嫁の小学校閉校クロニクル・その2。 | 暫定・綴れば愉快だ宇都宮 熱視線blog(旧・せんだい熱視線 ジミ都市blog)

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※昨日のつづきです。

 

嫁は自身の思い出話と共に、目に焼き付けるよう校内を巡る。そして、校舎を出て渡り廊下を歩き、構造上存在するのか、とても珍しい

 

トンネル

 

を潜ると・・・

 

体育館

 

中へ入ると閉校式の準備が進んでいた。当日は地域の人達(要は卒業生)が集まって、閉校を惜しむんだろうな。。。

 

再び校舎へと戻る。学校の殆どを過ごした懐かしい教室へ・・・その前に廊下を眺めては感傷に浸る嫁。暫く待つ僕(笑)。

 

そう、ここだよ!!

嫁が声をあげる。どうやら当時と殆ど変わっておらず、教室内にある手洗い場も健在。

 

職員室へ顔を出し、御礼と挨拶。事前に取り置きをお願いしていた閉校記念誌を受け取り、校舎を出た。最後に校庭をゆっくりぐるっと回る事に。

 

すごく思い出のあるところがあると、フェンスを指さす。何?と聞くと・・・

 

破れているところからよく出入りしていたよ!

え?つまり30年以上修理されないまま、放置されていた訳か・・・へえ~。。。

 

学校付近を散策、学校は少し登ったところにあり、下に降りて嫁が通学で乗り降りしていたバス停を見る。

 

そばにある某商店から出て来た初老の男性と目が合った。すると嫁は・・・

 

●●さん!ご無沙汰しております!!

 

と声を掛ける。怪訝そうにしていた男性は思い出したかのように反応。しばし立ち話タイム、嫁の実家は既に近辺から引っ越しており、この辺に来る事も無くて、20年以上ぶりの再会だったそうな。

 

僕は再び学校へ戻り、クルマを出して再び下へ降り、嫁を乗せて帰路。消えてしまう母校見物は嫁にとって忘れられない記憶になる筈。

 

少子化は深刻・・・僕の通った小学校も17年前に閉校鉄筋コンクリート造の3階・4階建て、L字型の大きな校舎。僕が入学する直前までは・・・

 

東京一のマンモス校

 

と呼ばれ、解消策として小学校の向かいに小学校が建設されたと言っても友人の多くは信じてくれないのだけど(苦笑)。

 

僕の家から徒歩で通える小学校は4つあったが、現在は統廃合され1つになった。校舎は15年程放置されたままだったが、現在は消防署が移転新築され、当時の面影は無くなったと聞く。(寂しいね)

 

1年間通った中学校(2年生以降は岩手)も1学年10~11クラスあって、全校生徒は1,200人を超えていたけど、8年前に生徒の激減で閉校。最後は1年生ゼロ、2年生1人、3年生28人。たったの29人だったって(驚愕)。

 

校舎は、隣接する閉校した小学校(僕の通った小学校じゃない)と一体的に解体され、跡地は某大学のキャンパスとして生まれ変わるとの事。姿形が消えてしまうのは悲しいよなあ。。。

 

その点、嫁はまだ幸せだよ。低学年時に通ったK小学校は閉校36年経っても残っているし、数年前に閉校した中学校も太陽光パネルの会社事務所として活用されている。(素晴らしい二階建ての木造校舎なだけに、こういう使われ方は残念・涙)。

 

つくづく思うけど・・・

 

母校が無くなるのは寂しい・・・

 

あなたの母校はまだありますか?