うれしかった話。








オーストラリアの女性首相、ギラードさんが外国首脳では初めて
被災した街のひとつ、南三陸町を訪れたんだそう。

大雨でヘリが飛ばない中、陸路でわざわざ現地入りし
こどもたちにコアラとカンガルーのぬいぐるみをプレゼントしてくれたとか。





この時期に海外から日本へ来ることは大変な決断だと思うんですね。







それにはこんな話が。



「ギラード首相様。首相はほかの国の首相と話すことができると母から聞きました。
日本の首相にこの手紙を送ることができますか?」

手紙の主はパースに住むアシュウィン・クレスウェル君(9)。
彼の訴えがジュリア・ギラード首相を動かした。




「僕は新聞でトシヒト・アイサワという男の子の写真を見ました。母はその記事を読んでくれました」

震災の被災者約2000人がひしめく宮城県石巻市の避難所で
家族の名前を書いた段ボールを掲げる男の子がいる。

市立釜小学校3年の相沢寿仁君(9)。

寿仁君はあの日、父の運転する車で母、祖母、いとこ2人と一緒に高台を目指していた。
津波から逃げてハンドルを切っているうちに駐車場で行き止まりになり、車は海水にのまれた。

寿仁君は必死に窓を割って壊し、外に出た。
気がついたら廃材の上に寝ていたが、両親らはいなかった。


「明日もくるからね 寿仁」と避難所の掲示板にメモを貼った。











「ギラード首相は彼のことを知っていますか? 彼は好物を食べたり飲んだりできていますか?
 彼は好きなTシャツを持っていますか?」と尋ねたアシュウィン君は、こう申し出た。


「彼の両親が見つからなかったら、僕の家に一緒に住んでもいいです。
僕のおもちゃで遊べるし、一緒に学校に行くこともできます」

手紙を受け取ったギラード氏は3月29日、アシュウィン君の自宅を訪ねた。
「あなたは優しいわ。とてもすてきな手紙よ」。日本の首相に必ず渡すと約束した。

4月20日夜、ギラード氏は羽田空港に降り立った。
翌日、菅直人首相に手紙を渡し、「オーストラリアと日本の国民は一体です」と語った後、
アシュウィン君に「約束通り渡したわ」と、電話をかけたんだそう。








日本とは深い交流関係にあるオーストラリア。


調査捕鯨なんかでは厳しい意見も受けますが、
文化交流の面ではとてもウェルカムですよね。


ギラード首相は、東京で開かれた有効夕食会でも
被災した学生らを留学生としてオーストラリアに無償で受け入れると言ってくれた。



これからのこどもたちには勇気を出して新しい道を切り開き、どんどん国際交流していって欲しい。




"なにもできない"? いや、
"なんだってできる!"


そのポテンシャルは無限にあると思います。











ある避難所に、有名タレントが慰問に訪れた時のこと、
「本物だ!」とサインをせがもうとした子供たちは、案内役の職員に
「時間が限られているのでできない」と拒まれた。


一人の少女はがっかりした表情を見せたんだけど、
記者に向かって恥ずかしそうに「サインして」と言ったそう。


「有名人じゃないんだよ」と説明しても
「いいの、集めるのが好きだから」と、真新しいドラえもんの表紙のノートを差し出した。






「アメリカの人が私と弟と友達にくれたの」といって
米軍の一人からもらったというピンバッジを大事そうにもってる少女もいて。


瓦礫の中から拾ったという小箱の中に「ずっとなくさないように」って、
弟の分も一緒にしまっているんだとか。






「地震でたくさんのものを失いました。
大切な人、おうち、思い出の品。
でも優しい心、大切な気持ちはなくなりません」


4月から新しい赴任先へ行ってしまう先生がこどもたちに残した言葉。






こんな状況の中でも、嬉しいことや悲しいこと、
いろんなことを見て、感じながら、こどもたちは毎日を生きてるんですね。


こどもが笑うと廻りの人も嬉しくなる。
こどもってそんなすごいパワーを持ってると思う。



きっと、たくさんの人達が勇気づけられてるに違いない、そう思うんです。







わが子でなくても精一杯守ってあげたい。




自分の無力さを感じた朝でもありました。








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