おは汁!

 

 

 

今日は趣向を変えて

 

「ジル・ボルト・テイラー」たんのお話!

 

を聞いてみませんか?

 

 

【Taylor,Jill Bolteプロフィール】

 

1959年、アメリカ・ケンタッキー州生れ。神経解剖学者。インディアナ州立大学で博士号取得後、ハーバード医学校で脳と神経の研究に携わりマイセル賞を受賞。また、精神疾患に関する知識を広めるべく全米精神疾患同盟(NAMI)の理事を務めるなど活躍する中、37歳で脳卒中に倒れる。その後8年を経て「復活」、2008年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。インディアナ州のブルーミントン在住。

新潮社さんより)

 

 

 

20分近い講演ですので、見やすいかなあと、ところどころフォントを変えてみました。

 

 

ざっと

 

太文字=話の展開

下線文字=「左脳」の働き

青太文字=「右脳の働き」

 

みたいな感じです。

 

 

お忙しい方は、そこだけ読んでくださっても話が入ってくるかと。

 

とくに、「右脳の働き」はヘミシンカーさんにもご参考になるかなあと。

 

 

それではどうぞ~

 

 

 

 

私は、小さい頃から脳を研究しようと思っていました。なぜなら、兄が脳障害すなわち統合失調症だったからです。

 

妹として、また後に科学者として、なぜ私は夢をもつことができ、夢を現実と結びつけることができ、夢を実現できるのか。そして、兄の脳と統合失調症は、なぜ普通に他人と共有できる現実に結び付かないのか、そして幻想になるのかを理解したいと思っていました。

 

講演するジル・テイラー氏

(ジル・ボルト・テイラーたん)

 

こうして、私は重い精神病研究の道を選びました。郷里のインデアナ州からボストンへ移り、そこでハーバード精神医学部の フランシーヌ・ベーネ博士の研究室で働いていました。研究室での私たちの研究テーマは、正常な人たちの脳は、 総合失調症や総合失調性感情障害や双極性障害の人たちの脳と比べて、生物学的に何が違うのかということでした。

 

それで、私たちは脳の集積回路の解析をしていました、どの細胞がどの細胞と通信しているのか、それはどの化学物質で またそれはどれだけの量なのか。こうして私は、生活に大いに生きがいを感じていました、昼間はこのような研究に没頭していましたから。 そして夜や週末には、国立精神病協会(NAMI)の広報のために飛び回っていました。

 

 

しかし1996年12月10日の朝、私は起きると自分の脳に障害があるのを発見しました。私の左脳で、血管が破裂したのです。

 

その後の4時間の間に、私は自分の脳が、すべての情報を処理する能力が、完全に退化していくのを見ていました。

 

脳出血の朝、 私は歩くことができず、話すことができず、読むことができず、書くことができず、また自分の人生の出来事を思い出すことが できなくなったのです。

 

私は母体のなかの胎児のようでした。

 

完全に二つに分かれている脳

(脳は完全に左右に分かれている)

 

人間の脳を見れば分かるように、二つの半球は互いに完全に分かれています。ここに本物の人間の脳を持ってきました。 (ありがとう)そう、これが本物の人間の脳です。

 

ここが脳の前部、こちらが脳の後部で、脊髄がぶら下がっています。 こういう風に私の頭のなかに納まっています。

 

これを見れば分かるでしょう、二つの大脳皮質は互いに完全に分離しています。

 

 コンピュータが分かる人には、右半球は並列処理装置のように機能し、一方左脳は直列処理装置のように機能するといっていいでしょう。

 

二つの半球は互いに、3億の神経線維から成る脳梁(のうりょう)を通じて通信しています。

 

しかし、それ以外では、 二つの半球は完全に分離しています。なぜならそれぞれは別々に情報を処理するし、別々にものごとを考えますし、 別々に気配りしますし、あえて言えば、それらは全く異なった人格です。(すみません、ありがとう、よかったわ)

 

 

私たちの右半球は、すべて現在のこの瞬間にかかわっています。まさに今ここです。

 

私たちの右半球は、画像で考え、 体の動きを通じて身体で学びます。情報は、エネルギーの形をとって、われわれのすべての感覚器官を通って、同時に流れ込んできます。 そしてそれは、この現在の瞬間がどのように見えるか、その巨大なコラージュとなって噴出します。

