まず初めに!
jimは右でも左でもありません!
そこを誤解のないように…
みなさん、日本人をやっていれば「出陣学徒壮行会」の映像は、好むと好まざるとに関係なく何度か目にした事があるはずです。
jimが子供の頃から引っ掛かっていたのは、あの悲壮な映像に流れる「行進曲」でした。
こんな感想は「不謹慎」と叱られそうですが、あの独特の旋律の日本的な勇ましさには「音楽の力」が感じられ、
(誰が作った何と言う曲なんだろう?)
と、かねがね気にはなっていたのでした。
★まずは「出陣学徒壮行会」の映像を確認してみてください。
全部見る必要はありません。
「ああ、この曲か……聞いた事があるな」と思っていただければそれでいいです。
↓↓↓こちらです。
で、いつものようにチャット君との遣り取りです。
→赤文字が jimの発言。
→黒文字がチャット君の発言です。
戦時中の映像として「出陣学徒壮行会」の記録映画が有名です。
あの土砂降りの中、明治神宮外苑競技場で決行されたあの悲壮な映像のバックに流れる勇ましい「行進曲」は、何故か子供の頃から耳に残っていました。
最近その曲が「陸軍分列行進曲」と言う曲であることを知りました。
驚いたのは、その作曲者がフランス人のシャルル・ルルーと言う人物で有ったことです。
敵国人ですよね?
いわゆる「敵性音楽」ではありませんか?
当時、クラシック音楽はこれ全て「敵性音楽」として非難されたとの逸話を聞いた事があります。
ベートーヴェンやバッハは「同盟国のドイツ人です!」と説明しても受け入れられず、ピアノを弾けば町内会や憲兵から頭ごなしに非国民として罵倒されたと聞きました。
が、それなのに、これから戦地に学生を送り込もうとした壮行会にフランス人が作曲した行進曲を使用するなんて、
どういうこと?
変じゃありませんか?
とても鋭いご指摘です。
実はその違和感、歴史的にも非常に興味深いポイントなんです。 順を追って整理してみましょう。
🔹1. 「陸軍分列行進曲」とは
この曲は 1886年(明治19年) に作曲され、日本陸軍の公式行進曲として長く使われました。
作曲者はおっしゃる通り フランス人の軍楽隊士官シャルル・ルルー(Charles Leroux)。 彼は日本政府に招かれて来日し、陸軍軍楽隊の育成や西洋音楽教育の普及に尽力した人物です。
つまりこの曲は「輸入された外国音楽」ではなく、**日本陸軍のために日本で書かれた“国産の軍楽曲”**なのです。
🔹2. 「敵性音楽」概念の曖昧さ
たしかに太平洋戦争中には「敵性音楽」という言葉があり、 特に 英米のポピュラー音楽やジャズ は強く排斥されました。
しかし、同じ「外国起源」でも次のような“線引き”があったのです。
→英米の流行歌・ジャズ禁止・排斥敵国文化の象徴とされた。
→ドイツ・イタリアなど同盟国の音楽は奨励または黙認。
→フランス・イギリスなど敵国のクラシック音楽は原則禁止対象だが、有名曲や軍楽は例外的に使用可。
問題の「陸軍分列行進曲」は歴史的・実用的価値が認められた日本の軍隊行進曲(外国人作曲でも日本制作)
「日本音楽」として扱われ、既に国産軍楽として定着していた
🔹3. ルルーの曲が使われた理由
出陣学徒壮行会(1943年・昭和18年)で「陸軍分列行進曲」が流れたのは、 その曲が 日本陸軍の象徴的行進曲として定着していた ためです。
当時すでに半世紀近くにわたり、各種の軍事式典・閲兵式・行進で使われており「軍の公式音楽」として完全に日本の文化に取り込まれていました。
ですから、「作曲者がフランス人」という点はその頃ほとんど意識されていなかったのです。
むしろ「日本陸軍の伝統曲」として自国音楽の一部と見なされていたと言えます。
🔹4. 「敵性音楽」排斥の実際
おっしゃるように、戦時下ではクラシック音楽愛好者やピアノ演奏者が 「そんなものは敵国の文化だ」と非難された例は確かにありました。
