今日は敗戦の日である。終戦ではない敗戦した日だ。なんかね、戦争を有事と誤魔化したような言い方もあまり好きではない。
うちのじいさんは戦争を経験してる。そのじいさんも死んでしばらく経つが、直接戦争の話を聞いたことはほんの数回しかない。後述するが、たぶん思うところがあったのだろう。
そのじいさんは戦闘機に乗っていた。正確な名前は忘れたがなんとかトンボと呼ばれる練習機の前で敬礼してる写真が出て来た。ごつい防寒着に今でいうフルハーネスを付け、少し口角が上がった唇は笑顔にさえ見えた。
じいいさんは戦争に肯定的だったか、正直分からん。じゃあ無理やり泣く泣く戦争に参加させられていたか、そう問われると騙されたのでもなく気が狂ったのでもなく、その時の一番の判断がそうだったような気がしている。
じいさんは無理やり戦闘機に乗せられていたのではない。募集で行ったと聞いている。自分は子供の頃、赤紙が来て無理やり戦争に連れて行かれるみたいなもんだと思っていたので、あれ?とは思った。
じいさんは死ぬのが怖かったそうだ。口には出さないが戦闘機乗りとしてエリートの自覚があったと思うが、どうやったら出撃しなくて済むか、そんなことばかり考えていたそうだ。そこで思い付いたのが、なんとか上官に気に入られ、戦闘機の乗り方を教える立場になれないいのだと思いつき、実行したそうな。
ずるいようだけどね、今エアコンの効いた部屋からカタカタ出来てるのは、そうやって生きながらえたお陰なので何も言えない。
それでもいつか死ななければならない日が近づいて来たのが分かったそうだ。訓練飛行中、故郷の山、川、街並みが見えたそうな。
「自分が死ななければあそこに住んでる人が亡くなる」
覚悟が出来たそうだ。
天皇陛下万歳と死んでいったんだよみたいな話は半分本当で半分ウソだという。じじいが言うに、天皇陛下が治めるこの地が永遠に続きますようにだったらしい。
そんな数少ない話をした時、じいさんは少々酔っていた。箸を使って木の葉落としの操縦方法を教えてくれた。どこか遠くを見るようで楽しそうだった。それを横で夢中で聞いてるおれがいた。
突然じじいは口をつぐんだ。つまみのやっこをほおばるとそれを日本酒で流し込み、大相撲のTV中継に目をやるとそれ以上しゃべらなくなった。なんで?もっと聞きたいのに、難しくて分からないと思ったのだろうか。
大人になってからその時の気持ちがちょっとだけ分かった気がする。
戦争は悲惨で悪いものだ、そう教育されてる自分とその世代の人達、つまりどこか遠くの世界の出来事になってしまった自分に、人殺しを肯定した話を孫に聞かせたくなかったのだと思う。
戦争は悪いを大前提にするが、命を懸けてまで守ろうとしたものに、それを否定されるのはどんな気持ちだったろうか。
だからね、じいちゃんありがとう。
墓参り行ってくるわ。