おはクライ!クライ!クラーイ!

 

 

 

昨日はひらひらヒーラーさんの姿勢を問うてみました。

 

今日はくらくら「クライアントさんの姿勢」です。

 

 

 

クライアントさんにありがちな根本思想に

 

「苦労は報われる!」

「これだけ頑張ったんだから、良いことが起こってほしい!」

 

というものがあります。

 

 

 

こういった

 

「苦労」と「報い」信仰!

 

は、けっこうこびりついちゃってしまいがちなのですが

 

気づけば、あとは剥がれるだけですよ。

 

 

 

「気づき」こそ悟りです。

 

 

そして、他者さまに指摘されるのではなく

 

ご自身で気づいちゃう!のが

 

「最高のギフト!」

 

です。

(かなり意外かも南蛮ですが、ズバリ指摘してくるヒーラーさんは「未熟」です。そんなものは大した力じゃないのよ)

 

 

 

 

「苦労」と「報い」に分けて考えてみましょう。

 

まずは「苦労」から。

 

 

 

人間は「思想」ではなく「行い」こそ最高の体験ですが

 

その行いが

 

 

「自身の衝動!」

「パッション!」

 

から湧き出たものに沿うとき

 

 

「未知の冒険!」

 

として苦労が苦労でなくなります。

(むしろ「夢中」と呼びます)

 

 

 

けっして「苦労すること」を否定しているわけではない!

 

ことに留意されてください。

 

人間が行動するときには「苦労」は必ずともないますので。

 

 

 

そうではなく「苦労の出発点」を問うているのです。

 

「自身の衝動、パッション!」

 

ではなく

 

 

「他者さまによる指導・指摘」による行動!

 

ですと、そこにはほぼ

 

 

「現世利益!」

 

がからんできます。

 

 

 

そして、それをぼくは

 

人間本来のパワーをとても小さくさせてしまう

 

「盲目信仰!」

 

と呼んでいます。

 

 

 

 

次に「報い」の方を考えましょう。

 

 

 

「報われたい!」

 

その動機の裏側には

 

 

「恐怖心!」

「罪悪感!」

 

があります。

 

 

 

「あれだけ頑張ったのに!」

「これだけやっているのに!」

 

などといった「思念」は

 

 

「私はこれだけ不足している!」

「私は全然うまくいっていない!」

 

という

 

 

「恐怖心!」

「罪悪感!」が根底の

 

「アファメーション(宣言)!」

 

をしているのですね。

(これもまたとても信じられないかもしれませんが、マジ卍です)

 

 

 

こうした方は、見方を変えれば

 

「貨幣経済に毒されている!」

 

ともいえるかもしれません。

 

 

 

「これだけやったのだから

これだけの見返りが欲しい!」

 

というのは

 

弥生時代以降のしゃばい発想です。

 

 

 

すべてはちゃ-んと循環していますので

 

損得計算から離れて

 

 

「分かち合う!」縄文式発想!

 

 

 

「恐怖心!」

「罪悪感!」

 

から離れやすいのです。

 

 

 

参照:「あのヒーラーさんが好き♡」シリーズ

 

 

 

 

【おまけ】

大阪なおみさん、全豪おめ!