さて、怒涛の1日置きライブ週間も日曜で終わり、
そろそろじいちゃんの事でも書こうかなと思う。

と言っても、じいちゃんが死ぬというのは、
誰もが経験し、若しくはこれから経験する事で、
ワタシ自身、じいちゃんを亡くすのは初めてじゃない。
なにも特別なことはありません。

でも、とっても素晴らしかったここ数週間のことを、
ぜひ書き留めておきたいのです。

長くなるかも知れないけど、飽きるまでお付き合い下さい。

じいちゃんは無口でしたが、
体を張って人を笑わせるお調子者体質でした。
でも行き過ぎていつも結果的にみんなを驚かす人でした。

入れ歯をガクーンと外して笑わせようとするのですが、
それがわざとか否かがはっきりせずヒヤッとしました。

山登りでは股の下から孫に手を振ろうとして、
そのまま地面に頭から落ち、頭パッカーン割れて流血。

ばーちゃんと喧嘩するとサンダルのまま家出して
東京から横浜まで電車を乗り継ぎ、
いつも突然うちのインターホンを鳴らすのでした。
「じーちゃんだよー!」

伝説は尽きません。

じいちゃんは95歳で密かにゾンビと呼ばれる男でした。

兵隊さんで戦争へ行けば、運良く足を骨折して帰国後、
マラリアで死にかけたが運良く薬が手に入り生き返る。
数回の心筋梗塞も、私達が病院へ駆けつける頃には復活し
看護婦さんと楽しく歓談中なんて事もしばしば。
「おー!チー子来たか!」でっかい声が病室中に響く。

95歳だったが、食欲だけは旺盛で、
今回、入院する前日はカツ丼を完食していた。

そんなじいちゃんだから、今回の入院も、
当たり前のように退院するものだと、全員が思っていた。
じいちゃんはゾンビだから、死ぬなんて思っていなかった。

容態が急に悪くなったと聞いた大阪ライブの帰りの新幹線。
「明日、明後日ダメかも知れない」と言われても、
なんとなくそんな気がしなかった。
いつものじいちゃんの「どっきりサプライズ」だと。

翌日じいちゃんの様子を見て、やっと状況がわかった。
泣いてはいけないと思いつつ、こらえきれなかった。
呼吸器で無理やり呼吸をさせられてる状況で
「この呼吸器を外したらもう施す手がない」と言われた。

それでもじいちゃんは、声をかけると分かってくれた。
目こそ開かないが「あー」と言ってくれた。

ばあちゃんは「幸せな人生だったわよね」と
もう既に死んだような言葉をかけていた。
タイで働いている従姉妹も帰ってきた。
親戚も全員が会いに来た。
父は、葬儀場に見積もりをお願いしていた。

でも、そこからのゾンビパワーが凄かった。

施す手がないと言われたじいちゃんが、
強制的な呼吸器を外して自分で呼吸をし、
目を開け、わずかながら喋るようになった。

「コカ・コーラ」と言った。

じいちゃんは、生粋のコカ・コーラフリークだ。
タイアップ取れるんじゃないかと思うくらいの。

生きることを、ここにいる誰よりも諦めてなかった。

死ぬ気はさらさらなかったのだ。

もしかするともしかするかも知れないと思った。
毎日毎日じいちゃんに会いに行った。
生きていてくれることが、こんなにありがたいなんて。
じいちゃんが愛しくて愛しくてたまらなかった。

病室はいつもみんながいて迷惑なくらい盛り上がっていた。
「じいちゃん、すごいよ!もうダメかもって思ったよ」
「ははは、あと2、3年はいけるだろう」
とじいちゃんはどこまでも前向きだった。

じいちゃんが目を開けるとすかさず「ヤッホー!」と
テレビに映りたがる小学生のようにみんなで手を振った。

ワタシが最後に会った日はなんと手を振り返してくれた。



タイから帰ってきた一番下の従姉妹が、
「あれ!私なんで帰ってきたんだっけ?恥ずかしい!!」
なんて笑いながらタイへ戻る飛行機に乗ってる間に、
じいちゃんは息を引き取った。

