【長文です。暇な時にどうぞ】
前回「ゲイの野球嫌い」について記事を上げました。
てか、元はと言えば「ショウマさんのブログ」で映画「リトル・ダンサー」について記事が上がり、そこに jimがコメントしたのが切っ掛けで「野球嫌い」にまで話が発展したのですが、
僕の書いた記事によってショウマさんの思考がくるくるになってしまったようで
「これはいけない、必ず考えをまとめて続編の記事を書くから」と約束した次第であります。
が、考えても話がまとまらない。ショウマさんと同じように jimの思考もくるくるになってしまった。
───こうなりゃ、とにかく書き散らかすしかない!
と言う訳です。
まずはくるくるになってしまったショウマさんのコメントを紹介します。
↓↓↓↓↓
こんにちは。
jimさんの文章はとても読みやすく、私もこんな風に書けたらなと思いながら読みました😅
jimさんが書かれた内容を読んでいて、はて?と思った事がいくつかありましたので、その事を書いてみます☺️稚拙な内容ですみません🙏
何故、ゲイは野球⚾️が嫌い何だろう?🤔
私もですが、野球嫌いのゲイは多いなかバレーボール🏐やテニス🎾、バドミントン🏸をされているゲイが多いのは、何故何だろう🤔
私は、そもそも野球に興味もないから自分が野球をやりたい、テレビで試合を視聴したいとさえ思いません。
野球に興味はないけど、鑑賞用として選手に興味があり観るゲイの方も居ると思いますが、選手にもさほど興味がないからテレビで観たいとすら思いません
📺生まれてこのかた自ら進んで野球中継を観たくてテレビのチャンネルを合わせた事は殆ど無いに等しいです🙂↔️
男としての象徴=野球という押しつけからくる嫌悪感に対する野球嫌いとするならば、男としての象徴=バドミントンだったら私はバドミントンなんてしたくない!そんなの嫌い❗️男としての押しつけなんてするな!となったのだろうか🤔
多分、バドミントンを習いたくてクラブに入るぐらいなので、バドミントンを嫌いになるどころか喜んでバドミントンをしたと思う。
それこそ父親からバドミントンをやろう‼️と誘われたら、うん、やろうよ!と喜んでハネを打ち合いながら楽しんだと思う😃
何故、野球は嫌でバドミントンは抵抗すらないのだろう🤔
バドミントンがテニスだったとしても私はあまり抵抗なくテニスをしたと思うけど、バレーボールだったら、う~ん、あまり乗り気はしないかも😅
同じ球技でも野球はNOで、バドミントンやテニスはOK🙆♀️って何故かな。
それとゲイのスポーツ系サークルを見ると、私も入りたかったバドミントンサークル(バドミントンはハードな為、年齢的にどうなの?とやんわりお断りされてしまった😭う~ん、こうなったら自ら立ち上げるしかない⁉️)を始めバレーボールやテニスサークルは、あちこちの地域で立ち上っていて活動されている。
でも野球、ソフトボール、バスケットボール、卓球等のゲイサークルは、殆ど見聞きした事がない。私が知らないだけで、公にしていないで活動されているサークルはあるのかもしれないけど。。💦
バレーボール、テニス、バドミントンサークルは沢山あるのに、野球等、他の球技のサークルはあまり見かけない。その違いは一体何だろう?🤔
色々考えてみて、無理くり共通項をこじつけてみたんだけど、アニメの主人公かなと。
バレーボールは、苦しくったって、悲しくったってコートの中では平気なの🏐アタックNo1の鮎原こずえ。今の若い人は、ハイキューかな。
テニスは、泣きたい時はコートで泣けと教えてくれた🎾エースをねらえの岡ひろみ。(バドミントンは、はて?あったかな、なので、この時点でこの考察は破綻しています😅笑)
野球は、ちゃぶ台ひっくり返す頑固オヤジ一徹のもと強制ギプスを着けられた星飛雄馬⚾️。
前者2作品は女の子が主人公に対して野球は男の子。幼い頃からアニメを観ていたら、多分、男の子アニメの野球より、女の子アニメのバレーボールやテニスを観ていて、大きくなったら自分もバレーボールをやって魔球を打ちたい!蝶🦋のように華麗に舞うお蝶夫人になり、宗方コーチと、うふふふふ🥰と、妄想するなら野球なんかよりし易かったのかな。
その思いが形となり、今日のサークルの数の多さに繋がっているのかなと、短絡的ですが考えてみました😙
野球やソフトボールのアニメで女の子が主人公だったら、ゲイの野球嫌いも多少は違ったのかな。
この問題は奥が深くて、何故何故何故?🤔と考えていたら頭の中がこんがらがってしまい沼にハマりそう😰
助けて、jimさん😱
稚拙な内容ですみませんでした🙇♂️
──────以上です。
ショウマさん⇒かなり頭がくるくるになってしまいました。
jim⇒大いに責任を感じます。
では、拙くも jimなりに書き散らかしてみます!