 

さらに、この現在の瞬間が どのように匂うか、どんな味がするか、どのように感じているか、どんな音がするか。

 

私は、右半球の意識を通じて、私を取り巻くすべてのエネルギーと繋がったエネルギー的存在です。私たちは、一つの人間家族のように、右半球の意識を通じて互いに繋がったエネルギー的存在です。

 

そしてまさに、今ここで、私たちすべてはこの惑星上で兄弟姉妹であり、世界をより良い処にするためにここにいます。

 

この瞬間、私たちは完全です。私たちは全体です。そして私たちは美しい。

 

 

私たちの左半球は全く異なった場所です。左半球は直線的に系統的に考えます。左半球は過去を考え、未来を志向します。

 

左半球は現在の瞬間の巨大なコラージュをもぎ取るように設計されています。そして細部を摘み取り始めます、そしてさらなる細部を、さらにもっと細部のさらなる細部を摘み取ります。そしてそれらすべての情報を分類し組織化します。私たちが学んだ過去のすべてと関係づけ、未来のすべての可能性に投げかけます。

 

そして私たちの左半球は言葉で考えます。この絶え間ない脳の動きが、私と私の内的世界を、外なる世界に繋げます。

 

それは小さな声で、このように私にいいます。「帰りにバナナを買っていかなきゃ、朝食べるのに」それは、いつ洗濯しなければならないかを私に思い出させる、あの計算する知性です。

 

しかし、多分もっとも重要なのは、私に「私は・・・私は・・・」と語りかけるあの小さな声です。そして左半球が「私は・・・」と語りかる瞬間に、私は分離されるのです。

 

私は私の周りのエネルギーの流れから分離された一個の実体的個人になり、そしてあなた方からも分離されます。

 

 

これが、脳卒中の朝、私が失った脳の部位です。

 

脳卒中の朝、私は左目の後ろに激しい痛みを感じて眼が覚めました。それはアイスクリームを噛んだときに感じる類のキリキリする痛みです。

 

それは私をしっかり掴みそして離し、また掴みそして離しました。また掴みしそして離します。そのような痛みを経験するのは、稀なことだったので、よし、いつもの通りにしようと思いました。

 

私は起き上がり、有酸素運動装置に飛び乗りました。それは全身を使う運動機器です。私がそれでやっていると、自分の手が、原始人の爪がしっかりバーをつかんでいるように見えました。

 

なにかおかしいぞと思い、体を見下ろしますと、「わあ、私は奇妙なものになっている」と思いました。それはまるで、私の意識が、マシンで運動している私の正常な現状認識から離れて、どこか神秘的な空間に移動し、運動している自分を見ているようでした。

 

それはすごく奇妙な感じで、また頭痛はひどくなってきました。それで私はマシンを降り、居間を横切って歩きましたが、 私の体の内側のすべてがゆっくりしているようでした。一歩一歩が硬直して、非常に慎重に動作しているようでした。 歩調に滑らかさがなく、認識領域が収縮していましたので、私は体の内部に意識を集中しました。

 

私はバスルームに立ってシャワーを 浴びようとしたとき、体の内側の話し声を実際に聞きました。小さな声でこういうのです「やあ筋肉よ、お前は収縮した、筋肉よ、リラックスしなきゃ」

 

私はバランスを崩しそうになって、壁にもたれかかりました。そして、腕を見下ろしたときに、自分の体の境界が分からなくなっているのに気がつきました。自分がどこから始まってどこで終わっているのか分からないのです。自分の腕の原子や分子が、壁の原子や分子と混じりあっているのです。

 

そして私が感じることのできたすべては、あのエネルギーでした。エネルギー。

 

私は自分に問うていました「私に何が起こったのだろう、どうなってしまうのだろう」その瞬間、私の脳が動作し、私の左半球の動きが、全く沈黙しました。ちょうどリモコンを取ってミュートボタンを押したように・・・全くの静寂です。

 

初めは、沈黙の心を自分の内部に発見して衝撃を受けました。しかし、私はすぐに、私を取り巻くエネルギーの壮麗さに魅了されました。

 

