先日、今、話題の謎の美女、北山れいさんと北山さんが創設したLOVENUSについて記したが、北山れいさんに関して書き足りない部分があったことから、今日はPARTⅡとして文を認める。
今日は、「です・ます」調では書かないので、そこんとこヨロシク。
北山れいさんの『特殊性(天賦の才)』に関しては、先日、書いた通りだ。
今回、書きたいことは、北山れいさんの歯に衣着せぬ言葉に俺は拍手喝采を送るものの、何故、不快感を示す輩が多いのか、について始まり、そこから北山れいさんの本質に迫ってみたい。
先ず、少々、問題が生じる恐れがあるが、委細かまわず下の写真を載せてみる。
理由は、この写真こそが、『北山れい』を大きく物語っているからだ。
少しでも頭が回る者であれば、この様な水着を着てドンギマリに似合う、キマる、日本人女性など全日本の女性中1%にも満たないことが解るはずだ。
この様な水着を着てドンギマリにキマる女性は、アメリカのハリウッド女優やスーパー・モデルに西ヨーロッパのセレブな女性だけだ。
すなわち、この写真を見れば、北山れいさんが如何に日本人離れした稀有な女性であるかが解るであろう。
また、同様な者であれば、この写真からは北山さんのカリスマ性を大いに感じ取れるはずだ。
極論を言えば、北山れいさんは、神が与えた稀有な女性に他ならない。
これを念頭に置いてほしい。
それで、頭脳明晰な北山れいさんは、自分や事の本質を見抜くことができ、さらには有言実行が可能な女性。
そして、そんな北山さんが自分や事の本質をズバッと語るが為に、彼女の言葉に拒否反応を示す者が出る。
そこで、何故、北山さんの言葉に拒否反応を示す者が出るのかを掘り下げるが、
結論を先に書いてしまう。
それは、北山れいさんが、『実在するオレ様』、だからだ。
虚構の世界であるが、漫画のオレ様キャラを挙げてみる。
最初の、漫画のオレ様は、『巨人の星』の花形満。
花形満こそが、漫画におけるオレ様キャラの嚆矢であるが、そこから大きな年月を経て、『リングにかけろ』にて剣崎順が登場。
この剣崎順が、花形満同様に大人気を博し、オレ様キャラが漫画に多数登場するようになった。
『魁! 男塾』の伊達臣人に大豪院邪鬼。
『るろうに剣心』の斎藤一。
こうしたオレ様キャラは、各漫画の主人公以上に読者を惹きつけ、大人気となった。
以上のキャラから比べたなら、『のだめカンタービレ』の千秋真一などオレ様キャラでもなんでもない。
では、何故、漫画の世界ではオレ様キャラが人気を博したのか。
それは、「事の本質」や作者が何よりも大切な事を語らせているからだ。
そうなると、虚構の世界である漫画ではオレ様キャラが人気になり、『実在するオレ様』の(北山れいさんの)言葉に拒否反応を示す者が出てくるのか、と言うことになる。
答えは、以下の3名。
矢沢永吉(初の日本人単独・日本武道館ライブやスタジアム公演を成功させた)、甲斐よしひろ(「HERO」で大ブレーク後、ライブ・ツアーで観客動員数記録を次々に書き換え、花園ラグビー場ライブ、新宿副都心ライブ、両国国技館ライブ等々、誰もライブを行ったことがない場所でのライブを成功させた)、そして忌野清志郎。
甲斐よしひろは、今ではしょーもねージジイでしかないが、3人とも、まだ日本でロック・ビジネスが全く確立されていない時期に、ギンギンにツッパリ、いきがって、有言実行を示した。
そして、ギンギンにツッパリ、いきがる、彼等3人は、熱狂的ファンを獲得する一方で、強力なアンチも多数抱えていた。
更には、3人ともマスコミに叩かれた、叩かれた。
この3人が大ブレークを果たした時期を知る者しか分からないと思うが(虚しい・・・・・)。
