ディスレクシアという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
私自身、自民党の下村博文氏の経歴をたどるまで知らない言葉だった。
下村氏本人は苦学をし、まるで勉強の虫のように本を読み
早稲田へ進学。
勉強を苦痛に感じるよりは、学びを吸収したくて仕方なくて
その欲求を満たすための学習は喜びそのものだったのではないだろうか。
そんな彼の長男が、漢字テストをほとんど何もかけずに持ち帰る姿を見て
どんなことを感じたのだろう。
まずは、克服をさせようと家庭教師のようにつきっきりで漢字を教えた。
しかし、何度練習してもさっき書いたばかりの漢字が書けない。
きっと、イライラしたことだろう。
彼自身の著書にも書いてあるが、一度きりのことであるが
「なめているのか?」と長男に手を挙げたそうだ。
その後、真っ黒になるまで漢字の練習をした紙を見つけ
息子の努力に気が付けなかったことをひどく後悔したそうだ。
のちに専門家に見てもらい、長男が識字障害(ディスレクシア)であることが
わかるのだが、このことこそが下博文村議員の日本における教育改革への原動力へと
つながる。
真の平等な教育とは何か、日本の受験の仕組みのように
満遍なくこなせることを良しとするより、何か秀でた個性を伸ばす
学びがあってもよいのではないか?
たとえ苦手な分野があったとしても、得意分野で高度な知識を
身に付けられるチャンスがあってもいいのではない?
この考えは、日本の教育界に大きな一石を投じることになる。