明日から学校の授業が始まり、なおかつバイトも始まる。
予定がフリーの日は今日で最後なので、これまで行ったことのなかった、空知地方、歌志内市に行ってきた。
朝早く出発したかったが、午前中に荷物を届けてもらうようにしていたので、届くのを待ってからの出発になった。
いつもどおり、南幌と栗沢を通って三笠から12号に合流。
美唄のすき家で牛丼をテイクアウトする。
奈井江の先、奈井江砂川ICの方に一旦道を逸れ、すぐに北上して上砂川町・歌志内市方面へ。
道の駅うたしないに到着。ただ、私がクルマを停めたのは道の駅の駐車場ではなく、その上部に位置するチロルの湯という温泉施設の駐車場だったらしい。
トイレだけ使わせてもらい、テイクアウトした牛丼を食べる。
食べ終わると、満腹なのと心地の良い陽気が相まって眠くなってきた。
助手席側をフルフラットにして昼寝をした。
気づいたら1時間半ほど寝ていたらしい。15時過ぎに目が醒めた。
シートをもとに戻し、再度出発。歌志内から赤平方面に行く。
ここで初めて上述した、道の駅はまた別の場所だったということに気づいた。
歌志内市は、日本で最も人口が少ない市として有名だが、なるほどたしかに人が少ない。
かつて栄えた炭鉱もなくなり、山に囲まれているから、もう発展のしようが無いのかもしれない。
歌志内と赤平はトンネルで繋がっているが、その直前になにやら見覚えのある建物が。
「幸福の黄色いハンカチ」で、銀座カンカン娘を歌っているシーンでバックに映っていた建物だ。
正確には「旧上歌会館」というらしい。
ほかにも、40年ほど前に放送されたテレビドラマの舞台にもなっていたらしく、保存活動がなされているらしいが、通りすがりに見てみると人気はなかった。
新歌志内トンネルを抜け、赤平市に入った。
赤平市には見たかった建物がある。
「住友赤平炭鉱立坑櫓」なる名称の建物である。
竣工当時は「東洋一の立坑」と呼ばれていたらしく、閉山し、使われなくなったあとも立派に残っていた。
隣には市営(?)の施設及び駐車場があったが、残念ながら臨時休館中だった。
そこから少し進むとズリ山展望広場という場所があったのでクルマを停めてみる。
どうやらかつてのズリ山に階段を設け、頂上から町を一望できるという場所らしい。
駐車場の横にはかつての選炭所があった。
流石に朽ちている部分もあったが、頑丈そうな鉄筋コンクリート造だった。
頂上までは777段ある階段を上る必要がある。
なんとも運気の上がりそうな数字だが、実際はとんでもなくしんどかった。
階段の途中に3.4箇所、休憩用のベンチがあるほどだ。
運動不足が祟り、ぜえぜえと息が上がったが、なんとか頂上へ。
頂上には開基100年を記念した、「幸運の鐘」というものがあった。
誰もいないので一回鳴らしてみた。鐘の音は美しかった。
赤平市公式のYouTube動画では、きれいに180度望むことができているが、現在は階段がある所以外は木が伸びきってしまい、あまり良く見えなかった。
上ってしばらくすると、運良く目の前の赤平駅から列車が出発するところだった。
無料の望遠鏡があったので覗いてみると、くっきりと列車の行先まで見ることができた。
こんな写真も撮ることが出来た。
まるで以前CMで流行った、「ベタ踏み坂」のようだった。
しばし眺めを堪能した後、下山する。
この上り下りはとても足腰が鍛えられる。
一日一往復を習慣にすれば、膝が爆発しない限り、100歳まで元気に歩けることだろう。
駐車場に戻り、きれいなトイレを借りて芦別方面に出発する。
国道38号は空知川に沿った良い線形だ。
芦別の市街地に入り、国道452号にチェンジする。
しばらくすると、見覚えのある「フードD」があった。
芦別本店とあったから、札幌近郊でよく見るスーパーはここが発症だったのかと初めて知る。
国道452号は途中で右折。
ここから山に入っていく。
6月に日本遺産の鉄橋を見た以来、3ヶ月ぶりに通った。
山間部とは言え、谷の部分に道を敷いているので、そこまでくねくねはしていない。
案外快調に走れるのでこの道は結構好きだ。
桂沢湖の途中で左に折れる。この頃には前後に車列がつながっていたが、皆三笠市街地の方に進み、夕張方面に曲がったのは私だけだった。
この辺りは、桂沢ダムの嵩上げ工事に伴い、新しく道を作っていた。
となると今回走った道は令和5年の改修工事完了で通れなくなる。
また今度動画を回しながら通ろうと思う。
くねくねはしつつも前後にクルマがないので気楽に走れた。
三夕トンネルを通り抜け夕張市に入る。
すっかり日も暮れ、先が見づらくなる。
途中2度ほどシカの横断に遭遇。ハイビームにしていたからすぐに気づけたが、もしかしたら衝突していたかもしれない。
両側が開けてくると、シューパロダムが見えてくる。
薄暗いながらも立ち枯れした木々がよく見えた。
かつては夕張東高校があったという場所に寄る。
シューパロダム建設によって水没した集落にあった記念碑などを集めた広場となっているからだ。
大夕張の碑という記念碑は母と子に洋服が着せられているが、他の方のブログなどを参照すると、地域住民などによって服が変えられているようだ。
この広場のからは、国道の旧道と、大夕張鉄道線の「旭沢橋梁」という、世界的にも珍しい「トラスド・ガーダー橋」が残存している。
今度の火曜日、再びここを訪れ、日があるときに探索しようと思う。
この先は札夕線を通り、自宅に着いた。
今回はおよそ200kmの走行。燃費も25km/L台に持ってくことができたので満足だ。