子どもの頃から見ていた、お馴染みの存在が2人逝った。まずはこの人から・・・。
6代目三遊亭円楽師匠
(※画像はyahoo!画像より)
ここ何年かは病魔との闘いで、笑点も休場が続いており、いつの日か復帰をと願っていた僕としては残念。。。
先代円楽師匠の秘蔵っ子として、笑点の大喜利コーナーに登場したのが45年前。僕はまだ保育園の年長、当時年輩(に見えたが、皆まだ3~40代!)が多かった中で、27歳だった師匠は図抜けて若かった。
一時期を除き、2004年まで大喜利メンバーの最年少。いつも答えはウィットに富み、インテリキャラで政治にピリッと風刺を利かせ、他のメンバーにこき下ろされれば、頭の回転の速さですぐに切り返した。故・桂歌丸師匠との罵倒合戦は、かつて歌丸師匠が、故・三遊亭小円遊師匠と『ハゲ!』『バケモノ!』とやり合ったリバイバルで、笑い転げたことが何回あったか・・・
腹黒いキャラが有名だけど、分かる人には分かるだろうが、あくまでも作られたものであり、実際は義理・人情のある下町っ子。例えば、僕が岩手に居た頃、近所にあった某家具屋AのローカルCMに破格の低ギャラで出演していたが、一説には当時の社長さんが同じ大学(社長の息子さんと同じ大学等の諸説あり)で、その繋がりで快諾したらしい。。。これこそ江戸っ子の粋という奴だね。
僕は2回お見掛けした事があり、1つは墨田区某所でチョイワル親父のような出で立ちで、背もスラっと高く、カッコイイな~と歩く姿を遠目から。。。
もう1つは、都内のプロレス会場。師匠がプロレスファンなのは有名で(中学の同級生に天龍源一郎がいるのも影響しているのか?)、スタイリッシュなファッションで目立っていた。会場は日本武道館か両国国技館どちらかだと思ふ。
ウッキペディアにも記されていたが、東京の落語家は落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流のどこかに所属しているが、師匠は4つ全ての団体に所属歴がある唯一の落語家だったりする。(落芸だけは客員)
僕は昔から演芸マニアで、少ないながら寄席通いをしてきた。残念ながら師匠の一席を見る事が出来なかったのは痛恨の極み・・・いつでも見られるって考えちゃダメなんだね。。。
今は芸人のネタ見せ番組が多いけど、かつてお笑いと言えば、TVかラジオの寄席番組。なかでも子どもの頃から聴いていたのは・・・
秋田の酒、美酒爛漫がお送りする、らんまんラジオ寄席!(中略)本当の寄席の笑い、名人芸をお送りする、ラジオ寄席。
司会のアナウンサーの口上でお馴染み
らんまんラジオ寄席(TBSラジオ)
が今年48年の歴史に幕を閉じ、とてつもない衝撃を受けた。(発表されたのが今日10月2日、気絶しそうになったよ)
8月に師匠が高座に復帰したが、病気の影響で、あまりにも老け込んだ姿に驚いた。『死ぬまでやります』と宣言したものの、僕の見方は1年出来れば上々かなと・・・正直厳しいと思った。まさかこんなに早いとはね・・・
56年続く笑点はどうなるんだろう?確か100年を目指すと言っていたが・・・基本は今も昔も面白いんだけど、クオリティーが下がっている印象もあり、ここに来て師匠がいなくなり、大幅なパワーダウンは避けられない。(最古参の木久扇師匠も体調不安を抱え、そう遠くない時期に勇退するのでは?という憶測も飛び交っている。真相は分からないが)
師匠が72歳で旅立ち、らんまんラジオ寄席も48年で終了・・・昭和がどんどん遠くなる。。。
あの世でもブラック風刺で、亡くなった人達を楽しませて下さい。
合掌・・・