あと、若い頃は3人とも強烈なオレ様だった。『実在するオレ様』だったのだ。
そう、北山れいさんは、「矢沢れいきち」、と言う名前も有しているが、北山れいさんは、若き頃の矢沢永吉そのもの(女性バージョン)なのだ。
そのフィールドが違うだけである。
ただ、問題はここだ。
上の3人の若い頃を知る者にとっては、頭の良い人間ならば、「北山れいさんは矢沢永吉、そのものじゃん」、となるが、知らない者、または、愚者にとっては、北山さんより、漫画のオレ様キャラの方が身近になる、と言うことだ。
そう言う者にとって、漫画の世界にしかいないオレ様キャラは実在されると非常に困惑をする。困る、と言ってもいい。
故に、そうした者どもは、北山さんの言葉に拒否反応を示す。
こう言うことだ。
てめえに自信がない奴等は、漫画のオレ様キャラに自己同化をし、かろうじて世の中とのバランスを保って生きてきた。
だから、そう言う奴等は、漫画の世界にしかいないオレ様キャラに実在されると困るのだ。てめえに自信がない奴等は、ウマシカはそうなる。男女を問わず。
何でもかんでも中庸を好む日本人、モノをハッキリと言わない日本人、ファジーの方が居心地が良い日本人。
こう言う輩にとって、北山れいさんの言葉は毒にしかならないのだ。
『実在するオレ様』、北山れいさんの言葉に拒否反応を示す輩が出てくるのは、上記の理由に起因する。
若き日の矢沢永吉、甲斐よしひろ、忌野清志郎をリアルタイムで知っている世代が、俺が最後くらいなのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
しかし、第二、第三の彼等がミュージシャンとして現れなかったことの副作用が大きすぎた。
強烈な『オレ様』を知ることもなく、毒も何もない人畜無害な音楽(俺は、こんなものを音楽などど呼びたくない)に囲まれて育った人間が圧倒的に多い時代なのだから、北山れいさんの言葉に多くの者が拒否反応を示しても、何ら不思議ではない。
だけど、くだらねえ時代なんだよ。
次に、北山れいさんの本質。
先に、北山れいさんは、矢沢永吉の女性バージンじゃねえ、女性バージョンと記したが、矢沢永吉は、日本のロックのパイオニアだった。
そして、便宜上、隙間市場と記すが、隙間市場を狙ってLOVENUSを起こした北山れいさんは、そのパイオニアなのだ。
矢沢も叩かれまくったので、北山さんも阿呆に叩かれるのは無理からぬこと。パイオニアの宿命と言える。
そんな北山れいさんであるが、そのカリスマ性で多数の男性ファンを獲得した矢沢永吉同様に、先ずは北山さんのカリスマ性(特殊性)に惹きつけられてLOVENUSのメンバーとなった女性たちがいるものと思う。
女性の集団を束ねていくのは非常に困難であるに違いないが、カリスマ性(特殊性)を有した北山さんがいたからこそ、LOVENUSは存続している。
しかし、だからこそ、北山れいさんは孤高なのだ。矢沢永吉が孤高であるように。
上のハリウッド女優やスーパー・モデルに西ヨーロッパのセレブな女性しか似合わない水着をドンギマリに着こなしている北山さんの姿を思い出してほしい。
北山れいさんは、この世に生まれた時点でもう孤高の道を歩むことを運命づけられていたのだ。特殊なのだから。
隙間市場を狙ってLOVENUSを起こし、その知恵と感性で様々な戦略を練っているであろう北山さんは、その道の天才だ。
矢沢永吉が不可能を可能にしてきて、日本のロックのパイオニアとなったように、北山れいさんも不可能を可能にしてLOVENUSを運営していくものと思う。
これが、北山れいさんの本質だ。
何か書き足りない部分もあるかも知れないが、あった場合には、時間をつくって書いてみたい。
そこんとこヨロシク。