今年で30回目!節目を記念して、岩手競馬を象徴する一つのレースを勝手に振り返る。1回目は創設の経緯と、第1回が行われた1986(昭和61)年。
岩手競馬が強い馬づくりに着手したのは80年代半ば、全国のダービー馬を集めて地方競馬NO.1のダービー馬を決めようと、壮大な計画をブチ上げた。
ダービーグランプリ
(※岩手競馬マガジン『テシオ』 表紙から)
通称ダーグラ(ダービーGP、単にグランプリとも呼ばれる)、当時の地方競馬はJRAとの交流どころか、地方同士の交流も限定的で、どの馬が一番強いのか全く分からないのが実態だった。
全国の強豪馬を招き、一緒に走れば、岩手のレベルが上がる筈
恐らく、そんな信念と情熱が当時の岩手県競馬組合にはあった筈。そんな夢のようなレースが創設されたのは、僕が中学3年の時だった。
1着賞金2,000万円(後に3,000万円⇒5,000万円⇒6,000万円⇒5,000万円⇒600万円⇒800万円⇒現在は1,000万円)
当時としては破格の賞金。そして生産者にまで賞金が出る斬新さが話題を呼び、招待枠6頭に対し、全国から申し込んだ馬は何と25頭!!
主催者が嬉しい悲鳴だったのは想像に難くないが、選び抜かれた精鋭6頭が冬到来の水沢競馬場へやって来た。(これが岩手初の地方全国交流競走)
僕は中学3年、つまり受験生だが、家族の目があるので、一応勉強しているフリをし、殆ど読書に費やし、特に日曜はラジオで競馬中継をよく聴いていた。(岩手県民なら知っているIBCトップ40とかね)
しかし!ダーグラこの日はTV中継があり、家族には・・・
ダービーグランプリの中継を見るからね!!
と宣言し、正々堂々と視聴(笑)。
僕の◎は北関東三冠馬サラノオー、〇は地元の大将格トウケイフリート、▲以下は記憶にございませんなあ。。。
レースは衝撃的だった。ノーマークか×位の見方がせいぜいな、大井の小柄な牝馬トミアルコがアッサリ逃げ切ったのよね・・・・(驚)。
(※画像は、テレビ岩手『水沢競馬中継』より)
この馬、南関東の一線級では無いし、大きな重賞タイトルも東京3歳優駿牝馬(現・東京2歳優駿牝馬)だけでしょ?正直ビックリして、パクパク食べていた南部せんべい(ピーナッツ味)をボロボロこぼしたもんね(苦笑)。
では2着はと言うと、やはりパドックでいいなと思ったサラノオー、差せるかなと思ったけど、差せなかったねえ。。。
(※岩手競馬マガジン『テシオ』より)
岩手勢はド惨敗・・・(涙)。応援していたトウケイフリートは7着、その代わり全然注目して無かったノーザントライが5着に入ったけど、岩手勢は一線級を揃えての討ち死にだから、一生勝てない気になったのは当然だと思ふ。
あれから31年、まさか僕が不特定多数の読み手に第1回ダーグラを回顧するとは・・・世の中何が起きるか分からない。。。