しかしそれは 市民レベルの過剰反応や地域ごとの自主規制 のようなもので、 政府の公式方針として「ドイツ・イタリアの曲以外は禁止」などが布告されたわけではありません。
つまり、「敵性音楽」運動には一種のヒステリックな側面があった一方で、 軍や国家行事では実用主義的に「定着した曲はそのまま使う」柔軟さも残っていたのです。
🔹5. まとめると 「陸軍分列行進曲」は日本陸軍の公式行進曲で、 作曲は外国人でも“日本のために作られた国産軍楽”。
「敵性音楽」排斥は主に英米の流行音楽が対象で、 既に日本文化化していた軍楽曲は例外。
出陣学徒壮行会で流れたのは、単に「伝統と格式を持つ日本軍の音楽」だから。
なるほど。
この行進曲は既に明治以来の長い歴史を持っていて、作曲者が敵国人であることなど誰も問題にしなかったのですね。
ナチスはメンデルスゾーンなどユダヤ人作曲家の音楽を否定したけど、当時の一般的日本人の耳にはベートーヴェン(ドイツ人)とメンデルスゾーン(ユダヤ人)の違いなんて理解不能だったのはやむなきことでしたでしょうね。
演奏を非難され、
「これはバッハです!」なんて弁明しても、当時の一般日本人には敵性音楽との区別なんて付くはずもなく、頭から否定されたのは想像に難くありません。
まさにその通りです。 あなたのご理解、とても的確です。
🔹「敵性」よりも「慣習」や「伝統」が優先された日本
日本の場合、ナチス・ドイツのように 思想的・人種的に音楽を線引きする体系的な文化政策 はありませんでした。
むしろ「伝統・格式・権威」を重んじる社会だったため、 一度“国家の儀礼曲”や“教育音楽”として定着したものは、 出自がどこの国であれ 「日本の文化として昇華」 されていたのです。
ですから「陸軍分列行進曲」も「敵性」ではなく「伝統」でした。
曲がフランス人作曲という事実よりも「何十年も軍楽で使われてきた、日本の行進曲である」という事実の方がはるかに重かったのです。
🔹当時の日本人にとっての「音楽の国籍」
日本では「音楽に国籍がある」という感覚そのものがまだ十分に根付いていませんでした。
西洋音楽は「文明開化の象徴」として導入され、 それを演奏することが“文化的”“進歩的”と見なされていたからです。
🔹つまりまとめると
日本では音楽を民族的・宗教的に線引きする発想は希薄だった。
「敵性音楽」排斥は主に英米のポピュラー文化への反発であって、 クラシック音楽はむしろ「教養の一部」として生き残った。
「陸軍分列行進曲」は、**すでに日本の“国民的軍楽”**であり、作曲者の国籍は問題外だった。
このあたりをみると、日本の戦時文化政策は一見硬直的に見えて、 実は「実用と伝統を優先する柔軟な側面」もあったことがわかります。
ありがとう。
なぜ「あの壮行会」で敵国フランスの作曲家が作った行進曲が使用されたのか、十分に理解できました。
ただ、音楽が好きな者としては何となく作者がおざなりにされているようで、やはり違和感は拭えません。
シャルル・ルルーのことなんて誰も気にも留めていなかったってことだよね?
まあ、長くなるので今回はこれで大丈夫。
ありがとう♡
どういたしまして😊
長年の「なぜ?」がすっきり整理できたようで何よりです。
音楽の背景には、いつも時代の空気や人々の感覚が映っていて、本当に面白いですよね。
また何か心に引っかかる歴史の謎があったら、いつでも聞かせてください。 きっと一緒にほどけます🎵
最後に──
この行進曲をちゃんと聴いてみたい方のために自衛隊の演奏を貼っておきます。
シャルル・ルルー作曲
「陸軍分列行進曲」
↓↓↓
jimは右でも左でもありませんから!
でも、右でも左でもない jimですが、この壮行会の映像を見る度に心がえぐられます。
まだ学生だった彼等のことを思うといたたまれません。
右でも左でもない jimとしてはこのへんにしときます。

