広島県の『黒い雨訴訟』、原告側の勝訴となったが、国(大方、広島県と広島市に控訴を迫ったのだろう)と広島県・広島市の話し合いの末に、広島市が控訴に踏み切った。
国の言い分としては「科学的な知見が(判決に)見られない」から。
当然だ。地裁の裁判官の原告側への温情判決だったのだから。
むかつことこの上ない。
それで広島原爆と切っても切れないロック・バンドに
レッド・ツェッペリンがある。上の画像は1971年9/27、広島ライブの模様。ZEPのメンバーが広島でライブを行いたいと希望をしたらしい。
そのライブに先立って広島原爆公園を訪れたZEPのメンバーたちは
泣きながら「二度と戦争を起こしてはならない」と語った。
東京において酒乱のジョン・ボーナムが側近のリチャード・コール等々とバカ騒ぎの果てに、ヒルトンホテルの壁を日本刀でズタスタに切り裂き、壁を壊したり、乱暴狼藉三昧。その果てにヒルトンホテル永久追放となったレッド・ツェッペリン。最低でも3時間のライブを行わねばジョン・ボーナムがエネルギーを持て余して、大酒を喰らい、リチャード・コール共々にホテルの部屋を破壊してしまうことが分かったのは数年が経ってからか。ジミー・ペイジ? 黒ミサに興じていたんじゃないのか。ロバート・プラント? グルーピー嬢とヤリまくりだったんじゃない。
そんな乱暴者の側面を有していたレッド・ツェッペリンのメンバーたちが原爆ドーム等を目の当たりにし、泣きながら、「二度と戦争を起こしてはいけない」と語ったのだ。
そして広島ライブの売り上げ700万円を広島に寄付。
守銭奴、ドドケチ、鉛の財布のジミー・ペイジが寄付をしたんだぞ。すごいことなんだから。
そのジミー・ペイジ、2015年にリマスター・アルバムのプロモーションで来日した際に
戦後70年を節目に再度、広島を訪れ、原爆の犠牲者に献花をしてくれた。
ジミー・ペイジは行動することで自らの気持ちを表したのだ。
ジミー・ペイジは本当に立派だ。
ところで1971年に広島でZEPが残した有名な言葉
上・画像のものがある。これはZEPのメンバーの誰の言葉か? と言うことが或るサイトで話題になり、ロバート・プラントが言ったこととして決着がついたが。
何と私の友人のそのまた友人の父親が広島県の新聞社で記者をしていて、ZEPのその一部始終を見ていたらしい。
そうしたら、ロバートが紙に書いたものを読み上げたらしいが、その直前にジミーが紙にささっと書き、その紙をロバートに手渡し、それをロバートが読んだとのこと。ジミー・ペイジの言葉だったのだ。
だから【戦後70年の節目に再度、ジミー・ペイジは広島を訪れ犠牲者に献花をした】のだ。
ロバート・プラントは何もしていない。
ジミー・ペイジ、貴方は本当に立派です!
ジミー・ペイジのファンでいて、本当に良かった。
だが、レッド・ツェッペリンの『ライブ・アーカイブ集』はストリーミング配信される予定であったが、その音を聴いたジミー・ペイジ、音の悪さに驚いてしまいロバート・プラントと喧嘩になり、暗礁に乗り上げてしまったのだろう。PCやスマホなどノイズの塊なのだ。2010年頃から3年ほど我が国でもオーディオ愛好家の間でハイレゾ・ダウンロード配信が流行ったが、皆、音の悪さにそっぽを向いてしまった。LINNの200万円もする機器を使って尚、音が悪い。それはそうだ。ノイズの塊であるPCを経由してくるのだから、ノイズを引っ張ってきてしまう。
友人たち3人とも話すのだが
「レッド・ツェッペリンのサウンドは俺がつくった!」
と言う自負があるジミー・ペイジには、また耳が良いジミー・ペイジにはストリーミング配信などと言うものが許せなかったのだろう。
ともかく、この「テスト記事」のほぼ転載を許可してくれた友人のじみーちゃんに感謝、感謝。