私が駆け付けた時には、まだ温かかった。

6月9日ロックの日。
じいちゃんの信条は「自然体」
ちっともロックじゃないじいちゃんは亡くなってしまった。

宗派の関係で白い着物を着ることもなく、
いつもの普段着にトレードマークのサスペンダーをして、
おしゃれなジャケット姿で棺に入った。
みんな、泣いたり笑ったり、でも基本的には笑っていた。

通夜の日、みんなでお清めのお食事を頂いた。
人の葬式でいつも一番大騒ぎしていたのがじいちゃんだ。
子供ながらに「みっともなくて嫌だ」と思っていた。
でも、じいちゃんの通夜はみんなが大騒ぎした。

その後、祭壇の前で記念撮影をすることになった。
みんなお酒飲んで赤い顔して、写真だけ神妙な表情するのも
なんだか白々しいと思いワタシは葬儀屋さんに聞いた。

「こういう写真って笑ったらダメなんでしょうか」
「そうですね...笑みくらいなら」
ワタシのすぐ下の従姉妹が
「え!エビフライ!?」
「笑みくらいだよ!」
「わはははは~」
「ちょっとやめてよ!笑いがとまらんくなった~」

葬儀屋さんも思わず笑ってしまった。
みんなが笑いをこらえた顔の記念写真になった。
じいちゃんの遺影だけが、遠慮なしの笑顔で映っている。

16日の告別式。
祭壇にコカ・コーラが6本並んだ。
じいちゃんは念願のコカ・コーラを飲ませてもらい、
棺の中にはジャイアンツのタオルや、ふじっ子のお豆さん、
大好きなショートケーキを丸いホールのまま入れて貰った。

娘や孫娘が次々におでこにチューをした。

さすがに火葬の前は、たまらなかった。
また生き返りそうな気がして、勿体無かった。
「ありがとう」「楽しかったよ」と何度も声に出して
泣きながら何度も頭を下げてお礼を言った。

予想通り、立派な骨だった。
ワタシの骨太はじいちゃんからもらったものだ。
骨壷に全部入りきった時、こっそり渡していたメガネを
一番上に入れてくれた。
途端に、じいちゃんの顔になった。
「あ、じいちゃんだ」「じいちゃん!」みんなが笑った。
もちろん骨壷にメガネを入れたのは初めて見た。

「入れ歯は?」ばあちゃんがワタシに聞いた。
「あのね、内緒で一緒に燃やした。シー!やで!」
「じゃぁ、向こう行っても食べれるわね、よかった」
入れ歯は棺に入れないでと言われていたのに、確信犯だ。
でも、燃やさずメガネと一緒に骨壷に入れたら
それはちょっとふざけ過ぎだ。

じいちゃんがもうダメかも知れないと言われてから、
告別式の日までの2週間。
本当に素敵な毎日だった。
じいちゃんのファイトに感動して、
家族がひとつになって、毎日じいちゃんを囲んだ。

回復してると喜んだあの数日は、
最後の力を振り絞ってたんだと後から分かった。

全てが終わり斎場を出るときに、
父が挨拶をした。
「こうやって、親戚のみんなとお酒を飲むのが、何より幸せそうでした」
そう言うと初めて声を詰まらせた。
父の目の前に、じいちゃんの笑顔が飛び込んで来たんだと思う。

最後の最後に葬式らしくなった。

戒名がまた素晴らしかった。
常楽院釋利生(じょうらくいん しゃくりしょう)
「常に楽しい」なんてじいちゃんらしくて最高。
そして 釋(しゃく)利生(りしょう)。
しゃくりしょう...しゃっくり...しゃっくり和尚。

じいちゃんはしゃっくりが止まらなくて
病院に運ばれたことがあった。

天国でしゃっくり和尚さんが元気に暮らしますように。



おまけ

本当に長くなってしまってすいません。
でも読み返しても、削る箇所がありません。
最後まで読んでくれた人がいたら、どうもありがとう。

じいちゃんが最後にワタシの歌を聴いてくれたのは
ジルデコラウンジ@JZ Bratでした。
本当に悔いはないわ。