みなさん、おはようございますニコニコ


仕事を休職し腹を据えて
さあ、介護に集中だぁーと母と向き合う決心で始まった10月
木々の紅葉🍁の美しさに目を奪われる季節に母はあっけなく永眠いたしました😢

10月28日土曜日 0時38分
諏訪中央病院にて息を引き取りました

10月24日
ちかこさんと3時のお茶をして
夕陽の時間まで2人でおしゃべりが続いてました
ちかこさんを見送る母

10月25日 診察日
大好きな担当医と会える日❤
パパがいなかったので
乗り合いタクシーで2人で病院に行き
めずらしく玄関から車椅子♿使用
血液検査の結果は腎不全、肝不全を起こしているので即入院
バースデーケーキ(姉の誕生日の日)

10月26日
乗り合いタクシーに1人で乗り
13時半 面会に行く
娘夫の実家から届いた島原みかん🍊と
練馬区の母の友達から届いたしそ巻を届けた
(みかん1つとしそ巻2つは食べたあとがあった)
トイレに行きたいと言うので
看護師さんと一緒に行き
そのまま廊下で手を振って
にっこりしてバイバイしてくれた
🎂(私の息子の誕生日)

10月27日
姉の同級生で母の茶道のお弟子さんに
母の具合い悪いことをラインした4日後に
お見舞いに来てくれた


母は喜んで泣いていた
この方はご主人に
「先生具合い悪いんだって、仕事調整して来月そうそう会いに行こうか?」と行ったら
「それならそういう時はすぐ行った方がいい、あさって午前仕事して午後茅野市に行こう!」と言ってくれた
(この方は元警察官)
15分の面会時間をオーバーしてしまい
ゆっくり話せたのはこの日が最後

夜7時に担当医から電話あり
下血と吐血したから
何時でもいいから病院に来てくださいと言われ、8時に帰ってきたパパと2人で病院に行く

母の妹弟と私の姉、娘と息子に連絡

母の様子は目がうつろではあるものの
私を確認し
「いっかい起こしてくれ!」と言う
鎮静剤の点滴と心電図が身体につながれていたので、
「起きちゃだめだよ、ゆっくり寝てて!」
と言うも、けっこうな力で私の腕を掴む
何度かそれを繰り返し
そのうち薬が効いてきたのか落ち着く
ショートケーキ(母の茶飲み友達ちかこさんの誕生日)

10月28日
聞き取れないうわ言を言っていたが
しきりに自分の妹たちの名前を呼ぶ
(1人はもう亡くなってる妹、もう1人は朝方には着くとこちらに向かっていた)

息がだんだん弱くなり
あくびを2回ほどした
時々指で鼻をほじろうとする
いつもそうしては鼻血を出すので
いつもどおり
「おばあちゃん鼻ほじりダメよ」と言ってクスっと笑えた
そのうち‥‥‥‥
舌下した大きな息になり
喉が大きく膨らむ

あー、もうダメだ!
もうこっちには戻らない‥‥‥
早く姉たちが到着することを願った

0時38分息が止まった
92歳と10ヶ月大往生

姉たちはその2分後に到着した

私は涙1滴も出ない
ぜんぶみたしさいごまでそばにいれた

このブログで茅野市に移住してからは
よく登場していたおばあちゃん
病気発覚の時から(2月)
記録のために療養様子をみなさんに
無理やり聞いていただいていました

最後まで寄り添っていただいたような
勝手な解釈でいます

お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

私の母は優しい夫に早く先立たれてはいましたが、私の家族とずっと同居していて
ケンカもしょっちゅうでしたが
娘息子を育ててくれました
感謝の気持ちでいっぱいです

後半は病気で辛い様子もあったんで
父に早く迎えに来てあげてと仏壇に手を合わせた次の日に入院し、4日後に旅立ちました
だんだん弱っていく母と向き合う精神的な
ところが1番辛く感じましたが
介護作業的にはわりと1人でできていたので、そんなにたいへんな時は無かったです

最後の瞬間は
こちらの希望通り
鎮静剤と心電図以外は何もつけず
家族だけで見送らせてもらえました
看護師さんは別部屋で心電図を見ていたでしょうから、たぶん息が止まるあたりはわかっていたでしょうけれど、私が呼びに行くまでは、あえて来ませんでした

10分後担当医到着
いつものおばあちゃんが大好きな先生
「明日だと僕はいなかったんですよ、今日逝かれましたね、僕に常々、あなたに看取られたいからお願いねって言われてましたから約束は果たせたかな」とはにかみながら若い医師は言われました

瞳孔確認し聴診器で胸を確認し時計を見て
家族に死亡を宣言し
母の顔を見て穏やかなお顔ですねと言って帰られました

姉、孫、友人の誕生日を命日にしないように避けて、大好きな先生に看取られ
たいへん上手にできました!!と褒めてあげたいです

10月29日
母が入院する日に着てた服を洗濯しました
最後のお世話をさせてもらいます
涙がひとすじ流れました