時間は必ず進んでいく。今がいいから、悪いからということで一喜一憂するのは意味がない。ふとその時の不安や感情がよぎるときはあるけれど、ぐっと堪えて今目の前にある向き合うべきことを見失わずにしっかりと見つめること。それが一番大事。

 

降りること。自分の立ち位置を如何様にも上げたり、下ろしたりすることは、人とのコミュニケーションの中でとても重要。その中で、瞬発的に自分なりの個性を判断して臨機応変になること。いつまでも自分のステータスや自我を誇示して、それを周りに見せつけても、誰も受け入れてくれない。

 

自分が輝ける状態はどんなときなのかを見極めて、それを全うする。そうすることで、自分にも自信が尽くし、その自信は周りにもゆっくりだがわかってもらえる気がする。

調子に乗ってるかどうかの確認は自分自信で監視をしなければいけない。

 

リスクヘッジ。突然1人取り残された場合でも、しっかりと自分の足で歩けるような状態をいつも作っておく。もちろん寂しさや孤独さを感じるときはある。それでも耐える。見失わず、目の前のことをしっかりと見つめて、前に進むドライブに変えること。

 

時事ネタを見てて思うこと。

わざわざ偉い地位についた人の給料をカットする必要ってあるのだろうか。もちろん、責任をとってカットするというのは納得するけど。それくらいの地位なんだから、それくらいの報酬はもらってしかるべきだと思う。

なんでも情報を公開するって言うけど、密室の会話だってあるからこそ成り立っているわけで、なんでも公開したら、何も進まなくなる気がするのは俺だけなのか。

 

 

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1511/18/news118.html

お客様の声を聞いて、サービスに反映させるのはごもっとも。
でも裏を返せば、自分たちが作っているサービスに意思、コンセプトがないということ。
聞いてばかりじゃ、芯のあるサービスはできやしない。
むしろ絶対的な自信をもって、他者の言葉なんかいらないと振りきって作ることの方が大事なのかもしれない。
幸福度調査というものがあって、日本の幸福度の順位が低いというのが問題にあげられることがある。
それに対して思うのは、
幸福と感じる感じ方がバラバラにもかかわらず、幸福度の調査をしても意味がない。
日本人の順位が低いのは、幸福と思う、感じ方があまりにも低い気がする。

根本的な問題が実はとても根深くある気がするけれど。

十分物質的にも、安全面でも恵まれているのに、何故かそれを幸福と思わない理由は何なんだろう。


別の話
あまりも日本のニュースで取り上げられる話題が幼稚すぎると思う時がある。
ドローン少年、まっちゃんがしたコメントに文句をいう人達。
極論どーでもいいことばかり。
今のこの状態。
たとえ、どこかに旅行したとしても、誰か大事な人がそばにいてでさえ
どこか、孤独を感じてしまう。
何が原因なのかも正直分からない。
目の前に集中する時や、モノがあれば別だけど。
それ以外に時間は、常に何をしたら、どこにいたら、誰と一緒にいたらいいのかすらも
分からなくなってしまう。
そう、居場所がないんだよ。
会社という枠に入っているのであれば、嫌でもそのコミュニティーの中で、
関係性が生まれる。
嫌われても、好かれても、評価されても、されなくても。
何かしらの自分に対する、相対評価の中で生きていると言えばそれまでだ。
簡単に言うと、寂しい。
それは、事実。
原因の一つに、受け身でありすぎのかもしれないとも思う。
受け身過ぎて、待っている自分がいる。
自分から行動を起こして行かなければ、何もならないはずなのに
待っているから、来るものがなくなると、空虚感を感じてしまう。
もちろん忙しい時の量は半端ない。でも、その嵐が過ぎ去ると、途端、自分の居場所が急になくなってしまう。
不思議なものだ。
今の状況をどうやって打開するべきなんだろう。
日本にでさえ、居場所がなくて、どうしようもないこの状況において、なにが打開策に
なるんだろう。
時間だけを待てばいいのか、自ら動く時間や場所をもっと増やして行くしか方法はないのかもしれない。
そこに制約があるのであれば、自分でその制約を打ち砕くしかない。

取り急ぎ、テクニックでもいいので、解決できる策があれば自分でも頭の中に入れておきたい。

すべてを自分が主語にする。
一年後の姿を描く。
半年後の姿を描く。
描く際は必ず物語調にする。

先が見えないこの恐ろしさにどう立ち向かうべきなのか。
本当に、ここからが正念場。
どこまで厳しいのかどうかは、分からないけれど、万全の準備ができたら
最高なんだけどね。


約10年ぶりのニューヨーク。
予定してなかったので、ニューヨーク自体に来たことに本当にびっくり。
しかも彼女と。
記憶は、まだ新鮮で、何を感じるんだろうと自分でもよくわからない気持ちになっていた。

感想は、正直に言うと少し違った。元の記憶とは全然違った。
東京やロンドン、シカゴ、ブダペスト、ボストンなどいくつかの街をこの10年で訪れたからなのか。
自分自身も少しは成長したからなのか。
街は、古く、汚くて、観光客ばかり。
ダウンタウンの方にも行った。

