前回につづいて3回目です。 
 この記事に至った経緯については過去記事からどうぞ。


【ゲイが勘違いされがちな事(ケンケン様に乗っかかり記事です)①】
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【続・ゲイが勘違いされがちな事(ケンケン様に乗っかかり記事です)②】
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✴️それでは最終回。

 ケンケン様がによる【ゲイが勘違いされがちなこと】

 その「5」と「6」です。




5・話が面白い・毒舌

【ケンケン様のご考察】
⇒ゲイだから話が面白いのではなくて、話が面白いゲイがメディアで注目されただけです。
事実、自分もブログだからたまにコメディなことを書きますが、リアルでは実に地味で話のつまらん男です。

【 jimの賛同コメント】
⇒ケンケン様の考察に jimの考えを加えると→実は話のつまらないゲイも多いです。てか、これ一般社会と同じです。
 面白い人もいればつまらない人もいる。
 真面目な人もいればふざけた人もいる。
 派手な人もいれば地味な人もいる。
──って、結局色々な人がいるのはノンケと一緒なんです。

 ただ……毒舌と言えば毒舌なのかも知れないなぁ。

 まあ、つまり普通は屈託の無いはずの幼少期からゲイは様々な葛藤に悩まされる事も多く(前項で書いた男らしさへの矯正とか)、屈折したメンタルからどうしても世の中を斜に構えて見るようになった人も多いかもしれません。


 特に思春期⇒人に言えない恋に苦しんだゲイは、それが原因で女性に対しては特に厳しくなることも有ります。
 当たり前に男にもてはやされ、それなのにあっさり男を振る女子にやっかみや嫉妬を覚えるゲイもいますからね。
↑ゲイが女に厳しくなるゆえんです。

 が、そんな風に女に厳しいゲイですが、テレビ界では三輪さんやら美川さんやらに説教される女性がむしろありがたがって喜んでいる様子が見受けられます。
 同じ事を普通の男⇒特におじさん族に言われたらいきり立つフェミニストも、相手がマツコさんなら目尻をたれて受け入れます。
 もっとも当のマツコさんは「どうせあいつらは私みたいなオカマの言う事なんてマトモに聞いちゃいないのよ」なんて言い捨てそうですがね。

 ちなみに普通のリーマンが職場で毒舌だったらパワハラとかモラハラと糾弾されそうですが、「実はあたしオカマなのよ♡」とオネエ・キャラを前面に出せば、カミングアウトした瞬間に(女性には)人気急上昇かも知れません。
↑無責任提案🙀

(全ての)ゲイが毒舌と言うのは勘違いですね。
 が、違った角度から見ると「ゲイは毒舌が許される」とも言えるかも知れません
 なんだろ?

 ちなみにケンケンちゃんが信奉する IKKO様は全く毒舌ではありませんよね。
 時として厳しい事はおっしゃいますが、個人をコケ下ろすような事は決して言わない方だと思います。






6・子どもを授かれない

【ケンケン様のご考察】
⇒いきなり社会派かつセンシティブな内容ですが、ゲイが子供を授かれないんじゃなくて、法や制度がそれを制限してるだけです。
海外では代理出産や養子縁組でゲイカップルが子どもを授かるケースがあります(代理出産には色んなご意見があると思います)
「自分たちで産んだ訳じゃない」というのは事実ですが、それってそんなに重要ですかね?
愛のない男女の夫婦間に産まれる子どもも沢山いるわけで産めばハッピーという事ではなくて、重要なことは授かった後の話ではないでしょうか。


【 jimの賛同コメント】
⇒「養子」や「里子」の制度については今後益々議論されるだろう「同性婚問題」が大きく関わって来るでしょうね。
 話があまりに広大に発展するのでケンケン様の考察以上の発言は控えますが、現状の日本でもゲイ・カップルが子育てに関わる可能性はいくつか有ります。

 例えば「妻と死別、或いは離婚したシングル・ファザー(勿論ゲイ)と同棲する」と言うパターンなら、戸籍はとにかく、彼と一緒に彼の子供を育てる事にはなります。
 またその逆も可能ですね。
 ゲイを隠して結婚し、子供まで作ったもののシングルになった→その後出会った彼と一緒に自分の子供を育てる。
───と、jimの周りでは聞いた事のない話ですが、広い世の中そんな家族も存在しているかも知れません。
 どうだろう?






