おはけましておめでとうございます!

ことしもよろピコ太郎です。


わが国には「オネスティ問題」という長年にわたるゆゆしき大問題があります。

みなさんビリー・ジョエルと聞けば、何の曲を思い出しますか?

当てましょうか?w

「オネスティ」ではありませんか?w


逆にビリー・ジョエルは知らなくても

「あ、それ知ってる!へぇオネスティっていうんだ」

という事態も少なくありません。


こうした

ビリー・ジョエル=オネスティだろ?

というきわめて乱暴な認知を、わたしは「オネスティ問題」として告発してゆく所存です。
(↑年頭にこれかよ。ヒマか!)

ちなみに、同様の問題として、ビートルズの

「レット・イット・ビー問題」


リチャード・マークスの

「Right Here Waiting問題」

というのも連綿としてあります。


さて本題ですw

ずっと以前に書きました「この世は映画だ!」というお話の続きです。

これまで

C1=スクリーン
念・意識=フィルム
ワンネス・普遍意識=光


ということをシリーズで書いてみました。

興味のある方は、左の【テーマ】から「この世は映画だ!」をポチポチされてみてください。


さて、C1は「スクリーン」であり「嘘っぱち!」なので、そのわなから抜け出した方が話が早くなりますわな。

「フィルム」である「念(深い思念)」、さらに「生命の根源的エネルギー」である「光」に意識を向けると

「らくちん!」

になります。


まず頭で良いので、「概念」でかまわないので、知っておいてソンはありません。

「成る」のは、その先にちゃんと来ますので。


どういうことかというと、ご自分のC1の現状に納得できない方、しんどい方は

「C1を歪めてとらえている」

のです。


映画のたとえで言えば、

「フィルムが『埃』や『カビ』で汚れているので、スクリーンに映る映像が汚くなる」

という言い方もできます(ちゃんと言うと「それで構わない」のですが)


ここで重要なことがあります。

C1の物質世界を頑張って整えようとしても無駄

だということです。

スクリーンをいくら掃除しても、フィルムが汚れていれば、いつまでもスクリーンに映る映像は汚いままです(ちゃんと言うと「それで構わない」)


なので、まず「光」を通す「フィルム」を「掃除」したほうが、話が早いわけです。


そのキーワードが「親切」です。

本当は「感謝」といいたいのですが、それでは難しいという方が多いので「感謝の循環行動」である「親切」を挙げたいと思います。

じゃあ「親切」って具体的に何よ?というのは、また明日w