なぜなら私は、自分の身体の境界を認識できなかったからです、それで、自分が巨大になり広がっていくのを感じていました。すべてのエネルギーと一体になっているのを感じていました、それは美しいものでした。

 

そうするうちに、私の左脳が戻ってきて、こういいます、「おい、お前は大変なことになっているんだぞ。本当に大変なことに。誰か助けを呼べ」

 

そうらしいね、分かった、分かった。しかし、私はすぐに意識の中に戻ってしまい、愛情に満ちたあの世ならぬ空間に向いてしまいます。そこは美しいものでした。

 

 

想像してください。あなたと外界に結び付けている脳の働き、そこから完全に切り離されたら、どんな風になるのか。

 

そう、私はこの空間にいる、そして私自身からのまた仕事からのストレス、それがみんな無くなった。私は体が軽くなったのを感じました。

 

想像してください。外部世界とのすべての関係、それに伴う多くのストレス、それらがみんな無くなってしまうのです。私は穏やかな感覚に満たされていました。

 

想像してください。37年間の感情が詰まった荷物を失ったらどんな気持ちになるか。私は恍惚感に満たされていました。その恍惚感は美しいものでした・・・

 

 

そのうち左脳が戻ってきて言います。「やあ注意しなきゃ、お前は助けが要るんだ」

そして、私は「助けを呼ばなきゃ、落ちかなければ」と思いました。

 

そうして私はシャワー室から出て機械的に着物を着、アパートの周りを歩き、考えていました

「仕事に行かなきゃ、仕事に、車を運転できるだろうか、大丈夫だろうか」。

 

そうしているうちに、私の右腕は完全に麻痺し傍から動かなくなりました。私は気がつきました。

「そうだ、脳卒中だ、脳卒中になったのだ」

 

つぎの瞬間、脳が私にささやきました。「わあ、これは素晴らしい、素晴らしい、脳科学者が自分の脳を内側から研究できるなんてめったにないことだ」

 

そしてまた別の思いが私の心をよぎりました。

「私は忙しいんだ。脳卒中にかかっている暇なんてないんだ」

 

また、「まあいいや、脳卒中は避けられないから、一、二週間そうして、それからいつもの生活に戻ればいいんだ、そうしよう」とも思いました。

 

 

私は助けを呼ぼうとして、職場に電話しようとしました。でも、職場の電話番号を思い出せませんでした。

 

仕事部屋に名刺があるのを思い出し、部屋に行って三インチばかりの名刺の束を取り出しました。

 

一番上の名刺を見ていると、自分の名刺がどんな形をしているか心でははっきり見えるのだけれど、どれが自分の名刺か分かりませんでした。なぜなら見えるもの全部が画素(ピクセル)に見えるのです。文字の画素が背景や記号の画素と混じりあい、識別することができなかったのです。

 

鮮明さの波が戻ってくるまで待たなければならなりませんでした。その瞬間が来ると、通常の現実に戻り私は識別できるようになりました。

 

この名刺は違う、これも違う、これも違う。こうして、名刺の束のなかから一インチまで探すのに45分かかったのです。

 

 

この45分が経つうちに、左脳の出血は大きくなっていきました。

 

番号も電話も分かりませんでしたが、これしか方法はありませんでした。私は電話機を持ってきて、名刺を並べて置き、名刺の番号と電話機の番号のぐにゃぐにゃした形をつき合わせました。しかし、私はあの世ならぬ世界に戻ってしまい、現実にかえったとき、どこまでダイアルしたのか思い出せなくなってしまいました。

 

私は麻痺した腕をつっかえ棒のようにして数字を指し、そしてボタンを押し、正常な現実に戻ったときに、どの番号まで ダイヤルしたか分かるようにしました。

 

やっと全部の番号のダイヤルを終えて、電話機に耳をあてると、同僚が電話をとって応対したのですが、彼はこう言ったのです。「うおおお、うおおお、うおおお、うおおお」(笑い)

 

私は思いました。「あら、まあ、ゴールデン・リトリーバーみたいね!」

 

そして、私は同僚に、心の中でははっきりと「ジルよ、助けて!」と言っているのですが、出てきた声は「うおおお、うおおお、うおおお、うおおお」でした。

 

