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【第3話】
それからも、櫻井先輩とはすれ違いの日々が続いた。
私が自分の仕事を終えて帰る時も、櫻井先輩は、凄い勢いでパソコンのキーボードを叩いているか、出先から戻っていないかどちらかだ。
たまにこっそり、櫻井さんのデスクにコーヒーを置いて帰ると、翌日、私の机に「ありがとう」と小さいフセンが貼ってあって、ひそかにキュンとしたりしていた。
ある日、珍しく昼間もデスクに櫻井さんがいて、どうしても気になってそちらばかり見てしまった。
すると、視線に気づいたのか、櫻井さんもふっと顔を上げ、こっちを見た。
目が合うと、顔をしかめ、首を振る。
(あ、見ちゃダメって怒られた)
あわてて目を逸らし、私もパソコンのモニターに視線を戻した。
(そ、そうだよね。仕事しなきゃ)
どうしても、櫻井さんの方を見そうになる自分に鍵をかけ、仕事に集中することにした。
その時、ピロリン、と仕事メールの到着音がした。
作業中の画面をいくつか閉じて、アウトルックを呼び出すと、新着メールが1 件。
(……!!)
差出人は、櫻井課長だった。
思わずそちらを見たが、彼はクールに下を向いて、素知らぬ顔をしていた。
内容は、仕事上の指示で、今夜の残業を命じるものだった。
(ああ、ドキドキしちゃった…)
社内メールはセキュリティが厳しく、私用で使っていないか、システム管理者に内容を見られていると聞いたこともあった。
それでも、特別なメッセージをちょっとは期待したけど…
仕事人間の櫻井先輩が、公私混同するはずもなかった。
私は大人しく、残業了承のメールを櫻井課長に送った。
*****
櫻井先輩は夕方から外出してしまい、仕方なく戻りを待っていると、いつの間にか夜のオフィスは私一人になった。
(遅いなあ。本当に忙しいんだな…)
そう急ぎでもない、自分の資料の作成をしていると、ようやく櫻井さんが帰社してきた。
「お疲れ様です」
そう言って立ち上がると、櫻井さんが疲れた表情で、ネクタイに指を突っ込んで緩めた。
「ああ、ごめん。遅くなったね」
鞄を自席に放り投げると、ふうっと椅子に深く座った。
「コーヒーでも淹れましょうか?」
声をかけると、疲れた目元が嬉しそうに微笑んだ。
「うん。…ありがと」
こんなに和んだ櫻井先輩の顔を見るのは、久しぶりだった。
やがて、私の淹れたコーヒーの薫りが、部屋中に満ちた。
少しでも、櫻井さんの癒しになればいいのだけど…。
「あぁ……うまい。シャンとするよ」
満足そうにマグカップをすする先輩の笑顔は、3年前と変わらず優しい。
久しぶりに櫻井先輩のためにコーヒーを淹れられて、私も嬉しかった。
一息入れた櫻井さんは、上司らしく、テキパキと指示を出した。
間もなく大きなプレゼンがあるようで、そのための資料作りを補助してほしいとのことだった。
翌日までに必要な範囲を聞いて、さっそく作業に取り掛かる。
資料を見ているうちに、気になることがあった。
「あのう…聞いてもいいですか」
「なに?まめちゃん」
昼間は名字で呼ぶのに、二人きりだと愛称になる。
突然の彼女感に、思わず顔がにやけてしまう。
「い、いえ、あの…資料に、やたら西日本のデータが出てくるなあと思って…」
何気なく言うと、急に櫻井さんは黙り込んだ。
「・・・・・・」
口元を手で覆い、目が強くなった。
(えっ…何かまずいことを聞いたかな)
不安になるくらいの沈黙のあと、櫻井さんは、覚悟を決めたように、ふうっと溜息をもらした。
(続く)