新解釈「白鳥の湖」あとがき

★「白鳥の湖」の結末について

この演目には数多くの演出が存在します。それらは大きくふたつに分けられます。
(1)悲劇=バッド・エンド
(2)喜劇=ハッピー・エンド
全く正反対の結末がどうして存在するのでしょう?

元々「原典版」では(1)の悲劇でした。
その悲劇にも色々あり
「ジークフリートだけが死ぬ」
「オデットだけが死ぬ」
「二人とも死ぬ」
の3パターンがあり、死に方や死ぬ理由も色々です。
「英国ロイヤル・バレエ」や「パリ・オペラ座バレエ」など、西ヨーロッパの伝統のあるバレエ団では原典版を踏襲した悲劇が主流です。

喜劇と言うと現在ではお笑いのイメージが強いですが、それはいわゆる「ドタバタ喜劇」のイメージであって、本来喜劇とは悲劇の対義語であり「喜ばしい結末の劇」と言う意味です。

「白鳥の湖」にハッピー・エンドを持ち込んだのは、実はソビエト連邦でした。
理想を追い求める共産主義国家としては、「若者が死を選ぶような物語は不健全である」
「まして心中を美化するような思想は退廃した西側文化的堕落である」との理念から、時の政府から各バレエ団に勧善懲悪な物語に改善せよとの命令が有ったとか無かったとか……。
その当事者ではない僕に責任のある発言は出来ませんが、現に「二人の愛と正義が悪魔に勝つ」との結末がその頃のソ連から始まったのは事実であり、そんな事情がまことしやかに語られていたのも事実です。
親方ソ連がそうでしたから、当然東ヨーロッパのバレエ団でもハッピー・エンドが主流でした。

しかしソ連が解体された現在、ロシアでもウクライナでも、本来の悲劇が増えてきています。
数年前に観たボリショイ・バレエ団では「二人とも死にはしないが結ばれない=ロッドバルトとオデットが消え去り王子だけが一人ポツンと残される」と言う非常に中途半端な演出で、首をひねらざるを得ませんでした。

で、日本ではどうかと言うと、案外どちらも人気で半々と言った感じでしょうか?(僕はバレエには素人で、ちゃんと統計を取ったりはしていませんが…)
特に日本ではソ連時代からボリショイ・バレエやレニングラード・バレエ(現マイリンスキー)が大人気でしたからね。

ここから僕の考えを述べます。
僕は「悪魔との約束は絶対だ」と考えています。
それはゲーテの「ファウスト」を代表とし、現代なら吉田ひろゆきの「Y氏の隣人」や藤子不二雄の「笑うセールスマン」に至るまで、「悪魔との約束を守れなければ必ず相応の酬いを受ける」との厳しいルールを以て人間の弱さを表現し、それを教訓としてきた古今の文学作品に大きな意味があると思うからです。

ジークフリートは約束を守れなかったのに、愛の力で悪魔をも倒すって、そんなの僕はおかしいと思うのです。
悪魔の立場から言ったらそんな理不尽な事もありません。
現実世界、正義があれば約束なんて守らなくて良いのでしょうか?
正義のために借りた金なら返さなくてもいい?
愛の力は悪魔をも倒す?って、これを通すとかなりな数の古今の名作が破綻します。

「約束は守らなくてはならない!」
けれども人間には、それが出来ない弱さもある。
そこに悪魔は突け込んでくる。
だからこそ物語に深淵が生まれる。と、僕は思っています。
だから僕的には「愛の力が悪魔を倒す」の結末には、違和感を感じざるを得ません。
あくまでも僕の思考です。

かと言って、僕も色々な悲劇的結末を観ましたが、
「王子が波間に沈むのをオデットが為す術もなく見ているだけ」
これはオデットに主体性が感じられず共感できませんでした。

「王子が悪魔に殺され、絶望したオデットが湖に飛び込む」
長らくこのパターンが多かった気がします。

「オデットが王子の命乞いに身を投げ、王子だけが助かって、王子はそれなりに嘆き悲しんで幕」
これは酷かった!こんな結末をを用意した演出の気が知れない。
ただただ王子が情けないだけ。
これなら二人の愛が悪魔に打ち勝つ方が断然まし。

と言うことで、僕の妄想創作では、
(1)アダットが王子を助けるために身を投げる。
(2)悪魔は放心、隙が出来る。
(3)王子の剣が悪魔を倒す。
(4)すかさず王子もアダットの後を追う。
(5)そして二人は死して結ばれる。
との結末を選びました。