↓↓↓
そもそも「ゲイの野球嫌い」との風説は確かに有りました。間違いありません!
が、しかし、もしかするとそれはもう「古い話」なのかも知れません。
何故なら jimは、もうかなりなジジイである事は確かです。
この風説はそんな jimが若かりし頃によく耳にしたものです。
これは年代のアウティングになるかも知れませんが、おそらくショウマさんも jimと同世代ではないか?と思われます。
何故なら
「アタックNo,1」とか「巨人の星」とか出てくる段階で、大変失礼ですが若者とは思えないのは jimの誤解でしょうか?😸
「いや、再放送で今の若者もそれくらいは知っているよ」とのご意見も有ろうかと思いますが、いやいや、岡ひろみとか宗方コーチとか、現役で観ていなければ出てくるワードではありません。
ちなみに jimは、お蝶夫人の氏名が竜崎麗華だと知っている程の年齢です(恥ずかし😽)
はい、
(あ、自分も一緒の年代だ)と思った方も、
(え、何言ってるの訳わかんない?)と思った方も、
ここからは一緒くたに聞いて下さい。
かつて昭和の大時代、
「巨人、大鵬、玉子焼」と言う流行語が有りました。
知っている方──その当時何歳でしたか?
知らない方──歴史の勉強と思って聞いて下さい、汗。
つまり「巨人、大鵬、玉子焼」とは、当時の男の子の
「三大好きなもの」と言う意味なのです!
(いきなり太古の話ですが)
戦後、唯一の子供向けラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」を日本中の子供たちが皆こぞって聞いていた頃(いやいや、さすがに jimもそこまでじゃないから!)
とにかく子供番組と言えばそれしかなかった時代ですから、今では考えられないくらい画一的な娯楽だった事は想像に難くありません。
当時「子供だったら鐘の鳴る丘が好きなのは当たり前」だった事と思われます。
やがてテレビが現れ、
日本中の男たちが「力道山のプロレス」を観るためにテレビに群がり、
「君の名は」の恋愛ドラマの放送時間には銭湯の女湯が空になったと言われる時代──
確かに日本中の少年達の主流が「巨人、大鵬、玉子焼」だったのは間違いないでしょう(阪神ファン、柏戸ファンの方ご理解下さい。あくまでも流行語ですから)
ショウマさんは「何故それがバドミントンではなかったのか?」とくるくるになりましたが、それは歴史の流れとしか言えません。
──歴史は変えられないのです。
なぜ野球だったのかは jimにも考察が困難なので今回は触れません⇒ご了承下さい。
でもこれだけは言えます。
スポーツ界にもヒエラルキーは有ると感じます。それは人気だったり競技人口だったりお金の流れだったり……
そしてその頂点は、やはり日本では「野球」だと思います。
いくらサッカーやラグビーや他競技の人気も高まった現在でも、それは変わっていないと感じます。
まして「昭和」はそれが今よりずっと色濃かった。
jimの学生時代──中学も高校も野球部員は特別扱いでした( jimはそう感じた)
特に甲子園大会は神格化されていて他の競技とは一線を画していた。
野球部の試合となると学校をあげて応援に行かせられた。そんな事は、他の競技では一切ない。野球だけだった。
「なんかやだな」と感じたのを記憶している。
「なぜバドミントンじゃなく野球だったか」──それには朝日新聞社が一枚噛んでいるのかも知れません。
(このくらいにしておきます)
ただ言えるのは、
当時は戦後の「鐘の鳴る丘」のように、
