歳。
威厳と貫禄たっぷりのお父さん。
曲がったことが大嫌いで気難しいところもありますが、情に厚くお人良しの面もあります。

 

ということです

 

 

 

「現在の感覚」でいえば

 

54歳にしては外見が老けている印象がありますね?

 

 

 

 

 

「サザエさん」の連載開始は

 

終戦直後の1946年ですが

 

 

この「外見」が

(後述するように「中身」ではない)

 

 

1946年当時の平均的な父親像

 

だったのです

 

 

 

 

 

昨日

 

○子をしつけ、叩く慣習は「朱子学」「軍国主義的雰囲気」「戦後の左翼教育の台頭」と関りがあり、それは戦後の日本人の長寿化によりさらに長期化した

 

と述べました

 

 

 

これは一体、どういうことか?

 

を考えることは、結局

 

『歎異抄』を読む際に重要になってきます

 

 

 

 

シリーズ⑨で示した各時代の平均寿命を再掲します

 

 

 

 

「表」によれば

 

「昭和46(1971年)年に70代」という「長寿社会」になりましたが

 

終戦直後の「昭和22(1947)年までは50代」であり

 

 

 

磯野波平さんの「54歳」というのは

 

当時の「人生の晩年」であり

 

 

 

1946年当時の読者さんも

 

この「外見」で違和感がなかったわけです

 

 

 

 

「表」によれば

 

「第2次大戦以前」の日本の平均寿命は40代以下

江戸時代以前では30代以下

 

です

 

 

 

現在の日本の平均寿命は男女で84.3歳ですが

 

これは、地球体験ではこれまでに体験したことのない

 

「かなり特殊な状況」

 

なのですね

 

 

 

この長寿社会に身を置いている「感覚」で『歎異抄』を読むと

 

このシリーズの②で述べたように

 

「『歎異抄』は分からないものだ…」

「『歎異抄』は分からなくていいのだよ…」

 

となるのです

 

 

 

 

 

『歎異抄』が成立した

 

鎌倉時代の平均寿命は24歳

 

です

 

 

 

平均寿命が24歳ということは、現代で言えば

 

「私って大学出て、就職したくらいの時に死ぬんだろうなあ」

 

という「感覚」なのです

(もちろん例外はありますが)

 

 

 

現代と大きく違って

 

最初の病気で死ぬ

栄養が足りなくて死ぬ

 

という人をたくさん見て育つわけです

 

 

 

 

 

すると、親は子どもにどう接するか?

 

といえば

 

「日本人は子どもを徹底的に甘やかせて育てる」

(ルース・ベネディクト、1946年出版)

 

「私は、これほど子どもをかわいがる人々を見たことがない」

(イザベラ・バード、明治初期)

 

「同じ家庭にあっても、夫と妻、子供たちとで違う宗派に従う場合も多い
家族でそれぞれ自由に好きな宗派を選ぶことが認められているのである」

(フランシスコ・ザビエル、戦国時代)

 

 

 

と、「第2次大戦以前」のさまざまな時期の外国人が言っているように

 

日本人の場合「子どもをしつける」というよりも

 

 

 

「楽しめ~!」

「楽しもうよ~!」

 

だったのですw

 

 

 

 

これは、子どもを育てる

 

「親(大人)が享楽的」

 

だったからに決まっています

 

 

 

「第2次大戦以前」の日本人は

 

けっこう全体的に享楽的だった

 

ということが想像できるのです

 

 

 

 

 

「享楽」とは

 

思いのままに快楽を味わうこと

 

という意味です

 

 

 

ただし、「怠惰的でラクをしてやろう」

 

といった語弊があるかもしれません

 

 

 

そうではなく

(もちろんそういう人もいたには違いないけれどもw)

 

 

 

シリーズの⑦で触れました通り

 

「義務」として勤勉に労働はするが

 

 

 

新しいものには目がない!

 

のです

 

そういう意味での「享楽的」なのです

 

 

 

 

 

1973年生まれの私も、父から叩かれたことがありますw

 

そして私にとって

 

「当時はそれが普通の父親像」

 

でした

 

 

 

しかし

 

○子をしつけ、叩く慣習は「朱子学」「軍国主義的雰囲気」「戦後の左翼教育の台頭」と関りがあり、それは戦後の日本人の長寿化によりさらに長期化した

 

というのは「第2次大戦以前」はなく

 

 

どうやら

 

「大戦前後」に生まれ

「大戦後」に育まれた慣習w

 

なのです

 

 

 

その証拠?といっては何ですが

 

最後にもう一度「波平さん」の「設定」をご覧ください

 

 

 

年齢は54歳。
威厳と貫禄たっぷりのお父さん。
曲がったことが大嫌いで気難しいところもありますが、情に厚くお人良しの面もあります。

 

 

 

たしかに、私の幼いころの「父親像」に通じるものがありますw

 

 

 

ところが、この設定

 

TVアニメ用のあとづけ

 

なのですw

 

 

 

ウィキ先生の「磯野波平」の説明によれば

 

