日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞しました。

 

 被爆者の方々の苦しみ、そして核兵器の恐ろしさを後世に伝えてきた活動は、受賞するに十分なものがあると私も思います。

 

 ただ少し、タイミングが良すぎる気がするのが引っかかります

 

 今、世界ではウクライナ戦争を大きなきっかけとして「核兵器を持ちたい」「持たなければ、自分たちがやられてしまう」と考える国が急増していると思います。

 

 そのような気分を消すために、今のタイミングでノーベル平和賞が授与された気がしてならないのです。

 

 被爆者の方々の思い、努力を、政治的に利用しようとする。核保有国の意図が見え隠れする気がしてならないのです。

 

 核兵器そのものは残念ながらなくならないと思います。

 

 国連は、もはや武力紛争を解決する力などありません。

 

 国連安全保障理事会の常任理事国は、すべて核保有国で、その中でも国々が拒否権を乱用し、核兵器で他国に脅す国も出ています。

 

 そのような現実の中で、世界の多くの国は核兵器を保有したがっています。

 

 これは、核兵器が人類が持つべきものではなかったものであることがわかっていても、自己民をその恐怖から救うためには、自らも核兵器を持たねばならないと、多くの国が感じているからに他なりません。

 

 私は、日本も核武装をすべきだと思っています。

 

 かつては、世界唯一の被爆国である日本が核兵器を持てば、世界の国々の歯止めがかからなくなると考えていました。

 

 しかし、日本がどのようにしようと、中国やロシアなどの開国保有国がそれを端君への脅しに使う現実の前で、その危険を感じている国は、核兵器の所有を求めるでしょう。

 

 日本も、北朝鮮や中国のことを考えれば、核兵器なしではやっていけないと思います。

 

 極端な軍事力の不均衡が生じれば、そこに危険が発生してくると思うのです。

 

 北朝鮮が、核兵器を放棄すると、信じられる人がいるのでしょうか?

 

 中国も絶対に手放しはしません。

 

 このような国々と隣接している状態の中では、原爆の碑文にあるように「二度と甘い街は繰り返しません」と言う言葉を実現しようと思えば、核兵器を問題を避けて通ることはできません。

 

 日本では、議論することすらタブー視されていますが、これだけ世界が大きく揺れている中で、日本だけは平和を保つのに手を汚さないで済むと言う事はありえないと思います。

 

 あくまで素性通して核兵器を持たず、保有国の無理難題の言いなりになるのか、核兵器を持って、いざと言う時も毅然とした態度を取れるようにするか、日本も決断の時が来ていると思います。

 

 日本が核兵器を持とうとすれば、それを止めるための力も働くでしょうから、大変微妙な選択になると思います。

 

 しかし、日本人は総じてみれば、勤勉で他者のことを思いやれる国民性があると思います。

 

 そういう国こそが核兵器を適正に運用できるのだと思います。

 

 核兵器は、人類が持つべきものではなかったと思いますが、もしそれをなんとかしようとするならば、日本が世界最強の核保有国となり、「自分も減らすから、あんたも減らさないか?」と言う議論に相手を載せられるのだと思います。

 

 持たないものが、モテる国にどれほど話をしても、相手はのらりくらりかわし続けて核兵器はこの世からなくならないと思います。