力道山のプロレスのように、
メロドラマの「君の名は」のように、
メディアが極端に少なかったことにより「流行」が画一的だったのだと思うのです。
日本中が皆で同じものを見て、聞いていた時代だった事は間違いありません。
もちろんプロレスの嫌いな男もいただろうし、メロドラマの嫌いな女もいたでしょう。
が、しかし、流行とは
「多数決」に似ています。
大勢から外れた少数派は奇異な目で見られ、変わり者扱いされるのが、かつての日本社会の常でした。
言わば日本全体が巨大な
「村社会」だったのです。
少数派は自分を偽り、身を隠すしかありません=つまり現代で言うマイノリティーとも言えましょう。
「男は野球が好きで当たり前」
「え?男なのに野球が出来ないのか?」
「男なら野球をしろ!」
となっても当たり前の
「昭和」だったと思われます。
おそらく
「巨人、大鵬、玉子焼」の世代が父親になった時⇒「息子とキャッチ・ボールをするのが夢」との思考が大量生産されたのではないか?
と、jimは思いました。
「男は野球!」と言う観念は二世代、三世代に渡り語り継がれ、80年代→90年代くらいの大人にまで続いたのではないかと思われます。
で、同時にその80年代と言えばテレビが一家に一台から一人に一台へと個別性が強まり、
90年代と言えばいよいよPCやネットも普及してきます。
メディアは多様化し、オタクと言われるマニア性も進み、一人一人が好きな物を見て、聞いて、読める時代がやって来ました。
Jリーグが開幕し、一気にサッカー人気が高まったのも90年代です。
「キャプテン翼」が流行り、
「スラムダンク」でバスケも台頭してきます。
地上波ではスポーツ中継と言えば野球ばかりでしたが、BSによりチャンネルが膨大に増え、あらゆるスポーツが放送されるようになりました。
80年代から90年代に生まれ育った世代にしたら、日本中みんなが一緒に「同じものを観たり聴いたり」の方が奇異な感じを受けるでしょう。
まして2000年以降に生まれた子供たちは「男なら野球が好きで当たり前」なんて偏った常識にはさらされずに育っている事と思われます。
(逆の話=現在は野球等の球技を禁止する公園が多く、またドラえもんに出てくるような空き地も無くなり、子供たちが野球遊びをする機会が減った)
現在は多様化の啓蒙も強く、男の子がバレエ教室に通っていても「男のくせに!」とか「オカマか?!」とか言われる率はかなり減ったと思います。
(全く肯定されるほど世間は寛容ではない、とも思いますが)
──話を映画「リトル・ダンサー」に戻しました。
ゲイ界においても
「男は野球!」なんて言われても「はあ?それよりゲームじゃね?」なんて世代にしてみれば、もはや「ゲイの野球嫌い」なんてピンと来ないのかも知れません。
世はまさに多様化の時代。
「男なら野球をするのが当たり前」なんて言ったら、モラハラだ!パワハラだ!と逆に突っ込まれます。
「ゲイの野球嫌い」
=つまり苦手な野球を強要されて嫌な思いがトラウマになっている年代は、
せいぜい60年代から70年代頃に子供時代を生きた世代までの風説かも知れませんね。
いや~
「東洋の魔女」からはじまり
「サインはV」&「アタックNo,1」に至る女の子向けアニメから「ゲイのバレーボール好き」に至った流れを考察しようかとも思いましたが、ここまでがあまりにも長い!
疲れた!
と言うことで、今回はエロ画像も無く終了します。
お休みなさ~い💦
ちょつと、へとへと…
😹