私は思いました。「あらまあ、私までゴールデン・リトリーバーみたい!」

 

そのように、私はやってみるまで、自分が言葉を話せない、理解できないということを知らなかったのです。

 

 

同僚は、私が助けを必要としていると知り、手配してくれました。私は救急車で、ある病院からボストン市街を抜けて、 マサチューセッツ州総合病院へ向かっていました。

 

私は胎児のように丸まっていました。そして最後の空気が抜ける気球のように、 まさに気球から抜けるように、私は自分のエネルギーが抜けていき、自分の精神が投降するのを感じました。

 

その瞬間、私はもう 自分の人生の振付師ではなくなったのを感じました。

 

医師団が私の身体を救助し、私に第二の人生のチャンスを与えてくれなければ、 私はあの世へ移行するはずだったのです。

 

その日の午後おそく私は目が覚めて、自分がまだ生きているのを知ってショックを受けました。私は自分の精神が投降したとき、 私の人生にさよならを言ったのです。

 

そして、そのとき私の心は、現実の二つの全く正反対の次元の間で、ぶら下がっていました。

 

私の感覚器官を通じて入ってくる刺激は純粋な痛みでした。光は野火のように私の脳を焼き、音はけたたましくまた支離滅裂で、 背景の騒音で声が聞き取れませんでした。

 

私は逃げ出したかった。私は空間のなかでの自分の体の位置が分からなくなり、 自分が大きく広がっていくのを感じていました。ちょうど瓶から解放された精霊のように。そして私の精神は自由に舞い上がりました。ちょうど音のない恍惚の大海を悠然と泳ぐ鯨のように。

 

涅槃(ニルヴァーナ)だ。これは涅槃(ニルヴァーナ)だ。

 

私はこう 考えていたのを憶えています。私のこの壮大な大きさを、私の小さな肉体に戻して閉じ込めることなどできないだろうと。

 

しかし、私は気が付きました。

 

「私はまだ生きている、まだ生きている。そして、私は涅槃(ニルヴァーナ)を発見したのだ。もし、私が涅槃(ニルヴァーナ)を発見してそして生きているのなら、生きている誰もが涅槃(ニルヴァーナ)を発見できるはずだ」

 

 

いつでもこの空間に来ることができると知っている人たち。美しく、平和で、優しく、愛情に満ちた人々で溢れている・・・私はそういう世界を思い描いています。

 

それらの人々はあえて左脳の右側に歩み入り、この平和を発見したのです。

 

私は気づきました。

 

「この経験はなんという途方もない贈り物だろう!私たちがどのように生きたらいいのかに対するなんという洞察力の到来だろう!」

 

それが「回復したい」という気持ちの支えになりました。

 

そこでは、存在するすべてと一体になれます。

あるいは、左脳の意識を選択して歩み入ることもできます。

 

そこでは私は「単一の個人」になり、「流れから分離した個体」となり、「あなたがたからも分離」します。私はジル・ボルト・テイラー博士であり、知的な脳科学者であります。これらが、私のなかの「私たち」の存在です。

 

 

脳出血の二週間半後に、外科医たちが入ってきて、私の言語中枢を圧迫していたゴルフボール大の血の塊をとり除いてくれました。

 

ここに私と母が写っています、母は私の人生にとって本当の天使でした。完全に回復するのに八年かかりました。

 

ジルが作った脳のステンドグラス

(ジルが作った脳のステンドグラス)

 

さて、私たちは誰でしょう?

 

私たちは、手先の器用さを持ち、二つの認識する心を持った、宇宙の生命の力です。

 

そして、私たちはそのときどきにおいて、私たちが誰であり、また、この世界でどうあるべきかを選択する能力を持っています。

 

この今ここで、私は右脳の意識に入り込むことができます。そこでは私たちは、そして私は、宇宙の生命の力であり、そこは私の肉体を形成している50兆の美しい分子特性から成る生命の力がある場所です。

 

どちらを選びたいですか?どちらを選びますか?それはいつ?

 

私は信じています。

 

私たちの右半球の深い内面の平和な回路にかかわることを選択するほど、より多くの平和を世界にもたらすでしょうし、私たちの惑星はより平和になるでしょう。

 

そして、これが世界に広める価値のあることであるのです。