《前回掲載した「仕草が女性的」に追加記載》


★前回述べた「仕草が女っぽい」について、その後に頂いたコメントに返信しているうち、書き足りなかった事を思いつきました。
 ここに追記しておきます。

(幼少期から女性的な言動を指摘されたり自覚したりで、男らしく矯正に至る事も多かろう)

の記載について──

⇒本文では書き足りなかったんだけど、本来の自分を矯正して(矯正されて)今の自分自身がある訳だから、結果としてそれを否定してしまったら元も子もないと思うんですよ。


 女性的指向を隠し、男らしさを装う事は決してネガティブな行為だ言うのではなく、家族内、学校内、そしてこの社会の中で生きて行くための人間関係をスムーズにし、余計な誤解や摩擦を防ぐためにも、むしろ便利な事だと考えています。

 ゲイとして生きて来て思うのは、そりゃあまり突出せず大勢に埋もれていた方が遥かに「楽」で「生きやすい」と言うことです。

 が、そうだな……そうは言いつつ、やはりここぞ!と言うところでゲイな自分をさらけ出してしまう jimでしたね、笑。

 そんな jimも、いつからか意識的に「僕」を「俺」に変更したり、好んで語尾に「だぜ」を付けたりするようになりました。

 慣れればそんなに苦痛な事でもありません。

(トランスの方は「僕」も言いたくないと以前聞いた事があるので、やはり人それぞれです)


 あと jimの場合、服や持物でも意識して赤やピンクは避けましたね。

(↑これがね、大人になってからは逆に同族へアピールの意味を込めて、わざと赤やピンクや可愛い物を持ったりするようになるからスケベ根性丸出しです😽)


 また jimの場合、オネエっぽい人が嫌いではありません。

 普段から男らしく、全くゲイを感じさせないキゃらの人が何かの拍子で「きゃっ!」とか「いやん!」とか声に出しちゃうのを、僕は微笑ましく受け止めます。

⇒決して幻滅はしません

⇒むしろ可愛らしいと僕は思う。


 そして迎えた多様性の時代。
 これからの子供たちは本当に生きやすいのかな?
 ある程度は鎧をまとった方が無難なんじゃないかな?
 なんて思ったりもします。
 
 ちなみに jimも小学校から中学校にかけて「女っぽい」とか「オカマか?」とか言われた記憶は少なからずあります。
 なぜか高校からは一切言われなくなった。可愛かったからかなぁ?←好感度だだ下がり発言

 小中の頃は学校でピアノを弾く事で目立っていたので「男のくせに」はよく聞こえて来ました。
 でも、それでも jimが傷付いたり塞ぎ込んだりしなかったのは、同じくらいそれを肯定してくれる友達や仲間に囲まれていたからです。

 ピアノも好きだったし得意だった。

 何より両親が僕の性質について全面肯定してくれたのが良かった。

「男らしくしろ」なんて言われた事もありません。
───感謝してます。




 いやはや、今回はケンケンちゃんのお陰で記事を三つも書けました♪
 実は最近ネタが思いつかず停滞していたのとてもたすかりました。
 何より書いていて楽しかった!

 ケンケンちゃ〜ん💕
 ありがと〜っ✨


 これまでも、

 そしてこれからも、

 皆様の記事やコメントを引用して記事を書かせていただく事も有ろうかと思います。



 よろしくお願いしま〜す😽




↓しっぽがまん丸