所々に、味のある、オシャレなお店やレストランはある。
なんていうんだろ。
本当に昔からある歴史の刻み込まれたおもちゃ箱の中に人々がうまーく適合しながら生活をしている。
決して、雑ではなくハイレベルな人たちが食事をしたり、お酒を飲んだりしている。

長い歴史を経て、作られた空気を
もしかしたら自分はまだ感じることができないのかもしれない。

そんな風にまで思わせてくれた。

アメリカに来て思うこと。
シカゴは都会だ。
人種が多い。
だから一つのルールなんてない。
自分がルール。
黒人も白人もヒスパニックも、人種なんて関係ない。
その人次第。

自分の今おかれている環境がとてもいいとは思う。
客観的に見てもすばらしい時間をもらえてる。
色んな周りの人に感謝だ。
だからこそ、プレッシャーもある。
なにも道しるべができていない状況ならば、自分で作るべきだし
自分で作らないことには何もスタートしない。
ある意味厳しい状況である。
そうであるが故に、充実させないと、と焦ってしまう。

英語はやっぱり難しい。
話し慣れることも重要だけど、身につける家庭はやっぱり場数。
最短の時間で最大の効果をあげる為に、なにしたらいいのか
常に葛藤だ。
日記を書くのか、1人でつぶやくのか・・・

シカゴで体調崩してる。
滞在先が寮でプライベートないから気を張りすぎなのか。
でも、英語をしゃべる相手が常にいることは、一番の目的を果たせている。
なんとか乗り切ってしまいたい。

「今」必要だから一緒にいる。
未来は想定外なことばかりなんだから、自分の器を大きく持つ時期だよ。
だから、今は気楽に自分の感情の消化方法を考えたらいいじゃないか。

最近、時間があって、明確なやることがない故に、よけいな孤独感を感じてしまう。
狭いなと思うし、目の前のことにしか目がいってない。
長期的に、長い時間で見て、何をすべきか、感じるべきかを考えればいいのにね。

煩悩という言葉があるけれど、何事も自分で自分を認めればいい
表面的に見えている、出てくる感情は、愚かなものが多い。
自分を認めてほしい。
自分の優先順位が低いのはおかしい
復讐心や正義感、お互いが平等でなければならない
嫌なものは嫌といえばいいし。
会いたいなら会いたいと言えばいい。
自分の気持ちに正直になればいい。

でも恋愛や仕事は相手あってのこと。
征服したいとか、勝ち負けとかそんなモノがあるわけでもなく。

もっと大きな器でいれたらいいなと思う今日この頃。

どこまで信じたらいいんだろう。
発言なのか、行動なのか、無言というアクションなのか
他人は自分の鏡 という言葉
自分は他人が映し出している
相手の反応は、自分が発したモノが返って来てる と信じてる
つまりは、自分がなければ 相手の思うがまま
自分があれば、その通りに返ってくる。

信じるのが怖い?
裏切られるのが怖い?
裏切られたっていいじゃん
とことん信じたんだから。

中途半端に、怖がって信じてるから
裏切られるのが怖いんだよ。

本気で、信じ通せば、裏切られたって、違う気持ちになれるはず。
それは、諦めという感情かもしれないし、
やりきったという感情なのかもしれない。
悲しみではない気がする。
寂しさではない気がする。

だからいいんだ。
本気で 好きになって 愛して 信じきる
できることはそれだけだ。

一つ一つの発言に
一つ一つの行動に
意識をしながら
魂がこもっていれば
伝わる。

勘違いでもいい。
伝えた「つもり」だったでもいい。

自分なりに精一杯できることをやったんだから。
後悔や寂しさなんか あるはずは、持つはずはない。


日々の生活、周囲の状況にはだいぶ慣れてきて
別に批判したり、変えた方がいいのにとも思わない。
日本は日本で、日本人は日本人。
それはそれでがんばればいいし。発展してたらいいと思う。
みんなそのために毎日スーツを着ながら頑張ってるし、狭かろうが広かろうが
誰かのために毎日頑張っている。それだけで、充分だと思う。

帰って来た当初に比べて、人と会った回数も増えて来た。
やっぱり結局は、自分たちの状況が前提であって、
興味がなければ、質問もしてこない。
結局はその程度なんだろうなと思う。
domesticさ満点な人たちが多いなと前にも思っていたけど。
(逆を言えば、ちゃんと目の前のことに対して向き合っているからいいんだけど)
想像できない範囲にいるから、わからないんだろうなと思う。

改めて思うのは、会って嫌な想いをする人もいるなぁというのが正直なところ。
決して、よかったと思う人がいない。
畑を変えてしまったことで、話が合わない。
人生の階段を着実に上って行ってる。
自分が外れていることも分かってる。
だけど、少なからずのうらやましさや羨望の気持ちがあることも否めないわけで。
この気持ちを解決できる方法は、やっぱりブダペストを拠点にして
生きて行く方法を広げて行くしかないんだなと思う。

全くの未知の世界だし、人のつながりもないし。

だから、一つ一つこれから広げて行くという活動を地道にして行く。
やることは明確だ。