実は「死して結ばれる」は近年多い結末です。
でも死に方は色々です。
僕が思うのは、アダットが「悲観」のせいではなく「王子の為に」身を投げるのが肝心だし、王子もそれに甘えず、潔く後を追うからこその「死して結ばれる」となるわけです。
たかだかパロディではありますが、そこは僕なりの理想の結末に持っていきました。


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★ドラマ「カンパニー」について

実は僕は観ていませんでした。

僕は元来ドラマ好きで、毎クルーほとんどのドラマをチェックしています。
だから「テレ東、深夜の30分ドラマ」もちゃんとチェックし、この様な現状となっています。
(チェリまほ中毒で夢中との事)
ところが本家でも度々投稿している通り、チェリまほにハマってからの鬼リピで、他の新ドラマをほとんど観ずに現在に至っています。
今回この「白鳥の湖」をアップしてみたら、複数の方からドラマ「カンパニー」の話が持ち上がりました。
録画だけはしてあるので、僕は急遽一気に観ました。
バレエの、しかも「白鳥の湖」の話だったのですね!
全然気付きませんでした。
もし事前に観ていたら、僕のパロディもいくらか変わっていたかも知れません。

何てったって劇中で、主人公の妻から「死んでから結ばれたって、そんなの本当のハッピー・エンドじゃない」との台詞がありました。
それをアップした僕にしたら
「ひぇ~っ!」ってな台詞です。

それにしても面白いドラマでした。バレエを全く知らない人でも分かりやすく作ってあるし、
日本でバレエだけで食っていくのは困難でバイトと掛け持ちは当たり前、それどころか靴も衣装も自前で出費の方が多くなる現状なども、リアルに表現してありました。

何と言ってもロッドバルトを主役にした演出とは斬新で、観たい気持ちが沸きました。
監修が熊川哲也と言うことで、僕は「Kカンパニー(熊川主宰)」の「白鳥の湖」も観た事がありますが、さすがに熊川が振り付けるだけあって、王子はじめ男性舞踊手の踊りが高度で派手でした。
結末はやはり「死して結ばれる」のバージョンでしたね。

「カンパニーを観ていたから今回のパロディも分かりやすかった」のコメントもあり、時期的に良かったのかな、と思います。
まあ、結果オーライでしたね♪


以前おちやらけのつもりで
〔公告〕としたところ思わぬ好評で、これは何とか形にしなければならないぞ、と思っていました。
今回、発表できて良かったです。
沢山のコメント
ありがとうございました♪
( ̄∇ ̄*)ゞ

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😽jimとバレエの薄い関係

🎼
結論から言うと、僕が好きなの

チャイコフスキーの音楽であって、バレエそのものではないようです。
そのことに気付くのに、実にうん十年かかってしまいました。
とほほ(^_^;)


★僕とクラシック音楽♪

幼少の頃からピアノをやっていた事もあって、クラシック音楽は身近でした。
当然ピアノ曲から入門し、ピアノ協奏曲から管弦楽にも馴染み、中学の頃にはいっぱしに交響曲まで聴くようになっていました。

一般的には大人気のモーツァルトとベートーベンでしたが、僕は嫌いでした。
理由はやはりピアノ曲から発しています。
ピアノ曲と言えばソナタなのですが、モーツァルトのソナタは中級難度とは言われますが、僕には弾きにくくて嫌いでした。
譜面が単調なだけにミスも目立ちやすく、一度でもミスれば取り返しのつかない構成の完璧さも性に合いません。

ベートーベンはこれまた美しい旋律に乏しく嫌いでした。
悲愴ソナタの2楽章やテンペスト・ソナタの3楽章のように秀麗な旋律もたまにはありますが、ほとんどはメロディーの無い音楽に思えるのです。以上はあくまでも僕の私見です。

ビアノをやっている者として憧れるのはやはりショパンでありリストでした。シューマンやメンデルスゾーンも好きです。
ラフマニノフは神です。

そして交響曲となると
勿論、ピアノ曲とは全然違います。
僕もモーツァルトの40番交響曲やベートーベンの5番交響曲は聴きます。
でも、最終的に僕の心をとらえたのはブラームスであり、チャイコフスキーでした。

ブラームスは1番交響曲から4番交響曲まで全て好きです。

で、チャイコフスキーなのですが、一般に聴かれるのは4番、
5番、6番の3曲です。
実はその3曲ばかりが演奏され
(レコーディングされ)前半の1番、2番、3番が埋没するのにはちゃんとそれなりの理由があるのですが、僕の性分として、それならそれでその理由を確かめるためにも、何としてもその埋没した3曲を聴かざるを得ないのです。凝り性ですから!