アニメでは磯野家の“家長”として威厳があるが、原作においては威厳がなく、家族を叱るシーンもあまり多くなく、登場回数も必ずしも多くない。

しかし登場した時は、話の「オチ」を担当している
性格はかなり抜けており、お茶目なところがある

そのため、子供に威厳を示そうとするも、その情けないキャラクターゆえにカツオに逆に手玉にとられることも多い

 

とあります

 

TVアニメしか知らない私にとって、これには素直に驚きましたw

 

 

 

 

 

「両設定」をもう一度確認しますと…

 

 

1946年の波平さん(=平均的な父親像)は

 

威厳がなく

家族を叱るシーンも多くなく

話の「オチ」を担当(つまりお笑い担当)

性格はかなり抜けており、お茶目

子供に威厳を示そうとするも、その情けないキャラクターゆえにカツオに逆に手玉にとられることも多い

 

でした

 

 

 

TVアニメ放送開始は1969年で

 

1969年の波平さん(=平均的な父親像)は

 

威厳と貫禄たっぷり
曲がったことが大嫌い

気難しい

情に厚くお人良しの面も

 

に変わっていますw

 

 

 

 

わずか23年で

 

「ほぼ正反対のキャラクター」

 

に変化しているわけですw

(文末の「参照」もご覧ください)

 

 

 

 

ただし、「わずか23年」といっても

 

鎌倉時代なら世代が変わる周期ですが

 

戦後の23年は、すでにそうではありません

 

 

 

日本人のこれまでにない「長寿化」により

 

「親」も長生きになり

 

 

 

「戦後の左翼的教育」

=子どもには教育、矯正が必要だ
 

という思想が十分に浸透したため

 

 

 

それまで日本人には無かった

 

親が子をしつけ、叩く慣習が「当たり前」になってしまった

 

のです

(現在は、また変わりつつありますね)

 

 

 

 

こうした

 

「厳しい」スタンス

「他者を矯正する」姿勢

「楽しもう」を否定、説教する雰囲気

 

といった「現代では当たり前になった社会」に馴染んだまま『歎異抄』を読みますと

 

 

 

かなり読み間違える

 

ことになるのです

 

 

 

 

 

なぜ、読み間違えることになるのか?

 

といえば

 

 

「師弟関係」

「お寺のシステム」自体が

 

 

「厳しい」

「弟子を矯正する」

「楽しんではならない」

 

などのヒエラルキーに必須の要素が入り

 

 

「その経験者たち」が『歎異抄』の解説書を執筆しているから

 

です

 

 

 

シリーズのこのあとの記事でさんざん言及すると思いますが

 

それは「親鸞のスタンス」とは大きく異なる

 

のです

 

 

 

 

 

 

今日はブログ的に

 

○第2次大戦以前の子どもは「親からのコントロール」が現在と比べるとかなり少なく、それは親(大人)自身が享楽的だったからである

 

という「まとめ」にさせてくださいw

 

 

 

 

ここまでの【まとめ】

○『歎異抄』は理解できなくてよい、という空気がある
○『歎異抄』には「等身大の親鸞」の姿が描写され、後世の人々にはそれが驚きであった
○『歎異抄』の筆者唯円は「読者に分かってもらえる」と確信して筆をとったので、後に発禁処分になったり、『歎異抄』は理解できなくてもいいという雰囲気は、筆者唯円にとってかなり想定外であるはず

○「覚者の姿」の一般的なイメージは「聖人君子」である
○神格化された「覚者のイメージ」は後年つくられた思い込みであり、覚者たちは「普通の人間」であった
○「人気のある人」の条件は現代と鎌倉時代とでは大きく異なるが、「面白い人」という点は共通している
○「覚者」のイメージは「陰キャ」よりも「陽キャ」のほうが、人前で説法する外面的なイメージとしては正確である。すなわちユーモアがあり、エロスを理解し、カラッとしている

○『歎異抄』が成立した鎌倉時代の平均寿命は24歳。なぜ現代と比べてかなり低いのかといえば、新生児医療が未発達で赤ちゃんが亡くなりやすい環境だったから

○「女性はたくさん子どもを産む」ことを求められていた時代が長く続いた

○鎌倉時代の庶民は「ワンシーズン経つと、知り合いが死んでいるのが当たり前」の時代に生きていた

○鎌倉時代の庶民の人生観は「楽しいことしたい!」という「享楽的なスタンス」「享楽を求めるスタンス」であり

人々は笑い合い、祭りや収穫を心待ちにし、生きるエネルギーに満ち溢れていた

○子をしつけ、叩く慣習などそもそも日本に無く、少なくとも戦後に生まれた思想

○子をしつけ、叩く慣習は「朱子学」「軍国主義的雰囲気」「戦後の左翼教育の台頭」と関りがあり、それは戦後の日本人の長寿化によるものである

 

 

 

参照:

磯野波平さんの「正反対のキャラクター」の代表的な例として

文庫版『サザエさん』(朝日新聞社)全45巻中

「第2巻」と「第43巻」より抜粋

 

連載当初は、いわゆる「オチ(お笑い)」担当だったが

連載後半は、「威厳と貫禄」「気難しい」性格に変化している

 

 

 

「第2巻」

 

 

 

「第43巻」