幸せの階段 | 乙津枯様 と 五九朗さん

乙津枯様 と 五九朗さん

今日も一日お疲れさまでした。
 今日は新鮮なのがあがってますよ!風呂上がりにでも一息つきながら見ていってください。

見つめるアルバムには、幼い頃の赤ん坊が両手を広げて、笑った顔が輝いているよう。今にも抱きつこうと意志をこめて、きっとカメラを向けていたであろう父へと、手を伸ばしていたんだろう。小さな頃から大好きだった父の面影を偲べるものは、どこを探してもこれだけしかなかった。父の無くなった後に母が荷物を整理してしまったのが今更だが悔やしくてたまらない。

平屋作りの小さな借家は、昔とちがってとても広々と感じられる。家族の住んでいた頃は家具が所狭しと置かれて、父の横には私、母の傍には弟が、ひっつくように笑顔で暮らしていた。荷物を運び出したあとの家の中には、差し込む太陽の光以外に暖かさなどどこにも感じられなかった。

「京子、もう行くわよ。はやくなさーい。」

玄関のところから母が叫ぶのが聞こえる。小さな家に住んでいるのに、母の声はとても大きな声で、いっつも私は恥ずかしいと思っていた。けれど今日の声は、大きいけれど喜びに満ちていた。

「はーい。いまいくー。」

行きかけて、立ち止まり、一瞬振り返る。畳に差し込む太陽の光が、オレンジ色の輝きとともに幸せな暖かさを描いている。反射した光に淡く包まれて、柱や壁がぼんやりと虹彩を放っているような気がした。

「京子、タクシーきたわよー。」

「今行くってー。」

玄関脇に用意したはずのトランクは、たぶん弟が運んでくれたんだろう。中には洋裁学校で習った技術で、半年かけて縫い上げたウェディングドレスが入っている。そう、今日は私の結婚式の日。

「京子、もう時間無いわよ。なんだってこんな日にこの家なんかに...」

「おかあさん、いいから。さ、いこ。」

背後の暖かな空気がふわりと髮を撫でた気がした。それはまるで遠い昔に、おとうさんに頭を撫でられたような感じがした。

「あんた、なに泣いてるのよ。...嫌だったらいいのよ、結婚なんてしたって良いものじゃないんだから。」

「もう、おかあさんたら。そんなんじゃないの。いくわよ、たかひとさんが待ってるから。」

「気乗りしなくなったらいつでもやめて良いからね。かあさんはおまえの味方だからね。」

「ちがうって言ってるでしょ。先行くわよ。」

玄関を出てすぐ前の細い道にタクシーがエンジンを止めて待っていた。弟が助手席から体を出してこちらを見ている。目があった瞬間に、弟は優しく笑った。

「とうちゃん、挨拶してきた?」

なんだろうか、たぶんとても嬉し過ぎて。この弟が、あんなにどうしようもないと思っていた馬鹿な弟が、母も思わなかった私の思いを理解してくれていた。それだけでまた、目から涙が流れた。

「何泣いてんだよ、ばか姉!」

そう言うと弟は助手席の中に足を引っ込めて、ドアを閉めた。母が追い付いてきて、タクシーの後ろのドアに手をかけようとする。

「お客さん、自動で開きますから。」

初老のタクシードライバーの注意に、母は少し恥ずかしそうに笑って、私に何かをうったえた。けれど私は一緒になって笑いながら、心の中でもう一度あの部屋の風景を思い出していた。

暖かな思い出の部屋の真中に、父の正装した姿がある。羽織袴に扇子を手にし、きちんと正座している。そうして父は微笑み、こくりと頷いてくれた。

ありがとう、おとうさん。私は今日、嫁にいきます。おとうさんにはあまり似ていないけれど、でもとても優しくて、世話の焼きがいがありそうな人です。心配かけるかもしれませんけど、精一杯がんばるので安心してください。


タクシーはそのまま出発した。遠ざかるあの家に、私はもう振り返らなかった。だって父は微笑んでくれたから...。