ところが売れないものは商品にならないのが常識。
チャイコフスキーの1番、2番、3番を聴くためには「チャイコフスキー交響曲全集」と言う、立派な箱に7枚のLPレコードと分厚い解説書をセットにした、マニアでなければ買わないような高額な商品を購入しなければなりません。
はい、買いました。
マニアですから。
中学生には痛かった。溜め込んでいた貯金が無くなりました。(このかっこ内の話は更にマニア向けです。1番から6番までの全集で何故レコードが7枚なのか?それはチャイコフスキーには番外として「マンフレッド交響曲」と言うのがあるからです)

さて、なぜこんな話から入るのか?それはこの先を読んで頂ければ分かります。


★凝り性が祟ってやけに詳しくなってしまった♪

僕がチャイコフスキーのバレエ音楽にハマったのは高校の時でした。
ここでクラシック通の方なら「え?」と思うでしょう。
一般にチャイコフスキーのバレエ音楽と言えば初歩中の初歩。
いわるゆ「三大バレエ組曲」をまとめた1枚は「クラシック入門のレコード」として掃いて捨てるほど発売されています。

「白鳥の湖」組曲
「眠れる森の美女」組曲
「胡桃割り人形」組曲
以上三つを1枚のレコードにまとめたものです。

組曲とは長~いオペラや、長~いバレエの中からほんの数曲を選び、2~30分にまとめたものです。

はい、もうお分かりですね。
凝り性な僕が、わずか数曲を聴いただけで「バレエ音楽」を語るでしょうか?
いいえ、語りません。

チャイコフスキーを好きな理由として、匠な管弦楽法と極めて美しい旋律があげられます。
それらが最も凝縮されているのがバレエ音楽だと僕は思っています。それを全て把握しようとすると……。

はい、話が繋がりました。
「バレエ白鳥の湖・原典版全曲集」と言う立派な箱に3~4枚のLPレコードと分厚い解説書をセットにした、マニアでなければ買わないような高額な商品を購入しなければなりません。
はい、買いました。
マニアですから。
しかも「バレエ眠れる森の美女・原典版全曲集」&「バレエ胡桃割り人形・原典版全曲集」も同時期に購入。
あ、そうそう、店先には置いていません、そんなマニアックなもの、あまり売れませんからね。すべて取り寄せです。

そして僕は「白鳥の湖・全4幕」全ての曲とタイトルを=いつ誰がどう言う踊りをするための曲なのかを、まるで鉄道マニアが東海道線の駅名を全て暗唱できるかのごとく覚えてしまったのです。10代だったからこそ出来る技でした。
もっと言うと「眠り」も「くるみ」も同様に覚えました。全ての曲とタイトルを……。
恐らく音楽に関してだけは、実際にバレエを習っている人達よりも詳しかったのではないか?と自負しています。

よく自称「クラシック通」の人と出会うと、「君はどんな感じが好きなの?」的な質問をされます。
まあ、相手の嗜好やレベルを知って話を合わせてくれようとしているのかも知れませんが、僕はそれが昔からうざかった。
だから僕は、あえてチャイコフスキーのバレエ音楽が好きだと答えます。そうすると大抵は(ええっ?その程度?)てな反応をされます。
それで良いと思っています。
下手に相手からワグナーとかマーラーの名前が出ると大変面倒な事になるのを知っていますからね。


★楽曲を把握して観ると、バレエが数倍楽しくなった♪

以前からNHKなどで放送されるバレエ中継は観ていました。
でも、それほど楽しいとは思いませんでした。
ストーリーもですが、そもそも何がなんだか分からず観ていたのです。
ところが音楽を把握すると、今どう言う状況で誰が何を踊っているのか、その役名まで頭に浮かんで来るのです。
音楽を聴きながら分厚い解説書を読むと、バレエの基礎知識も得られました。

基本スランス語
アン、ドゥ、トロワ、カトル。
「パ」は踊りのこと。
パ・ド・ドゥ=二人の踊り。
パ・ド・トロワ=三人の踊り。
パ・ド・カトル=四人の踊り。
そう説明されれば難解と思っていたバレエ用語も分かりやすくなりました。

そして原典版の音楽がタイトル通りに使われていない演出も少くなくありません。
有名な「黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ」のアダージオは、実は原典版では第一幕の王子と村娘のアダージオ用に書かれた曲です。
そんな事を知っているバレエ・ファンはあまり多くないと思います。
しかも「黒鳥のヴァリアシオン」の曲は本来「花嫁候補の一人」の為に書かれたものだし、さらにバレエと全く関係ないチャイコフスキーの「ピアノ曲の小品」を管弦楽に編曲して黒鳥に踊らせるパターンも非常に多いのです。
この類いの知識なら山ほど頭に入っています。

だからなんだ?と言う事ですが、どうも凝り性からやたら音楽に詳しくなった事が
「自分はバレエが好きだ」と勘違いする事になった原因のようです。


★バイブルは漫画、そして実際にバレエを観る機会が増えた♪

自分はバレエが好きなんだ!と思い込んだとき、次に手を付けたのは漫画でした。
本格的なバレエの解説本よりもはるかに手を出しやすい。
バレエ漫画の名作として山岸涼子の「アラベスク」は有名ですが、僕がバイブルにしたのは有吉京子の「スワン」でした。
これは知る人ぞ知るかなりマニアックなバレエ漫画です。

バレエに興味がある。知りたい。と思う人には宝箱のような作品ですが、バレエに関心の薄い人だと数ページでリタイアではないか?と思えるほどバレエだらけのストーリーです。
躊躇なく専門用語だらけの会話が続きますが、枠外でちゃんとそれを解説してくれる親切さがあります。

僕は「バレエは好きだけど詳しくない」と自認する人がいると、とにかくまずこの「スワン」を勧めました。
そしてもれなく、この漫画を読破した人はちょつとしたバレエ博士になれるのです。
でも漫画は漫画。ある程度の知識を得ると俄然本物の舞台が観たくなります。
僕の場合、既に音楽の方からのアプローチもありましたから実際の公演を観たくてうずうずしていました。

てもバレエは「映画」や「宝塚」のようにいつでも観たい時に観られるものではありません。
テレビ中継でさえ、そんなに頻繁には放送されません。
アンテナを張って、どこで何があるとの情報を得て、前売り券を買ってひたすら何ヵ月が待つのです。
まあ、それも楽しみっちゃ、楽しみなんです。


★バレエはチャイコフスキーだけではない、それは当然♪

さて、いわゆる
チャイコフスキーの三大バレエ
「白鳥の湖」
「眠れる森の美女」
「胡桃割り人形」
に関しては観る前から既にかなりな知識を得ていた僕ですが、そうなんですね。バレエはチャイコフスキーの作品だけではないんですよね。
有吉京子の「スワン」によって数々の作品を知りました。
「ドン・キホーテ」
「ジゼル」
「コッペリア」
「ライモンダ」
で、例えば「海賊」なんですが、主役が踊るグラン・パ・ド・ドゥはとても有名で、テレビで放送される「ガラ・コンサート」などでもよく観るナンバーなのですが、一度ちゃんとした「全幕」と言うのをビデオで観る機会があったのですが、正直つまらなくて目を開けているのが辛かった。
「ラ・バヤデール」もそうでした。インドの話なのに音楽が全くインドではないし、バレエでよく聞くリズム伴奏にメロディーを乗せただけの音楽が延々と続くのです。

そうなんです。
音楽がよろしくないのです。
薄いと言うか軽いと言うか、そりゃあ、大作曲家に名を連ねるチャイコフスキーと同様のものまで求めませんが、なんだろう。全幕公演=約120分前後の曲を聴き続けるのだから、やはり音楽そのものが鑑賞に値するのと、そうでないのでは大きく評価が違ってくるのです。

その昔「白鳥の湖」が初演で大不評だった事は有名な逸話です。
その不評のひとつに「チャイコフスキーの音楽が重厚過ぎてバレエらしくない」と叩かれたのも有名な事実です。
当時、踊りの伴奏でしかない軽い音楽を聞き慣れていた観衆にとって、重厚な管弦楽法を屈指し、まるで交響曲と変わらないような音楽を発表したチャイコフスキーは異質でしかありませんでした。
けれどもそれがバレエとしての芸術性を更に高め、後に「眠れる森」「胡桃割り」と続いた事を歴史は証明しています。

とは言え、バレエはずいぶん見ました。
チャイコフスキー以外の名作も、もちろん評価しています。例えば「ドン・キホーテ」の派手なエンタメ性。これぞバレエの真髄とも言える「ジゼル」の精神性。
でもやはり僕のバレエ鑑賞はチャイコフスキーに集中してしまうのです。

そしてある時、ハッと気付いたのです!
あ!僕が好きなのはバレエじゃなく、チャイコフスキーの音楽なのだと……!
それに気付くのに、実にうん十年かかった、と言うお話しでした。


(で、こんな話をしたところ、友人Aが言うんです)
「バカじゃね?一般的にみたらjim、十分バレエ・マニアだから。そこまでうんちくする人、滅多にいないから」……と。

(;・ω・)


🍄🍄🍄😸😹😿